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タグ: 映画
殿、利息でござる。
ウェルメイドな作品でござる(^_^)。
山びこのところが笑えた~。
あとはホロリと(;o;)きた~。
なんか知らないことばかりで色々と勉強になったけど、「ええーっ」となったのが、銭と小判。
千両相当の寛永通宝ウン万枚と金の小判の値打ちがちがうということに驚いた。
百円札が今なら百円以上の値打ちがあることや、国際通貨のレートが変わることといっしょか。
お金の値打ちって相対的なものなんだ~。
それと出資した人たちが、お金を出したからと言って偉ぶらない(出資したことも内緒)という決まりを守っているのがよかった。
それで思い出したけど、私はネーミングライツというのがあまり好きではない。市民の財産にはそれにふさわしい名前がいいと思う。何とかホールとか企業名をつけるのは感心しないな~。企業名を付けるのは、建ててからにしてほしい。
(2016/05/15 TOHOシネマズ高知2)
レヴェナント 蘇えりし者
冒頭の場面、川に近いところで一団が動物の皮をはぎ、肉をむさぼるのを見て、その食べ散らかしように「なんて野蛮な」とどん引きだった。その野蛮人から「野蛮人」と呼ばれているのが、原住民のインディアンなんだけど、野蛮どころか大自然の恩恵にあずかり又は脅威にさらされながら智恵をみがき、誇り高く生きている。作り手のインディアンに対する敬意を感じて、「インディアン=悪者」から『ソルジャー・ブルー』『サンダーハート』『ラスト・オブ・モヒカン』などを経てここまできたかの感がある。これは現代文明があまりに人間中心に発展しすぎて環境破壊が進み、このままでは人類の存続さえ怪しくなってきた今、自然とともにあったインディアンの生き方に注意が向けられたということではないだろうか。そんなわけで、映像も音も自然の描写にたいへん心を砕いているのだろう。とりわけスケール感があったのがよかった。
もう一つ、「今どきの作品だなぁ」と思ったのは、同じ種で闘う愚が描かれていることだ。グラス(ディカプリオ)は息子の仇フィッツジェラルド(トム・ハーディ)と掴み合いの死闘をくりひろげるのだが、熊との闘いと比べて「それ、本当に必要?」と思わされた。
それにしても、復讐は人事にあらずという智恵を持つインディアンたちも、仲間同士で争っており、侵略する方にとっては思うつぼだ。『セデック・バレ』とかもそうだったけど、支配者は仲間同士を争わせてうまいことやるなぁ。
ディカプリオは悲願のアカデミー賞主演男優賞を受賞できてよかった。私の中では『ギルバート・グレイプ』『グレート・ギャツビー』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に次いで4個目のオスカーだけど(^o^)。
トム・ハーディが出演していたとは全く気がつかず。トム・ハーディの見分け方を教えてくださいm(_’_)m。
(2016/05/03 TOHOシネマズ高知2)
ナイトクローラー
ナイトクローラーって大ミミズって意味なのか~。
夜、這い回る人でもあるのでしょう。
どちらにしてもお天道様は苦手でしょう。
ルー・ブルーム(ジェイク・ギレンホール)は、吸血鬼の形相だった。これは狙っていると思う。人の生き血が飯のタネ。
彼以外の人たちも、お天道様に顔向けできなさそうな人が揃っており、「世も末」感たっぷりで、むかむかするのに面白いという、実に困った作品(時代の映し鏡)である。
事件、事故の報道は大概無用、衝撃映像特集も大嫌いというのは少数派なのか、需要があるから供給がある式にそういうニュースや番組が引きも切らない。ニーズに合わせて売れるニュースを提供するのは自然な流れなので、ニーナ(レネ・ルッソ)を責められたものではない。彼女が職(生業)のために自尊心まで売り渡すはめになったのは、そういうワイドショー的なニュースを求める私たちのせいでもある。
教育とは良心を育てることだと言ったのは、なだいなだだったけれど、法に触れなければOKというニーナも、法に触れてもバレなければOKというルーも、倫理観はどこにいったのか、どうやら充分な教育を受けてないみたいだ。拝金教がはびこってお天道様や神様の部が悪くなっているんじゃないだろうねぇ。
ルーは特異なキャラクターだ。勉強熱心で自己実現のためというか有能さをアピールするためにこの仕事をしているように見えた。能力を発揮できる仕事に就けて喜ばしいことだ。彼にとって報酬は有能さのバロメーターだから言い値は際限なくつり上がるぞ。それにしても彼の能力ってなんだろう?考えて倫理観の欠如ぶりではないかと思った。時流の波に乗って飛ぶ鳥を落とす勢いのルーだが、おごれるものは久しからずで、そのうち刑務所でまた別(?)の能力を発揮することになるだろう。
(2016/05/07 あたご劇場)