佐藤健寿展「奇界/世界」

あまり関心はなかったが、年間パスポートの期限までに開催されたので観てみた。思ったよりは面白かった。写真からいろんなことに関心が湧いた。例えば、ガーナで作られた棺桶。遺体といっしょに埋めるでもなく燃やすでもなく作品、若しくは亡くなった人の思い出として保管しておくのだろうかとか。アメリカの荒れ地で金網に囲われているとはいえ、野ざらしにされている遺体。死後、どうなるかという研究だそうだが、始めてから何十年も経つのにまだ続けているの?研究の成果物(文書)はあるのだろうかとか。

腐乱している死体や間近にいると臭いがあるのではないかと思われるものなどの写真も多かったが、印刷がそれほどの大きさではないせいか直視できた。生肉を食べている家族の写真も解体された動物の血肉も平気だった。解体するとき一滴も血をこぼさないそうだ。とても綺麗に食べている。それとは反対の『レヴェナント』を思い出してしまった。

一番面白かったのは、「創造 無駄という人類の天賦」と「博物館 蒐集される驚異」だ。いずれも個人の私的な創作物と私設の博物館なのだが、作りたがり集めたがる人間の性も含めて作ったもの集めたものを面白がれた。しかし、「無駄」というなかれ。身体の食べ物が必要なように心の食べ物も必要だから。創作物も博物館もその人の心の食べ物だったのだと思う。

コレクション展「現代版画の楽しみ(後期)」


ムンクもポロックも、今まで観たことのある絵画の雰囲気が出ている版画がよかった。
ダントツは栗田政裕の「異星人たちとの会話」。木口木版画。素晴らしい。

(今年度の県美の企画展はそそられるものがないなぁ。年間パスポートはどうしようかな。)
(2022/06/18)

没後70年山脇信徳展

副題は「極端から極端へ-印象派を超えて郷土へ」。「絵画も常に極端より極端に推移する」という信徳の言葉から取ったようだ。なかなか面白かった。
構成は、「序/1東京・滋賀 印象派の画家/2満州・欧州 見聞を広める旅/3帰郷 郷土と向き合う画家」となっていた。同時代の郷土画家や信徳と関わりのあった画家の作品も展示されていた。

序で楠永直枝が1枚あったのを見て高校の美術の授業で「楠永直枝と教え子展」を観たことを思い出した。そのときに山脇信徳の作品もあったかもしれない。
裸婦の木炭デッサンは、「信徳と思って手に入れたが、その弟の作品かも(^_^;」という趣旨の解説がついていて面白かった。

日本のモネと言われた頃の「上野ルンペン」「裸婦」などは、タッチや色彩がルノアールの裸体画みたいだと思った。「夕日」などはゴッホっぽい?
「極端から極端へ」とは思わなかったけれど、画風がころころ変わるのは面白い。それでも一貫してザッと描いた感じというか、自由な感じがする。例えば、同時期に欧州留学していた西岡瑞穂の作品がしっかりキチッとしているのとはえらい違いだ。瑞穂が背広にネクタイ姿をビシッと決めているのに、信徳は浴衣の襟元も裾もはだけて平気の平左みたいな感じだ。それがサインにも現れていて、イニシャルだけやローマ字や漢字やハンコ(?)や色々あった。試行錯誤なのかもしれないが、こだわりがなくていいと思う。また、作品から受ける感じが、旅先で志賀直哉を振り回したという楽しいエピソードに違和感がないのも嬉しい。

作品リストは裏面や余白が解説書や略年譜にもなっていてありがたい。
特に山脇をめぐる人々と題された相関図は、一目で「なぜ」を解決してくれた。梅原龍三郎は信徳を春陽会、国画会に誘ったということで、藤田嗣治は東京美術学校西洋科同期ということで、油絵やリトグラフが展示されていたわけだ。

特に好みの作品。
「叡山の雪」(油彩、高知市蔵)、藤田嗣治のリトグラフ「中毒に就いて」、「パリ 夜のまち」(水彩・パステル)、「夜のヴェネツィア」(油彩、個人蔵)、「高知絵-高知城下」(油彩)。「雨の夕」はやっぱりいい。中国の風景画もよかった。

