50年後のボクたちは

とても気持ちのいい、思春期全開のひと夏の冒険もの。音楽のセンスもいいし、あんまりギラギラしていないヨーロッパの夏の風景も美しい。風車とかトウモロコシ畑とか沼地とかゴミ山とか、へぇ~、こんなところがあるんだとヨーロッパの今が目に新しい。プロローグの次の場面はベルリンの中学校の教室なんだけど、アメリカ人がドイツ語を話している????ってな感じで、ビックリするくらい生徒の顔も服装も教室の雰囲気もアメリカっぽい。主人公の少年の家がプール付きの一戸建てで子ども部屋も広々なんて!でも、アメリカっぽいのはそれくらいだった。お昼をご馳走になったお家(カトリック?)の周りの様子とか、その後、警察から逃れて自転車とともにさまよう林の感じは今までのヨーロッパ映画で見た感じ。それとロシアから移住してきた男の子が、ときどき美男子に見えた。魅力的な子だった。

不思議だったのは、主人公が変人とされていたこと。頭では少数派がのけ者にされるときの言い訳の「変人」なんだろうとわかってはいても、私の変人の範疇には入らないので違和感があった。また、アルコール依存症の母のことを書いた作文を担当教師が罵倒していたのには驚愕した。あまりに理不尽。教師でさえも変人と思えるほどのキャラクターなのか!?そうとは思えないのに。観客である思春期の(特に少数派で「大人はわかってくれない」と感じている)子どもに共感を得るための方便だろうか?
あまりこだわる必要のないところが気にかかってしまった(^_^;。

とにかく子どもが見ても大人が見ても面白い作品だと思うが、見た大人は子どものやんちゃに対しては寛容にならねばと思うだろう。(もちろん、車を盗られて目茶苦茶にされた人は怒って保護者に賠償を求めるべき。そうしないと主人公のためにもならないと思う。)同時にコンビニの冷凍庫に土足で入った写真をネットにアップしただけで、その店がつぶれるという異様な潔癖社会はあまりに不寛容だと思ったことだった。
(2019/07/06 高知オフシアターベストテン上映会 高知県立美術館ホール)

ドローン・オブ・ウォー

『ダカタ』のアンドリュー・ニコル監督とイーサン・ホークのコンビ作。
これは問題作だ。作品の始末が悪い。100%のエンターテインメントとして作られた作品なら、地球の反対側で性的虐待を繰り返していた人物をアメリカ軍のドローンで攻撃し、溜飲を下げる主人公というのも「あり」かもしれない。しかし、閉鎖的空間で昼夜を問わず(昼夜がわからなくなる)無人機で爆撃し、目標以外の民間人を巻き添えにしたうえ、一体一体の成果を確認せねばならず、「あー、また戦闘機をかっ飛ばしたいよー」という望みは絶たれ、つらい任務のことは話せないし話したくないから妻も理解してくれず家庭は崩壊で「苦しいよー」という作品として作られているので、そんなことで溜飲を下げてもらっちゃ、困惑以外の何ものでもないのだ。善意に解釈すれば、「平気で私刑にして溜飲を下げる。アメリカ(人)の正義感なんて高々そんなもんよ(自嘲)。」という作品になるはずが失敗したのかもしれないが。

数年前、平和を希求するものは軍事を知らなくてはならないと気がついたが、その後、気がつく前と後で情報量がまったく変わらないままということにも気がついた。そこで本を読むでもなく映画に走るのがワタクシらしいところ、眉につばを付けながらでも『ドローン・オブ・ウォー』を見たかった。見てよかったのは、楽な殺人と思っていたドローン殺人が精神的に苦であるとわかったこと。どうやら、成果の確認が苦につながっているらしいこと。確認の必要がなければ楽なのか???

一応、どこまで事実か心当たりを検索したらあった。
スパイク通信員の軍事評論映画評『ドローン・オブ・ウォー』によると、この映画は無人機の操縦士は人手不足で米空軍がボーナスを増額したりして引き留めに躍起になっている事実を反映しているとある。また、成果の確認のために心的外傷を負う操縦士もいるようだ。(2015年当時の情報)

そして、誤爆関連で口直しの映画(^o^)
『イーグル・アイ』
(2019/04/07 DVD)

ロンドン、人生はじめます

大人の恋は手っ取り早くていいなぁ!ショートカットの連続だ(笑)。
特に感心したのは・・・・。→エミリー(ダイアン・キートン)がドナルド(ブレンダン・グリーソン)を自分の住まいに招待した後帰宅すると、彼女の誕生日のサプライズにご近所さんのみならず、彼女に対して下心ありの会計士(彼女の方も彼に対して別の下心があったのだけれど)も集まっていた。そこへ招待されたドナルドが意気揚々とやってきて、並んだエミリーと会計士を見て憤然と去って行く。この誤解を解くのに説明が簡潔、説明されると誤解もすぐ解ける。相性もあるのかもしれないが、長年世間と人を見てきた大人ならではのあうんの呼吸だと思った。

一番おどろいたのは、エミリーが「この家では暮らせない、もっとちゃんとしたところで暮らしましょう」と言うところ。ドナルドのあばら屋を素敵だと思っていたのは本心だし、裁判で所有権を獲得するのを応援していたし、ドナルドがこの家に愛着を持っているのはわかっているはずなのに。
しかし、考えてみるとエミリーの言うことは正しかった。彼女は自分がどんな人間か解っている。あばら屋で実際に暮らすまでもなく、暮らすとどういう結果が待ち受けているかわかっているのだ。

結末は実に清々しい。パートナーといっしょに暮らすのが最善としたら、エミリーとドナルドのように互いの家を行き来して暮らすというのは次善なのかもしれない。だけど、エミリーとドナルドにとっては、あの結末が最善だと思う。いろいろ経験を積んだうえに獲得したのが、新しい価値観=自分に最も適した暮らしというのは幸せなことだ。
(2019/04/20 あたご劇場)

鈴木家の嘘

モヤモヤ、ぐるぐるとした作品で晴れない。
長男(加瀬亮)の自死に残された両親(原日出子、岸部一徳)と妹(木竜麻生)が悶々とするのだから無理もない。叔母(岸本加世子)、叔父(大森南朋)なども出てきてコメディタッチにしているのだけれど、役者の好演でもっている感じだ。
長男よ、病気の自覚がなかったみたいだが、明らかに心の健康を損なっていたね。家族でも心医者でも宗教でも、他の解らない何かにでも独り言でも呪文でもいいから「助けてくれ」と唱え続けてほしかった。
父よ、お疲れさん。
妹よ、最後の最後であっても相手が亡くなっていても謝れてよかったよ。
母よ、包丁の使い道は、それしかないよねー。
(2019/04/18 あたご劇場)