2021
母が好きで昨年も今年(今年は2回)も買ったが、一株は早ダメになり、後で買った二株もヨレヨレ。(2021/04/05)
2020
再び芽を出すことはなかった。(2020/05/16)
2019
2018
三色買って地植えにした。(2018/02/20)
いつの間にか消えていた。というか、植えていた場所に蕪を植えられている(ToT)。(2018/11/25)
こんな日本映画を観たかった。阪本順治監督のオリジナル脚本が素晴らしい。普遍的な人間関係(親子、夫婦、友だち)と現代日本の問題(過疎化が進む地方、いじめ、自衛隊員の自殺など)がガッチリと組み合わさっている。省略が利いたセリフに現実味があるし、エピソードも真面目でユーモラスだ。伏線の張り方もうまい。
タイトルの趣旨をダイレクトにセリフにしたシーンも見事だ。元自衛隊員で世界を見てきた瑛介(長谷川博己)が、生まれ育った町で炭焼きをしている紘(稲垣吾郎)に「お前は世界を知らない」と言う。紘は「そんな難しいこと言うなよ」「こっちだって世界なんだよ」と返すのだが、紘の二つのセリフは随分と離れていて、いくつかのエピソードが挟まれている。世界とかあまり考えずに暮らしていた紘だから「難しいこと言うなよ」になるのだろうし、「世界って何だ」という引っかかりと、炭焼きで生計を立てながら思春期の息子に接する苦労を客観的に見ることができて初めて「こっちだって世界だ」になるのだろう。二つのセリフが離れているのは必然なのだ。
別の場面でも、瑛介が炭焼きの仕事を手伝いながら「こんなこと一人でやってたのか」と言っており、瑛介だって紘の世界を知らなかったことが描かれている。このような場面とセリフの積み重ねで、世界の片隅であろうと中心であろうと一人一人が精一杯生きている、それが大切なんだというタイトルに込められた意味が浮かび上がってくる。
ここまで紘と瑛介のことしか書いていない(^_^;。正三角形のもう一辺を成す光彦(渋川清彦)のことをどうしても書かねばならないのに。う~ん、正三角関係って最強!ってことだけ書いておこう。
好きなカットも書いておこう。紘の心象風景を表したカットが2回差し挟まれる。緑の木々の中で倒木か何かに腰掛けている紘。2回目は緑の木々が釜の中の炭のように赤く染まっていく。「孤独の時間(とき)」、何とも言葉にしがたい感慨があった。
役者は皆よかったが、吾郎ちゃんだけ書こう。吾郎ちゃんが出たての頃、SMAPのメンバーとも知らず(SMAP自体を知らなかったと思う。)主演映画を観に行ったことがある。「稲垣吾郎って、とてもいい名前、どんな人だろう(男前に違いない)」と思って。SMAPのメンバーを覚えてからは、吾郎ちゃんの地に足がついてない感が好きだった。デレク・ジャーマン作品がいいとか話していたなぁ。地に足がついた役が、なかなか嵌まっていてよかった、よかった。
見終わって、母が「よかったで。」と言うので、どこがよかったか尋ねると「ぜんぶ!」とのことだった。
(2019/02/17 TOHOシネマズ高知8)
石斛を株分けしていたものが随分大きくなったので知り合いに譲った。もらい手があるか心配していたが、「ほしい!」と言ってくれて嬉しかった。/昨秋、石斛もデンドロビウムも高芽が出ていたので小さな鉢に寄せ植えした。余裕で越冬。株が充実するまで花は無理だけど、葉っぱがつやつやで健康そのもの。(2025年4月)
株分けした二鉢とも花が咲いた!2月には一鉢を友だちにプレゼント。「可愛い♥」と言ってくれたのでとても嬉しかった。プレゼントすると大抵の人は大事に育てると言ってくれるけれど、それは私の本望ではない。気軽に育てて、枯れてもあまり気にしないでほしい。友だちにも(気に入ってくれたみたいなので)「枯れたらまた株分けしちゃうき」と言って渡した。セッコクは育てやすいので自信満々でそう言った。
高芽が出た方の鉢は自宅用に残したので、もう少し暖かくなったら切り離して育てようと思う。高芽はひょろひょろと小さい。花が咲くまでは何年かかるかな?
デンドロビウムの方は、昨年末から付いた花芽が全く大きくならないので寝室に移した。するとやっと大きくなり始めた。大きくなって、ふくらんで、それから咲くので、4月になるかも。(2019/03/10)
牧野植物園のラン展でデンドロビウムを購入。我が家のセッコクと姿形がソックリで色が違うだけなので、同じ仲間だし、もうセッコクと呼んでいる。(2018/02/20)
いただいたセッコクの方は、昨年の暮れから蕾らしきものが出てきて喜んでいたが、その先がシワシワになって二つに分かれたので、「こりゃあ、高芽だったか」と心底ガッカリした。ネットで検索してみると、多湿で日光が不足すると蕾がつくべきところに高芽が出てくるとあり、管理が悪かったのかと反省していた。ところが高芽と思っていたものが、2月上旬には葉っぱとは異なる形に育ってきたので、「やはり蕾かも」と再び心が躍る。そして、2月の中頃から次々と咲きはじめ、只今、満開。やんややんや!(2018/03/07)
5月にセッコクを株分けした。一鉢は高芽が四つも生えた。二つとも花芽がいくつか出てきた。デンドロビウムの方は、植えたばかりのようだったので、買ったときのまま育てている。花芽は出ていない。(2018/11/25)
自由に持ち帰ってくださいと言われて、有り難くちょうだいした。ネットで調べたら日本の蘭だから育てるのが簡単らしい。長生蘭といって江戸時代は主にその葉っぱを愛でたそうだ。花が可愛いのになぁ。(2017年3月)
自然居士
買われた娘を法師が歌舞音曲で救う。観音の救済劇。
卒塔婆小町
卒塔婆問答。卒塔婆に腰掛けることが善か悪か。深草少将が老いた小野小町に憑依する。
高砂
長寿をことほぐ。高砂の松は万葉集で、住吉の松は古今集。
清経
平家の武将、清経が髪を残して入水する。
井筒
待つ女。
恋重荷
女御の戯れ。老いた男の哀れと滑稽。庶民側に立つ世阿弥。
蝉丸
捨てられた皇子。姉逆髪との再会と別れ。世阿弥の立ち位置。
善知鳥(うとう)
前場は立山、後場は陸奥。猟師の亡霊が旅の僧に古里に形見を持ち帰るように頼む。片袖を証拠に。殺生の快楽と哀しみ。
山姥
百ま山姥の「山姥の曲舞」にもの申す山姥。山の精であり、人間であり、(人よりは仏に近いが、まだ煩悩が抜け切らない)、そして、山を巡り続ける。
弱法師
讒言により勘当された俊徳丸が父と再会する。
杜若
旅の僧が杜若の名所、三河の国八橋を訪ねる。そこに女性が現れ庵に招く。女性は、物着をして舞う。在原業平であり、彼が関係した全ての女性であり、杜若の精を表している。
定家
式子内親王の墓に絡みつく定家の化身の葛。
邯鄲
夢の夢の夢の夢。
安宅
ご存知、勧進帳。
道成寺
ご存知、安珍と清姫。