*「絵画の約束論争」
*高知県美術展覧会(県展)発足の功労者

コレクション展 シャガール「我が生涯」


3月に「ポエム」を観たときに意外なことに好みだった。木版画で土くさいからだろうか。紙などでコラージュしているのも面白かった。自分でも不思議でたまらなかった。もういっぺん「ポエム」を観れるかと思ったら既に展示が変わっていた。そして、「我が生涯」を観て安心した。やっぱりシャガールは好みじゃないわ~。と言いつつパリのオペラ座の天井画は好きかもしれない(オペラ座込みで)。

コレクション展 現代版画の楽しみ(前期)


アンリ・マティスの「ジャズ」、いいな~。血行がよくなりそう。常設展にしてほしい。

「ヨーゼフ・ボイスのために」のヨーゼフ・ボイスは、『ある画家の数奇な運命』にも登場したデュッセルドルフ芸術アカデミーでリヒターたちに教えていた教授だろうか?この先生が亡くなったとき世界中の芸術家が追悼の作品集に参加したらしい。うへ、ちょっと気持ち悪いと思ったら、フランチェスコ・クレメンテの作品だったりして面白かった。一番印象に残っているのは、全体が白っぽい画面で左下に一瞬ガードレールに見えた点線の端に人がいて右上に長四角のものがある作品。誰の作品だっただろう。

山本容子の「光の大地」。新聞小説の挿絵とのことでほぼ真四角だ。四角の中に神話などからのモチーフが散りばめられていて、これを新聞で見るとなるとかなり小さくて老眼に堪えそうだ。

アンディ・ウォーホルの「アフリカン・エレファント」。大きい。色鮮やか。これが常設展でもいい。

フランシス・ベーコンの「応誦(レポン)」をうん十年ぶりで見た。リトグラフだったのか。脳内でこってりした油絵に変換されていた。
(2022/04/26 高知県立美術館)

福富太郎の眼

感想を書く時機を逸してしまったが、よかったのでやはり書いておこう。
個人のコレクションをこうして披露してくれるのは本当にありがたい。「妖魚」(鏑木清方)なんて何とも惹きつけられる作品を作者は失敗作と言っていたとはビックリ。批判された作品だそうで時代が作者にそう言わせたのだろうか。それを福富さんは評価してコレクトしているのだから、時代に囚われない眼を持っていたということなのだろう。
福富さんの勉強ぶりや作家との遣り取りの様子も解説されていて、思い出したのは小夏の映画会の田辺さんだ。映画監督などと交流し、直にフィルムを借りて自主上映することもあったと聴いていた。思いがけないところで田辺さんを偲ぶこととなったのだが、福富さんや田辺さん(や山田五郎さん)のような人が作家及び作品と私たちを繋いでくれるのだなあと改めて思った。でもって、福富さんが作品を評した言葉が温かくよかったので、著作も読んでみたいと思った。

鏑木清方では「京橋・金沢亭」が意外に好きだった。落語を聴きに来た人たちの様子をスナップ写真のように捉えた作品で味わい深い。ちょっと欲しいと思った。

「軍人の妻」(満谷国四郎)なんて、実物を見れるとは。印刷物では背景と喪服の境がわかりやすいのだが、実物は下の方のシャープな白い線がひるがえった衽(おくみ)であることに気づいてから喪服が浮かび上がった。涙の方は印刷物ではよくわからず、実物で初めて気がついた。

「お夏狂乱」は池田輝方と鳥居言人の二作品あった。池田の方は菊の着物に柳の襦袢で呆けた感じ、鳥居の方は百合の着物にしだれ柳の襦袢で凄みのある感じ。いずれも着乱れて背景は秋だ。凄みのある方がドラマチックで訴えかけるものがあると思ったり、呆けた方が真実味があるかもと思ったり。

萩の庭で猫を抱いた女性が見つめる先には蝶。「秋苑」(池田蕉園)で何を見ているかわかったときは嬉しかった。

「道行」(北野恒富)、綺麗、カッコイイ、好き♥。

着物っていいな。季節感があるし模様を見ていても飽きない。木綿や絹の質感の描き分けは流石プロの絵描きさん。
(2022/02/14 高知県立美術館)

