ほかげ

『ほかげ』の感想を毛筆で書いた画像

戦後は誰も眠れない

塚本晋也監督は、大林宣彦監督に「わたしは戦後の監督だけど、君は戦前の監督だね」と言われてしまったのだ(^_^;。ご本人もうすうす感じていたことだろうけど、言われてショックだったと思う。でも、塚本監督はその流れに抗おうと『野火』『斬、』今作と制作し、自分ができることをやっている。(同じように感じている人と手を繋いでほしいと思う。)
塚本監督と同世代の私は、昭和を知る最後の世代だと思っている。東京生まれの塚本監督はどうかわからないが、田舎では井戸もかまども使っていた。火鉢も行火も。用水路で障子の桟を洗って紙を貼り替えたりしていた。蛍も普通にいた。寝間着は浴衣だった。土間を板の間に改築してステンレスの流し台や大型冷蔵庫が運ばれてきた。それらを出した空のダンボールを家に見立てて遊んだりもした。小学校に上がる前に日本はアメリカに負けたと聞いていたし、帯屋町で地べたに座った(何か敷物をしていたかもしれないが)白装束の傷痍軍人を見かけたこともある。担任の先生からは空襲の話を聴いたり、別の先生が給食の時間に校内放送で、戦後の食料不足で空腹だったので食べたものを戻してまた食べたりしたと話すのを聞いた。

戦争で夫と子どもを失った女性も、復員兵も、戦友と自らの恨みを晴らそうと元上官を襲った元兵士も、戦争が終わったというのに眠れない。この映画は、復興に向けて街は活気に満ちているのに心に傷を負ったまま立ち上がれない人たちを描いているようだ。そして、いとけない子ども(孤児である)が夫と子どもを失った女性と関わる中で盗みなどをやめて、真っ当に生きる姿を見せて終わる。
戦後も立ち上がれないまま亡くなった人は戦争関連死と言っていいかもしれない。そういう人の希望を託された形で少年は映画の後を生きていったのだろう。少年が汗水たらして働いた恩恵を受けたのが私の世代だ。それでなくとも、けっして戦争を起こす世代となりたくはない。

戦争でどれだけ人が傷つけられるかについては、この映画をしのぐ作品がいくらでもあると思う。(かつての上官を訪ねる話ではドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』。全編は未見だけど(^_^;、部分的に見たところでさえ凄かった覚えがある。戦争のPTSDでは韓国映画『息もできない』。私にとっては恋愛映画というよりも戦争のPTSDが原因で暴力的な父親が主人公に及ぼした影響の方が印象に残っている。)それでも、本作を捨て置けないのは、先の戦争(戦後)の片鱗を知る最後の世代と言ってもよい塚本監督の制作動機を想像してのことだ。
(2024/03/20 あたご劇場)

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