香川県の被差別部落から行商に来ていた一行が、関東大震災の後、千葉県の福田村で朝鮮人と間違われて9人が虐殺された事件を基に作られた作品だ。シベリア出兵、朝鮮の三・一独立運動、被差別部落解放の水平社運動が巧みにドラマに組み込まれている力作で感動した。
戦死者の遺骨での帰還や残された妻たちの心の隙間、空威張り自警団会長、朝鮮人と交流を求めていた者の挫折などが時代背景としっかり結びつけられていたと思う。また、新聞編集部長と若い記者を登場させることによって現在に繋ぐ客観的な視点も確保されていた。関東大震災後のデマにより犠牲となった劇作家(社会主義者)、飴売りの朝鮮人なども印象に残る場面となっていた。重層的によく考えて作られた作品だと思う。
特に、村人に囲まれ朝鮮人に間違われたら殺されかねない逼迫した状況で、行商一行の親方(永山瑛太)が「朝鮮人なら殺してもいいのか!」と言うのは、この作品に必要不可欠なセリフであり、親方がこのセリフを言うのに納得感のある人物に作られていたのには唸った。この親方は、一行の誰かが「朝鮮人の売る飴だから毒入りかも」と言うのを耳にして大量に飴を買ったり、効能の怪しい薬を障害者に売ったときも新入りの子どもに、「自分たちは更に弱い立場の者から金儲けするしかない」と言った後、「せめてもの罪滅ぼしや」とすれ違う巡礼者におにぎりを丁寧に差し出していたのだ。
それにしてもデマを信じ込み、不安と恐怖から過剰防衛に至るのは今でもあり得ることだ。(新型コロナへの不安と恐怖からマスク警察が発生したり、政府発表やそれについての無批判・無解説なメディアを信じ不安と恐怖がつのり、戦争方向へ荷担することも考えられる。)
知らなかったり先が見えないと不安になるのだが、仮に多少の知識や見通しがあったとしても理性に見放され感情的になるのが人の常だから、なかなかの問題だ。群集心理かなんだか知らないけれど一億総火の玉にならないためには、意見の一致をみない皆バラバラのへそ曲がり集団になるのが理想的なような気がしてきた。私自身は政府の言うことを鵜呑みにしないことと、「この状況を○○さんが見たら何と言うか」と何ごとも客観視できるようにしたいが、「○○さん」は誰にしたらいいだろう?
(2023/12/14 あたご劇場)