ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ

『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』の感想を毛筆で書いた画像

老頭児に幸あれ

今年のベストワン候補!これは面白くてめっぽう好きな作品だ。全編をトラディショナルな雰囲気が包み込んでおり、SNS全盛の現在、70年代は古きよき時代になったのだと思わされる。また、クリスマス、スノードーム映画としてもよくできており長く記憶にとどめたい作品だ。

1970年のクリスマス休暇を全寮制の学校に居残ることになった生徒アンガス・タリー(ドミニク・セッサ)、監督の教師ポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)、料理長メアリー・ラム(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)は、それぞれの理由で寂しさを抱えている。それが当人たちや関わりのある人たちによって少し、あるいは大いに救われる。

大好きな父親に会うのを禁じられ、母には捨てられた感のあるアンガスは、ひねくれ者ではあるけれど根は人を思いやれて機転も利く頭のいい若者だ。そんな彼もポール・ハナムの救いがなかったら、一生のひねくれ者になったかもしれない。家族以外の人との出会いによって道を踏み外さずにすむ若者を見るたびに、思い出すのが子どもが子どもを殺した事件での有識者のコメントだ。親、友人、それ以外の人のどれもでハートのカードに当たらなかった、どこかでハートに当たっていたら・・・・。子どもの気持ちが少し残っている柔らかい心のこの時期はアンガスにとってラストチャンスだったと思う。

一方、ポール・ハナムは、体も硬いし頭も固い。映画の開巻、寄付金の多い生徒の成績に色をつけろという校長を拒否したときや料理長への敬意は、「いいぞ!」と思ったものの、歴史のテスト結果を配っているときは「う~ん」となり、人との交流に臆病で古傷が癒えないまま、ひねくれて生きてきたことがわかると、ますます「う~ん」。そう、ニンゲン年を食ったからと言って偉くなれるわけではない。まるで自分を見るようである。アンガスを救うため、バートン校を退く決意をしたときには胸が詰まった。クビになったら生きていられないと言っていたのに(涙)。この決意で一気に偉くなった(?)。まるで映画の主人公みたい(笑)。
ロートルの職探しはつらい。なんとか幸せになってほしいと思う。

メアリーの息子はベトナムで戦死した。バートン校はベトナム以前の戦死者からメアリーの息子まで写真を掲げている。1970年以降も写真が増えていっただろう。いや、バートン校に来れない(経済的余裕のない)若者が死んでいるのだろう。いやいや、アメリカ人の代わりに(軍需産業のために)ウクライナやパレスチナで死んでいるのだろう。映画の趣旨とは関係ないことまで思わされる今日この頃。
(2024/08/14 キネマM)

ピクニックatハンギング・ロック

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1980年代に日本で公開されたので制作年も同じ頃かと思ったら1975年とのこと。ピーター・ウィアー監督の初期の作品だ。フィルモグラフィを見たら大好きな『マスター・アンド・コマンダー』も監督していて驚いた。なぜかリドリー・スコット作品と思い込んでいたので。本作はフィルムをデジタル化してのリバイバル。すごく綺麗。空はちゃんと空色だから、オリジナルのフィルムは退色してなかったのだろう。赤茶けた建物や風景はオーストラリアの独自色なのだろうと思った。西部劇なみに乾燥した空気感の中で少女たちの瑞々しさが際立つ。1900年の聖バレンタインデーに、コルセットを締め上げミディドレスに麦わら帽子、手袋、編み上げ靴と真夏に淑女の出で立ちでピクニックに出かける。全寮制の私立学校で教育を受けるお金持ちのお嬢様が、束の間解放されるのが岩山ゆきなのだ。この岩山がいろんな顔に見えて可笑しい(不気味にも見える)。演出(音、間、蛇や蟻など登場)はホラー風味だと思う。原因不明とか行方不明とか、謎というのは人を不安にさせる。私も子どもの頃、友だちに刃物で怪我をさせたことがあった。確かに刃物は持っていたがお互い離れていて私には怪我をさせた記憶が全くなかった。子どもの話を聞いて大人たちはカマイタチではないかとか話していたが、結局子どもに刃物を持たせた親が悪いということで終わった。子どもの私はしばらく(何年も)怖かったが、今は私が怪我をさせたのだろうと思う。怖くて無意識に記憶の差し替えをしていたのだろう。そんなわけで神隠しの類いも(宇宙人の連れ去りとか想像しないではないが)滑落、転落でけりがつくと思っている。海でも山でも亡骸を見つけられないことはあり得る。だから、学校の生徒、職員が行方不明だと親は退学させたくなるだろうし、経営が立ちゆかなくなりそうだと校長もノイローゼになるだろう。と考えていくと本作には謎がなくなる。いくらでも想像で謎解きはできるのだ。そうして、ふと気づく。謎を謎のまま受け入れるのは難しいことなのかもしれない。
(2024/08/04 メフィストフェレス)

