こんな日本映画を観たかった。阪本順治監督のオリジナル脚本が素晴らしい。普遍的な人間関係(親子、夫婦、友だち)と現代日本の問題(過疎化が進む地方、いじめ、自衛隊員の自殺など)がガッチリと組み合わさっている。省略が利いたセリフに現実味があるし、エピソードも真面目でユーモラスだ。伏線の張り方もうまい。
タイトルの趣旨をダイレクトにセリフにしたシーンも見事だ。元自衛隊員で世界を見てきた瑛介(長谷川博己)が、生まれ育った町で炭焼きをしている紘(稲垣吾郎)に「お前は世界を知らない」と言う。紘は「そんな難しいこと言うなよ」「こっちだって世界なんだよ」と返すのだが、紘の二つのセリフは随分と離れていて、いくつかのエピソードが挟まれている。世界とかあまり考えずに暮らしていた紘だから「難しいこと言うなよ」になるのだろうし、「世界って何だ」という引っかかりと、炭焼きで生計を立てながら思春期の息子に接する苦労を客観的に見ることができて初めて「こっちだって世界だ」になるのだろう。二つのセリフが離れているのは必然なのだ。
別の場面でも、瑛介が炭焼きの仕事を手伝いながら「こんなこと一人でやってたのか」と言っており、瑛介だって紘の世界を知らなかったことが描かれている。このような場面とセリフの積み重ねで、世界の片隅であろうと中心であろうと一人一人が精一杯生きている、それが大切なんだというタイトルに込められた意味が浮かび上がってくる。
ここまで紘と瑛介のことしか書いていない(^_^;。正三角形のもう一辺を成す光彦(渋川清彦)のことをどうしても書かねばならないのに。う~ん、正三角関係って最強!ってことだけ書いておこう。
好きなカットも書いておこう。紘の心象風景を表したカットが2回差し挟まれる。緑の木々の中で倒木か何かに腰掛けている紘。2回目は緑の木々が釜の中の炭のように赤く染まっていく。「孤独の時間(とき)」、何とも言葉にしがたい感慨があった。
役者は皆よかったが、吾郎ちゃんだけ書こう。吾郎ちゃんが出たての頃、SMAPのメンバーとも知らず(SMAP自体を知らなかったと思う。)主演映画を観に行ったことがある。「稲垣吾郎って、とてもいい名前、どんな人だろう(男前に違いない)」と思って。SMAPのメンバーを覚えてからは、吾郎ちゃんの地に足がついてない感が好きだった。デレク・ジャーマン作品がいいとか話していたなぁ。地に足がついた役が、なかなか嵌まっていてよかった、よかった。
見終わって、母が「よかったで。」と言うので、どこがよかったか尋ねると「ぜんぶ!」とのことだった。
(2019/02/17 TOHOシネマズ高知8)
お茶屋さん、こんにちは。
立秋を迎えたので、暑中お見舞いとはならないのかもしれないけど、むしろ暑さは盛りだよね。暑中見舞い以上に遅れての御挨拶は、前々回の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借した報告とお礼のほうだけど(詫)。
ほんとに「世界の片隅であろうと中心であろうと一人一人が精一杯生きている、それが大切なんだというタイトルに込められた意味」が浮かび上がってくる「オリジナル脚本が素晴らしい」作品だったね~。もしかすると、お茶屋さんも感じているのかもしれないけれど、本作の構想には『この世界の片隅に』が影響を及ぼしているのかもしれない気がしました。
どうもありがとうございました。
ヤマちゃん、立秋だけあって夕方の光線が黄色がかってきましたよ~。山の木々もギンギンギラギラは収まって、くたびれているし。でも、おっしゃるとおり、日中の車の運転はエアコン、ガンガンです。
『半世界』をみて、『この世界の片隅に』を想起しましたが、阪本監督の構想に影響を及ぼしているとまでは思っていませんでした。パンフレットで監督が、近年大きく構えた作品や『エルネスト』とか海外で製作したりとつづいたので・・・とこの作品を作った動機を語っていたので、あーそうかと私の思考がそこで止まっていたのね。
ともあれ、ふところの深いよい脚本を書けたものです。「映画はスターを観るものだと思っている」とのことで、今後も楽しみだなぁ。
リンクとコメント、ありがとうございました(^o^)/。