殺される側からのレポート。やはり、子どもが傷つくのは胸が痛い。もし、現場にいることになったら爆撃の音には耐えられそうにない。主に病院で撮影されているので、運び込まれる傷ついた人たち(意識不明の妊婦さんを帝王切開する場面もあった)や、病院を狙って爆撃する非道(粉塵に穴の開いた壁、そして、またしも傷ついた人たち)が映し出される。
それだけではなく、一個の柿に満面に笑顔のお母さんや、絵を描く子ども、歌う大人、結婚式、新居の美しい庭(ブーゲンビレアがあった)などの日々の営みも写しているため、私たちと変わらない人たちが酷い目にあっていることがわかる。
このドキュメンタリーの監督でありカメラマンであるワアド・アル=カティーブは、アレッポが政府軍に包囲され降伏する形で退去するとき、娘に故郷の記録を見せてあげるために撮影しておくと言っていた。しかし、当初の目的はインターネットに映像をアップロードして世界の人々に状況を知らせて助けてもらうことだった。だけど、パレスチナの人たち(沖縄も)がもう何十年も放っておかれているように、ワアドさんたちの殺される状況は変わらなかった。殺す側の情報に晒されている私たちは知らないのだ。知ってもなかなか行動に移さないのだ。
行動に移さない私には、ワアドさんと彼女の被写体となっている医師(夫)の選択がまぶしい(敬服)。トルコにいる父に会うため、二人はアレッポをあとにするのだが、引き留める父親たちをあとにして再びアレッポに戻るのだ。戦場は出るのも大変だが戻るのも大変。戻った理由は患者のためと言ってはいたが、仕事への使命感だけではないと思う。仲間がいるからじゃないかなぁ。仲間は裏切れないでしょう。心強いし。戻ってきた彼らを迎える人たちを見てそう思った。
このドキュメンタリーの最初の方からアレッポを出る人、残る人の話がでてきたが、出る人は難民となるわけだ。日本が戦場になったら、どこへ逃げよう・・・又はとどまるか・・・・って、そんなこと考えるより戦場にならないように考える方が先か(ははは)。
内戦前のシリアを旅行した人の話では、緑豊かでとても美しかったとのことだった。その他にも人や食べ物などよい印象しかなく、内戦の様子を見聞きして悲しがっていた。
(2020/08/31 ゴトゴトシネマ メフィストフェレス2階シアター)