ロンゲスト・ヤード

爽快。面白かった。
刑務所長や看守長対受刑者という刑務所ものの図式でひどい目に遭わされている受刑者たちが、看守チームを相手にアメリカンフットボールの試合をすることになり、それまでの鬱憤を晴らすという面白さにとどまらず、全力を出し切った後の爽快感(悔いのなさ)が伝わってくるところに感動した。
また、男くさすぎてイマイチ好みでなかったバート・レイノルズが、流れに身を任せた感じで生きている元フットボーラーを演じて味わいがあり、見直した。
70年代のファッション、いいなぁ(笑)。ユーモラスな場面がたくさんあるのもイイ。
試合の残り7秒をスローモーションで描いて手に汗握らせてくれたのは、『カリフォルニア・ドールズ』のロバート・アルドリッチ監督だった。クラッシュを最小限に抑えた冒頭のカーチェイスも見事だった。
(TOHOシネマズ高知2 2011/03/19)

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士

面白かった!
ミカエルをはじめ、警備会社の上司や若い外科医など、リスベットに好意を持って接してくれる人がいるのがとても嬉しい(それで狂卓の騎士なのだろうか)。あ、そうそう3では登場しなかったけれど、前の後見人も!リスベットが前の後見人を訪ねたシーン、温かかったな~。同じく2の登場人物であるリスベットの恋人(?)も泣かせる。彼女が誕生日のプレゼントと言ってくれたシガレットケースで生き埋めから生還するのもよかった。リスベット、みんなに好かれているじゃん。世の中、父ちゃんみたいな人ばかりじゃないよ。3の看守の姉さんもやさしかったし。
それにしても日本でも150cmは小柄な方だけど、巨人の国スウェーデンではビックリな小ささなんだろうなぁ。
ジョディ・フォスターは大人になって歩き方が変わってしまったけど、リスベットの外股歩きよ、永遠に!
三作で終わるのはもったいないキャラクターだった。
(あたご劇場 2011/02/27)

英国王のスピーチ

『ラストエンペラー』で溥儀(ジョン・ローン)を可哀想に思った私は、これほど庶民を不幸にしていいなら私にも総理大臣ができると自信を持たせてくれた元首相小泉何某や現首相にも、同情できる不幸があれば涙するのではないかと危惧していたところ、英国王の言語障害とその原因には一滴の涙も出なかったので、小泉何某に同情することはないかもしれないと若干気が楽になった。
ジョージ6世(コリン・ファース)のユーモアのあるセリフには笑わせてもらった。また、言語障害克服訓練が面白かった。それにくらべて、公式のスピーチの内容はつまらない(としたものだ)。特に映画の最後のスピーチは内容が内容だけに、いかに上手く話せても「よかったね」と感じなかった。ジョージ6世にとってよかったのであって、国民のためにはよいことでもなんでもないと思ってしまった。最初のスピーチが最もスリリングで痛ましくて、ヨーク公には気の毒だけれど映画としてはよかったと思う。
俳優を目指していたライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)が、戦争神経症で言語障害になった人たちをサポートするうち専門家になっていったというのが、非常に印象に残った。
『ヒアアフター』で見かけたデレク・ジャコビが大司教役で出ていて、「また、出たー!」と(^_^;。実はこの人の顔がちょっと怖くて苦手。
灰緑色がきれいだった。
(TOHOシネマズ高知6 2011/02/27)

瞳の奥の秘密

素晴らしい!
死体を発見したときの反応がラテンだ。昨日、北欧の反応を見たばかりだったので、表情の差異に「ラテンだ、ラテンだ」と(心中)騒いでしまった。・・・・いやいや、それが素晴らしいっていうのじゃなくて(笑)。A(エイ)はI(愛)なのだ。Aがない25年間、それは虚しかったろう。(愛する人を失った虚しさ、思い出さえ色あせてしまう哀しさはリカルド・モレラス(パブロ・ラゴ)で十二分に描かれていた。)だけど、ベンハミン・エスポシト(リカルド・ダリン)には、まだ愛する人がいるのだもの。「簡単じゃないわよ」だったとしても、そりゃ、アタックあるのみだ。
それにしてもイレーネ・ヘイスティングス(ソレダ・ビジャミル)の瞳だってベンハミンと同じくらい語っていたので、ベンハミンもわかっていたはずなのに、なぜ、25年前にアタックしなかったのか。映画の中では、その答えをベンハミンの友人パブロ・サンドバル(ギレルモ・フランセーヤ)が語っていた「恋をしていないから、浮いた言葉を掛けられる」。
一目惚れした女性が上司で、本気になればなるほど気後れして気軽な言葉さえかけられないという感じだろうか。奥ゆかしい(自称堅物)イレーネが勇を鼓して誘った日にパブロが殺されるというタイミングの悪さもあった。(そういうことで、この「なぜ」を片付けていいのかという気もするけど。)
瞳に語らせる作品だけあって役者もいいし、アップも多い。モレラスとの25年ぶりの再会後、帰途の車中でベンハミンの思考をフラッシュバックで見せたり、モレラスの家へ徒歩で引き返すベンハミンを逆光でとらえたショットも印象深い。列車の音に重ねて銃を撃ち、銃口からは火花がというシーン、渋い。音楽がなかなかメロドラマ。どこまでが小説かと想像をふくらませることができる。長年の幽閉にもかかわらず、イシドロ・ゴメス(ハビエル・ゴディーノ)の目に力があったことが気にかかった。
(こうちコミュニティシネマ 高知県立美術館ホール 2011/02/24)
[追記]
モレラスがイシドロ・ゴメスを20年以上幽閉していた(懲役刑に処していた)という部分は小説ではないかと思う。そのヒントが、ベンハミンとイレーネの会話にあった。小説の中のイレーネとベンハミンのその後をどうするかという話になって、イレーネは二児の母となり、ベンハミンはどこか山の方で家畜を飼って独り暮らしというようなことだったと思う(早、わすれかけている;;;)。
モレラスは国境に近い山の方で独り暮らしだし(家畜の話も出たような?;;;)、構想していた小説中のベンハミンのその後と符合する。だから、最後に登場したモレラスは、ベンハミンを投影した小説中の人物ではないかと思ったわけだ。何よりイシドロ・ゴメスのために三食作って洗濯して汲み取りもなんて、そんな面倒な(!)と思う。そりゃ、小説でなければ出来ませんよと。
妻のことを忘れられないゴメスに「忘れなさい」と何度も言わせる。それは書き手のベンハミンが、忘れたくても忘れられないことを、忘れた方がよいと思っているからだろう。イシドロ・ゴメスを幽閉していたと書くことによって、友人パブロを殺した犯人も捕らえられ懲役に処せられたと思った方がよいと自分に言い聞かせたのではないだろうか。そうすることによって事件にけりをつけ、パブロの墓参りにも行けたのではないだろうか。