この空の花 長岡花火物語

賛否があるのはもっともだと思う。私自身は可もあり不可もありといった感じだ。おしまいの方は、過剰さと繰り返しとに疲れてきて、もう結構といった感じだった。ただし、この映画の趣旨は大いに買っているし、表現方法はとても面白いと思っている。

歴史を学ばず欺され続け、事件・事故の検証も不十分なまま流されていく日本人に対して(私自身が学んでいるわけでも行動を起こすわけでもないが)、どこまでも欺され流されたらいいわと、どうでもよくなっていた今日この頃、「歴史を学び、名も無き人の声を聴け」と声を大にして繰り返し唱える大林監督のパワーには敬服する。東日本大震災後の作品としてもポジティブでよいと思う。

いつどこで何がどんな原因で起こり、その結果何人亡くなったというような歴史を学ぶだけなら、当時生きていた人々への共感性はなかなか得られないだろう。証言を聴いたり読んだりする中で当時の人々へ想像が及ぶようになり共感性も生まれるのではないだろうか。遠藤玲子(松雪泰子)が「あなた、お名前は?」と尋ねて、防空壕の中にひたすら水を掛けていた少年が答える。歴史上の人物の名前を覚えるのも大切だけど、名も無き人々へ思いを馳せることも大切だと作り手は言っているように思う。

表現方法については、ワイプでの空間移動など大林監督らしい~と嬉しくなった。山古志の片山健一(高嶋政宏)の部屋の窓から棚田が、天草の玲子の部屋からは海が見える、その見え方が絵のようで面白かった。セリフでの説明を字幕でも繰り返し、念をおす格好になっていたのは、小学校で「六年生のお兄さん」「お姉さん」「ご卒業、おめでとうございます。」「おめでとうございます。」という繰り返しに思えて面白かった。登場人物がカメラに向かって話すのも、昭和と平成や、演劇と映画とアニメや、その他諸々がごっちゃになっているのもヘンテコリンでよかった。空襲のシーンや花火のシーンも綺麗だった。

私自身、花火を比較的近くで見たとき、空襲や大砲を連想したので(ドーンというのは爆発音、ヒュ~~というのは焼夷弾の落下音みたい)、元木リリ子(富司純子)が打ち上げ花火を怖がる気持ちはよくわかる。広島・長崎で被爆した人たちが、キノコやブロッコリーなどから原爆を思い出して辛さが蘇るという新聞記事を読んだときもあまり驚かなかった。ハリウッド映画で核爆弾が軽々しく扱われているのに対して憤慨した日本人の感想を目にしたこともある。これらは感じる方も感じさせる方も、どちらも止められないが、傷ついた人の気持ちを想像できるくらいにはなりたいものだ。そんなことも思いながら観ていた。

監督:大林宣彦
(高知オフシアター・ベストテン上映会 2013/07/06 県民文化ホール(グリーン))

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