重力ピエロ

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愛の蓄積

感動した(ToT)。
弟、春(岡田将生)が二階から落ちてくるのを、兄の泉水(加瀬亮)がひょうひょうと受け止める。ユーモアもあるし(^Q^)、素晴らしい兄弟愛、家族愛ものだ。
この家族には、けっこうな重力が掛かっている。ときおり外圧も掛かって凹むが、結束力は強くなる。それでも春には特別に重力が掛かっていた。兄曰く「生まれたくなかったほどの恨みだよ」。

そして、家族には重力を解き放つ秘策があった。父曰く「楽しそうにしていればいいんだよ」。母曰く「そのうち私たち宙に浮くかもね」。
いやなことが頭に浮かぶのはしかたがない。考えないようにしようと思ってもできない。だから、ところてん方式だ。こだわりを捨て、脳のキャパ以上に次から次へと楽しいことをインプットするのだ。母が笑顔で水をまいている姿、父が養蜂している姿、二人が仲睦まじく向かい合っている姿。兄ちゃんが棒のように突っ立っている姿(笑)。

●遺伝<環境。本当の親は育ての親。血縁の父(渡部篤郎)と息子は、ジンジャーエルがお好き。私は、お酒が飲めないのは遺伝だろうけど、ジンジャーエルは偶然と思う派。息子が嘘をつくとき、自分と同様に唇をさわってしまう癖があることを発見した本当の父(小日向文世)が嬉しそうだった(他人が見れば「血は争えないなぁ」と言うところ(^_^))。

●創作の世界は殺人もオッケー。現実では裁判所は勝敗をつける場所になっていて真実どころか事実さえわからないこともある。連続強姦魔は絶対悪として描かれており同情の余地なし。ジョーダンバット、上等!めちゃめちゃカッコいい父ちゃん(小日向文世)とサイコーの母ちゃん(鈴木京香)が、強姦魔に負けてないところを見せてもらって涙ぐましく嬉しい。創作万歳!

●春の言動や部屋に張り巡らされた偉人の肖像を見るにつけ、どれだけ救命ロープが必要だったことかと感じる。たかが遺伝子、されど遺伝子。本当のことを教えるのは幼い頃の方がよいかも。知らない方が幸せだと思うけれど、口さがない世間の声が耳に入るより早く、年齢に応じた知らせ方をしていった方がいいような気がする。養子縁組とは違うから難しいとは思うし、春の苦しみように変わりはないかもしれないけれど、ある程度は考える手間が省けると思う。

●吉高由里子(夏子役)を初めてよいと思った。

●海の近くの家がナイス。美術さん、いい仕事。スクリーンで見たかった。

(2024/07/11 動画配信)

異人たち

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無敵の愛

いつも曇天、よどんだ空気、ベクトルはマイナス方向、そういう雰囲気が何だか不穏で恐かった。主人公が生きる屍状態である(生き生きと生きていない)ことが、そのだるい重さが伝わってくる。それが、12歳のときに事故で亡くなった両親と再会し、生き生きと生きられなかった彼の事情を話し、彼をまるごとわかってもらい、かつ、変わらず愛してくれるということが、彼の力になっていく。更に、心身ともに結ばれるという相手が初めてできたのだから、これから彼は本当に生き始めるのではないか。・・・・とは思えなかった。というのは、山田太一の原作は読んでいないが、大林宣彦監督の『異人たちとの夏』を昔観ており、彼の愛する相手が死者であることを知っていたからだ。

『異人たちとの夏』では両親は主人公の幸せを願い消えていくのだった。そして、恋人となった彼女は正体を現し、彼を黄泉の国へ連れて行こうとするのだった。彼は彼女を拒否し、生きることを選ぶ。ここから本当に生き始めるのだ。『異人たち』でもそうとばかり思っていたら、驚いたことに主人公は死者である相手を拒否せず、死者とともに生きるという(つまり黄泉の国へ行ったのか?)結末なのだった。

なんじゃ、こりゃーーーー!!!!????

このラストは、生き生きと生きている私には衝撃であった。つまりこれは日本では心中?心中こそ無敵である。究極の愛の形だ。この場合、相手が先に亡くなっているので後追いだろうか。
いや、このラストは、あくまでも象徴的なもので、愛した人が何ものであっても愛することに変わりはないということなのだろう。両親だって亡くなっているのだけれど、彼が愛し続けることに変わりはない。だから、彼は黄泉の国へ行ったわけではなく、死者である恋人を愛し続けるというだけのことなのだ(多分)。
原題は“ALL OF US STRANGERS”。「我ら皆、異人」という意味だろうか。確かに、一人一人異なっており、蓼食う虫と言われようが変人と言われようがお互いさまだ。主人公の父も生前、主人公が同性愛者であることをうすうす感じて隔たりがあったのだが和解できてよかった。お互い違っていても認め合おうとことなんだろう。
(2024/04/20 TOHOシネマズ高知5)