平川恒太 Cemetery 祈りのケイショウ

大変よかった、アーティスト・フォーカス#02。
高知ゆかりの作家を県民に紹介し、作家の応援にもなる、一企画で二度美味しい。ぜひ、今後も続けてほしい。

作品の前に作家が虫食い式の試験問題みたいに一部を伏せ字にした短い文を掲示していた。この伏せ字にはもちろん作家の思う言葉があり、試験問題ならそれが正解と言うべきものだろうが、悪しき歴史を繰り返し、未知の言葉がそこに入るかもしれないという思いもあるだろうし、鑑賞者銘々の思いもあるので、正解がない謎解きとも言える。そして、この謎解きはミステリー小説が苦手な者にも楽しいものだった。
という思いになったのは、最初の作品「The Bells 広島」「The Bells 長崎」の解説を読んでからだった。文字盤に黒い絵が描かれた柱時計と別の箱の中の大きなネジを見ただけではサッパリわからなかったのだが、解説を読んでそういう見方をしていけばいいのかと眼からうろこが取れたのだ。そこから後は、自分なりの謎解きが解説と異なっていようと謎が解けないままであろうと面白くなった。「Black Square」は、「Black Squareのためのドローイング」を見なくても日の丸とわかって嬉しかったし、ドローイングの方はSFみたいで面白かった。おしまいの方では、これがコンセプチュアル・アートというものかと閃いて、初めて接したように感じた。

ほぼ一筆書きのように鑑賞していける展示の仕方もありがたかったが、圧巻は一番奥の区画全体だ。
黒い箱のうえにモービルが揺れている。そのまわりをバババーーーンと真っ黒な絵が取り囲み、区画に踏み込んで振り返った左右の壁には宇宙が広がっている。

壁の宇宙はモービルも込みで「何光年も旅した星々の光は私たちの記憶を繋ぎ星座を描く 夏の大三角」「何光年も旅した星々の光は私たちの記憶を繋ぎ星座を描く 冬の大三角」という作品。私はこの作品が一番好きだ。宇宙の星々は戦争で亡くなっていった人たちのように思える。星の素材となっている従軍記章はネットのヤフオクなどで購入したものらしく、その領収書みたいなものも貼り付けてあって金額が一つ千円もしたりしなかったり。出品者を想像したり、金額などから複雑な思いに駆られる。そういうことも含めて二つの大三角とモービルは独特の美しさがあると思った。

三方の壁の真っ黒な絵は、すべて第二次世界大戦中に「作戦記録画」として陸海軍の委嘱で制作された戦争画を引用した作品とのこと。普段、「あ~、○○が描かれている」とザッと見て終わる絵画も、真っ黒だといったい何が描かれているのか舐めるように観ていくことになる。軍人ではなさそうな人たち?おんな子どもも?自決しているところ?黒い画面に虹色のラメがキラキラして人々が星になったと言っている?そう思うと涙が出そうになる。「Trinitite サイパン島同胞臣節を全うす」だった。
虹色のラメが輝く真っ黒な絵は、その他に「Trinitite 山下、パーシバル両司令官会見図」と「Trinitite シンガポール最後の日(ブギ・テマ高地)」。「Trinitite 十二月八日の租界進駐」「Trinitite 渡洋爆撃」はあまり虹色感はなかった。解説書によると、Trinitite(トリニタイト)は、人類初の核実験(1945年7月16日実施でコードネーム「トリニティ」)で生成された人工鉱物で軽度の放射性物質とのこと。「ラメ=星」?「ラメ=トリニタイト=戦争画=遺物」?
この区画の中心にあった黒い箱は「BLACK SUN BOX」という作品で、レッドサン(日の丸)の黒歴史の核という感じ。

会場は作品の素材となった時計の音(?)がしていて、「現在、過去、未来」の「現在」という「時」を感じさせられた。
ケイショウは「警鐘」「形象」「継承」とのこと。

「死の島(広島)」「死の島(長崎)」「死の島(第五福竜丸)」「死の島(福島)」の4作品は、絵としてはぺらっとした感じなのだが、やはり段々に絵の世界が暗くなっていく内容がよいと思う。4作品いっしょにタグチ・アートコレクションが所有しているようで、よかった。
(2022/01/31 2022/02/14 高知県立美術館)