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喜怒哀楽のようなものは感じなかったけれど、かなり頭を刺激された。
撮影と美術が素晴らしい!いいセリフもあったし、演者の皆さんもとてもよかった。見応えのある作品だ。
唐谷:東大全共闘議長(長塚圭史)、前橋:京大全共闘議長(山内圭哉)は本物感があるが、梅山、実は片桐(松山ケンイチ)はいかにも薄っぺらい。先輩記者中平(古舘寛治)の忠告もあったのに、沢田(妻夫木聡)は、なぜ、乗せられたのか(乗ったのか)。誰かが何かのために善かれと、リスクを伴う活動をしている。自分は傍観者でいいのか。そういう思いから、報道で援護射撃をしたかったのか。それとも、スクープほしさか。いやいや、単に梅山がCCRを知っていて宮沢賢治を好きだったから、心を許してしまったのか。
沢田は気迫で梅山に負けている感あり。それは「本物」になりたいという思いの強さの差のような気がする。沢田には「本物」になりたいという気持ちはなかったと思う。多分シンパどまりなのだ。一方、梅山は「本物」が何かわかってなかった(とほほ)。
片桐の正体について、本人も無自覚か。安宅(石橋杏奈)、浅井(韓英恵)、柴山(中村蒼)も似たようなものかもしれない。時代の波に飲み込まれた若者の心理がわかりやすい。こういうことで浅間山荘につながっていったのだと思える。
倉田眞子(忽那汐里)って、何のために存在していたのか。波をかぶらなかった下の世代代表か。波をかぶったとしても、若年なりに自分というものを持っていると流されることはないと言うための存在か。それとも「男の涙」についての伏線で必要だったのか。「男の涙」発言は際だった感あり。ここは際だたないような演出の方がよかったかもしれない。
タモツ(松浦祐也)と再会して、沢田が泣くのはここか。ジャーナリストとして情報源を秘匿したことに悔いが残っていたのか。片桐に欺されていたと認めたなら、情報源を黙っている必要はなかった。当時は欺されていたと思ってなかったが、あとで考えると欺されてたってことか。それとも、情報源を秘匿したことに悔いはなく、ジャーナリストとしてのプライドを貫き通したがゆえに辞めざるを得なかったこと、自分がどれだけ「記者」になりたかったかを思い出しての涙か。センチメンタルではあったが熱血だったし若かった。現在の沢田は息を潜めて生きているようだ。ぽっかりと大きな空洞のようなものが感じ取れる。空洞いっぱいになりそうな涙だった。
監督:山下敦弘/脚本:向井康介/撮影:近藤龍人/美術:安宅紀史
(2011/06/04 TOHOシネマズ高知4)

「マイ・バック・ページ」への2件のフィードバック

  1. お茶屋さん、こんにちは。
     今日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参りました。
    >沢田は気迫で梅山に負けている感あり。それは「本物」になりたいという思いの強さの差のような気がする。沢田には「本物」になりたいという気持ちはなかったと思う。多分シンパどまりなのだ。一方、梅山は「本物」が何かわかってなかった(とほほ)。
     いつもながらの簡にして明の核心を捉えた抽出に感心至極です。最後の沢田の涙には、そういう自分の根張りのなさを偶然にも久しぶりに再会した旧知から得ての部分もあったのでしょうね。
     どうもありがとうございました。

  2. ヤマちゃん、直リンク&コメント、ありがとうございます。
    沢田は、これくらいの歳月を経ないと泣けなかったんでしょうね。どこかで思い出すのを避けていたというか距離を置いていたのでしょう。逃げというか防衛本能というか。沢田らしいですね(^_^)。

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