アマンダと僕

青年とその姪っ子が、ともに愛する人(青年の姉)を突然失った喪失感を共有し、ともに生きていこうとする再生の物語・・・・のつもりで観ていたので、いつ、姉ちゃんが亡くなるのか(自転車に乗っていたので交通事故に遭いそうで)ハラハラしていたら、いつまで経っても事故は起きず。忘れた頃に事件が起きてビックリ。無差別殺傷事件に遭ったのだ。

ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)とアマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の物語であると同時にフランスで実際に起きたテロで傷ついた人々へのメッセージでもあった。テロで心身ともに傷ついた人、身内や知り合いを亡くした人、後遺症やPTSDに悩む人、犠牲者の知り合いの知り合い。大勢の人が事件前とは全く異なる状況に陥り、先が見えず、不安にかられ、フランスは人生は「もうおしまいだ」と感じたときに「大丈夫。おしまいなんかじゃないよ。」と寄り添うような作品だった。

ダヴィッドは、若いし、子どもを育てる自信が全くない。アマンダを施設に預けることまで考える。夜中に突然泣き出し、涙をこらえきれないアマンダの傍にいてオロオロする。母を亡くした子どもにどう接してよいかわからない。深く傷ついた人にどう接すればいいのか。してあげられることはあまりないかもしれないけれど、寄り添うだけのことでも力になると信じたい。
ダヴィッドだってアマンダにパワーをもらっている。アマンダは存在するだけで、いのちのシャワーをダヴィッドに浴びせている。子どもは特別だな。でも、誰かのために寄り添うとき、自分でも気づかないうちに力を得ているんじゃないだろうか。
二人が歩くとき、離れて歩いたり手をつないだり。同じ方へ。つかず離れず、寄り添うのがイイと思う。
(2020/11/27 DVD)

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