能メモ

自然居士
 買われた娘を法師が歌舞音曲で救う。観音の救済劇。

卒塔婆小町
 卒塔婆問答。卒塔婆に腰掛けることが善か悪か。深草少将が老いた小野小町に憑依する。

高砂
 長寿をことほぐ。高砂の松は万葉集で、住吉の松は古今集。

清経
 平家の武将、清経が髪を残して入水する。

井筒
 待つ女。

恋重荷
 女御の戯れ。老いた男の哀れと滑稽。庶民側に立つ世阿弥。

蝉丸
 捨てられた皇子。姉逆髪との再会と別れ。世阿弥の立ち位置。

善知鳥(うとう)
 前場は立山、後場は陸奥。猟師の亡霊が旅の僧に古里に形見を持ち帰るように頼む。片袖を証拠に。殺生の快楽と哀しみ。

山姥
 百ま山姥の「山姥の曲舞」にもの申す山姥。山の精であり、人間であり、(人よりは仏に近いが、まだ煩悩が抜け切らない)、そして、山を巡り続ける。

弱法師
 讒言により勘当された俊徳丸が父と再会する。

杜若
 旅の僧が杜若の名所、三河の国八橋を訪ねる。そこに女性が現れ庵に招く。女性は、物着をして舞う。在原業平であり、彼が関係した全ての女性であり、杜若の精を表している。

定家
 式子内親王の墓に絡みつく定家の化身の葛。

邯鄲
 夢の夢の夢の夢。

安宅
 ご存知、勧進帳。

道成寺
 ご存知、安珍と清姫。

女王陛下のお気に入り

ははははは(^_^;。
すごかった、とにかく、すごかった(^_^;。
女王陛下も貴族も没落して平民並みの者も身分を問わず、女性は皆、満身創痍のサバイバー。

広角レンズと行き届いた照明で、たっぷり調度類を魅せてくれた。藤の花がきれい~。
この時代の貴族は、いっつも醜悪に描かれるのぅ。日本では綺麗に綺麗に描かれるが、この違いは何だろう?
(2019/02/16 TOHOシネマズ高知8)

運命は踊る

ちょっと期待外れ。全体的に音が耳障りで苦痛だった。チラシによると作り手の実体験が元になっているらしいが、それにしては現実ではないような感じ。特に国境の警備兵のパートが非現実的。宿舎がコンテナみたいで、それが傾いて沼に沈んでいく(?)なんてことが本当にあるのだろうか?不衛生で食糧も不十分そうだし。検問する人たちも夜会服と国境の寂れた感が掛け離れた感じで夢でも見ているようだ。こんなんだからラクダに衝突して亡くなっても驚きませんわ。(それよりイスラエルが舞台の作品のようだと気がついて驚いた。てっきりヨーロッパか南米の作品だと思い込んでいた。)

結局、私にとっては、この作品を韓国映画の『息もできない』と同じカテゴリーに入れるとことで、見てよかったと思えた。『息もできない』の主人公の男の子は、父親がベトナム戦争の帰還兵で暴力的な環境で育っていた。『息もできない』は、一見平和な社会における戦争状態の部分(背景に戦争の影響があること)を描いた作品だったと言える。『運命は踊る』でも成功した建築設計士の男性が、兵役を務めた時分に怖い目に遭ったらしく、復員してからも突然切れることが妻のセリフと息子の絵で示されていた。平和に見える社会や人に戦争の影響がある状態。平和が脅かされていると言えるのではないだろうか。
(2019/02/10 あたご劇場)

モリのいる場所

数年前、熊谷守一のカレンダー表紙に一目惚れして、ひろしま美術館での展覧会にも行って、映画にも行ったというわけで(^_^)。
モリ(山崎努)のいる場所は、居心地がよさそう。藤田(加瀬亮)の助手がまた来たい気持ちになるのがよくわかる。開発が進んでいく都会の一角にオアシスのような「モリのいる場所」というところだろうか。私は樹木希林さんが苦手で(なんだか芝居も窮屈に感じるのです。ちなみにキムタクも。)若干心配していたのだが、居心地のよい場所作りに貢献していて流石だなあと思った。宇宙人(三上博史)はよいとしても、ドリフのタライ「ガーン」はちとやり過ぎな感じ(笑)。
小さな庭が宇宙のように広く、虫や植物を眺めて暮らす時の流れに限りなし。戦後最低最悪最凶の政府が作り出した今の時世に『モリのいる場所』を観ることはコクーンに包まれるようだった。繭の中で眠り続けたいぜよ。(2019/01/09 あたご劇場)