ライゲイトの地主

ホームズが過労のためリヨンで倒れ、その知らせの電報から24時間のうちにワトソンは病床に駆けつけた。「ヨーロッパが彼の名声で沸き返り、部屋は祝電の山で文字通りくるぶしまで埋まりそうだというのに暗い抑鬱状態に落ちこんでいた。」いや~、ホームズ、働いてるわ~。

ふたりは一旦ベイカー街に帰ったけれど、すぐにサリー州のライゲイトへ療養しに行くことになった。もちろん、医者であるワトソンの勧めだ。ところが、事件がホームズを呼ぶのかホームズが事件を呼ぶのか、ワトソンのにらみ(願い)も利かず、ホームズは殺人事件の捜査に乗り出すことになる。地元の警察にも頼られるし、本人も嫌いじゃないからして(笑)。

それで療養に来ているのをいいことに仮病をよそおったり、ガッシャーンとテーブルをひっくり返してワトソンのせいにしたり(仮病に騙されたワトソンもそのへんは心得ていて自分でテーブルをもとにもどしたり)で、事件はスッキリ解決。「ワトソン君、田舎での静養は大成功だったよ。ぼくは明日には、大いに元気になってベイカー街へ戻れるだろう」という落ち(笑)。
冒頭の抑鬱状態は、大きな事件を解決して「次」がなかったからという気がする(^_^;。これでは、ヒマすぎるとき、コカインをやりたくなるのも無理はないか。
(題名は「ライゲートの大地主」という訳が威勢がよくてよかったなぁ。)

マスグレイヴ家の儀式

ある冬の晩のこと、ワトソンがホームズに書類の山をどうにかして、もう少し住みやすくしてはどうかと提案したら、ホームズはブリキの箱を引きずり出して「この中にはどっさり事件がある。どんな事件があるか君が知ったら、ここへしまい込むんじゃなく、引っぱり出してくれと頼むだろうな。」と言う。ワトソン、釣られる・・・(笑)。
で、ホームズが若かりし頃の事件を話して聞かせる。マスグレイヴ家の儀式で唱えられる問答文から、宝のありかを探り当てたという話。

私にとっては宝探しゲームは、けっこうどうでもよくて、それよりこの短編の書き出しからして笑えるのが気に入っている。

私の友人シャーロック・ホームズの性格で、しばしば私をあきれさせる異常な点は、思考方法においては全人類中もっとも緻密で体系的であるのに、その上衣服はいささか地味にお上品ぶる癖があるにもかかわらず、個人的習慣となると同宿人の気を狂わせかねぬほど、だらしがないということだ。(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第2巻P140)

その後、だらしのなさの描写がつづいていくのだが、ワトソンは自分もアフガニスタンで荒っぽい仕事をしていたので、だらしのなさに掛けては相当なものだがと比較したうえで恐れ入っているのでよけい可笑しい。

ロンドンのシャーロック・ホームズ博物館では、ふたりの部屋が再現されていて写真でしか見たことがないけれど、いごこちがよさそうだった。BBC「シャーロック」の部屋もいごこちがよさそう。だらしのなさに掛けては私もいい線行っているので、そう感じるのかもしれない。

緋色の研究

A Study in Scarlet
「緋色の研究」というタイトルは誤訳だというのをどこかで読んだ記憶がある。それでだろう。「緋色の習作」と訳したものもあったと思う。どうして誤訳なのか気にかかっていたんだけど。

きみがいなかったらぼくは出かけなかったかもしれないし、こんな生まれてはじめての面白い研究を、あやうく逸するところだった。そう、緋色の研究というやつをね。たまには、少々絵画的な表現を使ったってかまわんだろ?(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第3巻P84、中野康司訳)

このあとベアリング=グールドの注が入っている。

(略)この時代絵画にはしばしば「何々色の研究」という題がついていた。たとえばホイッスラーには「緑と金色の夜想曲」と題する作品があり、また彼の母親の肖像画はしばしば「黒と灰色の研究」と呼ばれた。

なるほど、絵画だと「研究」ではなく「習作」というもんね。
だけど、ホームズは上記の引用に続けて、

(略)人生という無色の糸かせのなかに、殺人という緋色の糸が一本まじっていて、われわれの仕事は、そいつを解きほぐし、ひき抜いて、端から端まですっかり白日のもとにさらすことなんだ。

と言っているので、「緋色の研究」でいいじゃないかという気がしてくる。ただし、「緋色の習作」と訳したのなら、それなりに続きを訳すだろうから、結局原書を当たらないとわからない。そこで、ふふふ、いつか読む日もあるだろうと思って買っておいた原書を引っぱり出して・・・・・と思ったが、いつか読む日は決してあるまいと処分したことを思い出した(爆)。まあ、あったとしても読めないので処分して正解である。(話のタネになってよかった。)

で、久々に読んだ「緋色の研究」は、これがめっぽう面白い。ホームズ27歳のとき、ワトソンと出会い、同居を始めて間もない頃の事件だ。ワトソンの一人称で書かれた第1部は、珍種人間に出会ったおどろきに満ちている(笑)。第1部の最後で犯人ジェファーソン・ホープが劇的に捕縛され、第2部は、事件の発端となった十数年前のアメリカでの物語となる。これがまたドキドキハラハラの連続で、ドイル卿は読者の心をわしづかみにするのが本当にうまい!

BBCの「シャーロック」第1話「ピンク色の研究」で犯人はタクシーの運転手だったが、こちらは辻馬車の馭者。毒薬とダミーを用意して、相手にどちらか選ばせて同時に飲むというのもBBCは踏襲している。まことのシャーロッキアンは、「シャーロック」を観てそういう相似性や微妙な違いを楽しめるのだろうが、私は本を読み返してBBCとの違いを楽しんでいる。
「シャーロック」シリーズ3は「空き家の冒険」から始まるだろうから、それまでに読み返して、まことのシャーロッキアン風にも楽しむぞ~(笑)。

ジェームズ・ホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント 第1番 画家の母の肖像」
「緑と金色の夜想曲」の画像もあった。
Arrangement in Grey and Black No.1
Nocturne: Blue and Gold —Old Battersea Bridge

グロリア・スコット号

ヴィクター・トレヴァーのブル・テリアがホームズの足首に噛みついて離れなくなったことがきっかけで知り合い、トレヴァー青年がよくお見舞いにきてくれたため二人は親友となったとのことだ。

ホームズ曰く、

彼は活動的で血気さかんな男で、エネルギーと元気に満ちあふれ、ほとんどの点でぼくと正反対だったが、二人ともある共通の関心をもっていることがわかった。彼もまたぼくと同様友人のいない男だとわかって、これが二人を結びつける絆となったわけさ。(東京図書、シャーロック・ホームズ全集第2巻P99)

う~ん、活動的で元気な青年に友だちがいないってことがあるだろうか。もしかして粗暴だから友だちがいないのかしら。でも、そんな人がよくお見舞いに来てくれるものだろうか。荒っぽいけど細やかな気遣いができる人が、いないわけではないけれど。
もしかして、ホームズは友だちが出来たのが嬉しくて、相手も友だちがいないと思いたかったのかも。その思い込みが、流石のホームズの目を曇らせたと(笑)。

ホームズ物語に犬が登場したときの書きぶりを研究したものあり。犬は噛みついたり吠えたり吠えなかったり。あまり好意的に書かれてないので、コナン・ドイルは犬嫌いかもと結論づけられていたように記憶している。

「グロリア・スコット号」はホームズ20歳のときの事件。トレヴァー青年の父親が、ホームズの推理力に驚き、職業にするように勧めた。