昭和の映画館へ行こうと甥(中学入学)を誘い、あたご劇場へ行ってきた。ついてきた今度小三になる甥は、30分もすると座席のうえでもそもそしだし、以後、2時間、悶え続けていた(笑)。この甥が「映像が悪かった」と言ったのは鋭い。
前回、あたご劇場で初めて観た『二十四の瞳』は、このうえなく美しい映像だったが、今回は大雨のうえに、ところどころ音が飛ぶほどに切れていて本当に残念だった。
中学生になる甥にわからなかったところはないかとたずねると、ないとの答え。「昭和の映画館」という惹句は魅惑的ですぐ乗ってくれたが、作品の方は甥には難しかったのかもしれない。
前回と同様に大石先生(高峰秀子)は美しかった。初めて出席をとるときの表情や声音の清々しさといったらない。アカと間違われることを恐れる校長から、本音の授業をしたことを諫められたときの不服そのものの表情に痺れる。夫の船と行き違うときの輝く笑顔も忘れがたい。偶然、奉公中の松江と遭い、食堂の女将の様子から状況を察して暇を告げるとき、松江に注ぐ瞳の表情は胸に迫るものがあった。(この後、松江が先生を追いかけていき、出航した船を見送るシーンは、船の進行方向と松江が泣きながら歩いていく方向が同じで、遠景に長い間船が見えるのでよく泣ける。)戦後、教え子から自転車を贈られて、涙を浮かべた表情もじ~んとくる。
桜のほか、海や山、乾燥した風景、雨(ラストシーンは雨合羽の自転車がさっそうと学校へ向かう)、出兵する人たちの見送りや葬送の行列などの引きの絵が多いので、大石先生や子どもたちのクローズアップが映えるのだと思う。また、おなじみの唱歌が効果的に使われてもいた。たとえフィルムが痛んでいても、記憶の中でどんどん美しくなっていく。私にとって、この映画は、美しいからこそ名作なのだなぁ。
(あたご劇場 2011/04/02)