5日のつづきです。
「身替座禅」は、奥方玉の井(歌六)がチャーミングだった。「ぜったい浮気はさせまいぞ」という気持ちと、座禅を組む右京(仁左衛門)を気遣う気持ちがよく伝わってきた。夫が座禅を組んでいるものと思ったら、太郎冠者(愛之助)が身代わりに座っており、当人は浮気をしていると知って地団太を踏む様子は、なんとも可愛い。男の声で夫や太郎冠者を脅すのも笑えた。
仁左衛門はコメディやっても色っぽいねぇ。
愛之助は「鳥辺山心中」の半九郎も「鳴神」の上人も悪役っぽい雰囲気が漂っていて、私はどちらの役も合ってないような気がしたが、「身替座禅」の太郎冠者は安心して見られた。
「鳥辺山心中」の半九郎は清廉な感じがほしい役だと思った。将軍のお供で上洛している間、祇園の遊女お染(孝太郎)を好きになり、明日、国もとに帰るというとき、お染を連れて行くことが叶わなくても、せめて身請けをしてやりたいと、家宝の刀を売ろうとまで思いつめる役だ。その一途さは純粋で美しく感じられるものであってほしい。
そうでなければ、その後の展開・・・・・竹馬の友市之助(秀太郎)にやんわりと諌められ身請けを諦めるが、くすぶる気持ちを酒に紛らわせているところ、源三郎(薪車)にいちゃもんをつけられたうえに、お染を突き飛ばされ、ついにプッツン来て相手を斬り殺し、切腹させられるなら心中を・・・・・という展開に同情できない。
愛之助の半九郎は、世慣れた感じがして、上記のどこかで自分自身で歯止めを掛けられそうな人物に見えた。歯止めを掛けられなかったのは「酒ゆえ」であって、「お染ゆえ」に見えないところが残念だった。
以上「鳥辺山心中」を見たのは初めてなのに好き勝手に書いてしまったが、もともとこんなお芝居なのかもしれない。