実話三題

吸いついて離れないカメラワーク。切れっ切れ、ガンガン、猛スピードでぶっ飛ばすスコセッシ演出。欲望に直球ど真ん中、悪徳の権化の証券マンを爆発的な熱量とカラリと明るい茶目っ気で演じたディカプリオ、天晴れ。他の誰にもこうは演じられないだろう。アカデミー賞を獲らせてあげたかった。好き嫌いは分かれるかもしれないが、金儲けの狂気を描いた『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は、毒持ちコメディの傑作だと思う。

コメディと言えば『アメリカン・ハッスル』にも笑った。FBIが詐欺師カップルを利用して、おとり贈賄で汚職政治家を一網打尽にするはずが・・・・というひねりの利いたお話が面白く、ダメ男ダメ女の登場人物が愛しくなるほど魅力的だった(カリーヘアのFBIを除く)。しかも必殺デ・ニーロのカメオ出演。やられた(笑)。愛する人と真っ当に生きることが幸せだというラストも良い。

うえの2本は実話ベースで、『ラッシュ プライドと友情』も実話ベースだ。F1レースの爆音は映画館ならではの迫力だし、優勝を争うライバル同士のジェームズ・ハントとニキ・ラウダの描き分けが面白い。「派手」対「地味」あるいは「放縦」対「堅実」とも言える正反対の二人なのだ。観たのはちょうどソチ・オリンピックの頃で、キム・ヨナちゃんが「浅田が泣きそうなとき、自分も込み上げてくるものがある」とインタビューに応えていたという記事を読んで、ライバル同士の友情というものに思いを馳せた。

(シネマスクウェア 2014年3月号)

標的の村

上映会の前後に高知新聞が「沖縄のSOS受けとめて」「沖縄の苦しみ思い涙」という見出しで記事にしていたし、近年の自主上映会にしては大入りの400人を動員したらしいので、ご存じの方も多いと思う。米軍のヘリコプター離着陸施設(ヘリパッド)の建設に反対し、座り込みを続けていた高江地区の住民が通行妨害で国から告訴されたことと、オスプレイの配備に反対する県民が、米軍基地の出入口を封鎖したことをメインに据え、沖縄の人たちの主張がないがしろにされ、いかに手も足も出ない状況に追い詰められているかを描いたドキュメンタリーだ。

上映後、「DVDがあったら買うて、知り合いに配りたい。」という声を耳にした。それだけ人を動かす力のある作品だ。初めて知ったことを他の人にも知らせてあげたくなるのだろう。私もベトナム村を知って衝撃を受けた。ベトナム戦争中だったアメリカ軍は、風土が似ているという理由で高江にゲリラ訓練用のベトナム村を作り、当地の人たちを徴用してベトナム人役をやらせたというのだ。作品名は、このことと、日本に復帰後の現在でも軍事訓練における目標とされるのではないかという高江の人たちの感じている恐れから付けられたものだと思う。

それにしても、ヘリパッド建設の請負業者や米軍基地前の警察官と対峙する一触即発の(高知なら流血沙汰になっていたかもしれない)とき、沖縄の人たちはあくまでも話し合おうとする。忍耐強いからというだけではなく、暴力は無益だと知っているからだろうし、自分の言葉を持っているからだと思う。普段から自分の頭で考えているから言葉にできるのだろう。

私は最近、知らないでいること、無関心でいることは、罪深いと思うようになった。沖縄の人たちを苦しめているのは、日本政府であり、それをめったに報じないマスコミであり、知ろうとしない私たちだ。『標的の村』は、そんなことも考えさせてくれる作品だった。

(シネマスクウェア 2014年2月号)

ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅

これは大大大好き(^_^)。「もののあはれ」と滑稽味が、程よくブレンドされたアメリカ映画というのは珍しい。ジム・ジャームッシュ作品を想起させられもしたけれど、風に飛ばされそうなウディ・グラント(ブルース・ダーン)が象徴するように、どこまでも軽く核となるものが見あたらない。アレクサンダー・ペインは、ジャームッシュほどには映画狂ではないのだろう(?)。ただし、モノクロ映像で描かれた景色と音楽が抜群によくて、「間」の演出も冴えわたり、これまで見たペイン作品の中で最も洗練されていると思った。

欠点だらけの人たち。お金が絡むと醜悪だし、セックスが絡むと品がなくなり、年を取るほどに子どもに帰って好き放題だけれど、私たちの分身としてチャーミングに描かれている。家族の肖像としても、夫婦のごたごた感や親子のうるうる感など既視感があり、普遍性を感じる。また、閑散とした町に老人が多く、若者には職がなく肥っているという現代性も、かつて親兄弟が協力して建てた家に住みという古き良き時代と、きょうだいが早くになくなり自分も戦争に行ってという人に歴史あり、社会に時代ありみたいなところも家族の話の中にうまく取り込まれている。

ウディは、良い父親でも夫でもなかった割に、よい人生の幕切れを迎えられそうだ。100万ドルを当てるよりラッキーなんじゃないかな。

熊谷守一展


今年は一目惚れした熊谷守一のカレンダーをパソコンのデスクトップと部屋の壁で楽しんでいるところなんだけど、ひろしま美術館で展覧会を開催していると知り、喜び勇んで行ってきた。期待しすぎて、それほどでもなかったらどうしようと思っていたけれど、ますます好きになった。守一は、庭の植物や生き物を日がな一日見つめてもちっとも飽きず、アリは左の二番目の足から歩き始めることを発見したらしいが、私も守一の絵をながめて全く飽きることがなかった。そして、守一の絵の特徴である輪郭線は、輪郭線として描かれたものではなく、外側と内側を塗ることによって輪郭線に見えているのだとわかって驚いた。サインも漢字だったりカタカナだったり、フルネームだったり名前だけだったり。気分だねぇ(笑)。また、カレンダーを見たときからユーモアを感じていたし、今回見た「線裸」(1927年)と名付けられた絵は裸婦なのか紐なのか、本当に笑ってしまった。ほとんどが4、50センチメートルの小さい絵で、茶の間にも飾っておけそうな感じで、そんなところも大好きだ。初期の油絵から日本画、書、焼き物、彫刻、画材、道具箱、キセル、パイプ、守一の言葉など、どれもこれも見ていて楽しいものばかりだった。あまり欲のない人は、ちょっとしたことで満足できるので幸せだと思うけど、熊谷守一は幸せだっただろうなぁ。
図録を見たら、ひろしま美術館では4月20日まで開催され、その後、松山のミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)へ巡回するそうだ。4月27日から6月15日までは同じ四国にいるんだね~。

ひろしま美術館は、大大大好きなゴッホの「ドービニーの庭」とアンリ・ルソーの「要塞の眺め」があって、ずっと前に「要塞の眺め」を見たときは、「私にも描ける」だったか「私の絵に似ている」だったか、そんなことを思った。改めて見てみると、どうしてそんな大それたことを思ったのか不思議だ。あの異次元のような静けさは、誰にも真似できない。
「ドービニーの庭」は、2008年に解剖されていて黒猫の謎が解けていた。下の画像の「T」の字の下に赤っぽい(ネットでは茶色っぽい)ところがあるのは、ゴッホが描いた黒猫をとある人(名前を忘れてしまった)が修正してしまったのだそうな。

検索したらありました。黒猫の謎解き→ひろしま美術館に、ゴッホの「ドービニーの庭」がありますね。 色々噂があります…

ひろしま美術館
ドービニーの庭

(2014/03/29 ひろしま美術館)