冬よ、さようなら


脱力モードで半月以上も映画を観ていませんでしたが、先日、三日で4本『カンパニー・メン』『それでも夜は明ける』『ロボコップ』『抱きしめたい』を観ました。明日は何を観ようかな。観たいのがたくさんあるのに、うまくハシゴができる上映時間じゃないので困るなあぁ。

3月11日、県民文化ホールでの千住真理子と大阪交響楽団の演奏会は、う~みゅでした。モルダウは、せせらぎや水のたっぷりした感じが出ていてよかったし、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲2番は、ヴァイオリンの中低音の濁った音が面白くて堪らず(くさやの干物みたいに病みつきになりそう・・・・!ってクサヤを食したことはありませんが;;;。休憩時間に遭遇した知り合いは「汚い音でイマイチ」と言っていましたので好き嫌いが分かれるかも。)、最後の曲、オケの本番、新世界は、段々飽きてきてしまい・・・・。音楽に波とかうねりとか揺れがなく一本調子っぽく、他のお客さんも集中力が切れたような空気が漂っていました。同ホール改装時のこけら落としで、このオケも出演していてとても楽しかったので期待していたのに残念でした。3月11日ということでアンコールはG線上のアリアでした。

梅から白木蓮、桜、藤と2月から4月は、るんるんの季節ですね。いまいち、脱力モードを脱し切れてないので、運動でもして酸素をもっと取り込まないとなぁ。う~ん、花粉とかPM2.5とか黄砂なんかもいっしょに取り込むことになるけどなぁ。

刻-moment- 石元泰博・フォトギャラリー

石元泰博・フォトギャラリー
これは素晴らしかった!!!必見です。3月1日(土)まで。左の画像は、長形3号のハガキで、裏面には次のうたい文句が。
「うつろいゆくもの、滅びゆくものの美しさを、朽ちてゆく落ち葉や空き缶、刻々と姿を変える水面や雲に映し出した、石元泰博の哲学的写真集『刻-moment-』(2004年発行)から、約100点をオリジナルプリントにより紹介します。」(個人的には哲学的とか言わない方がいいと思うけど。私は全然哲学しなかったし(^_^;。それに「うつろいゆくもの」「滅びゆくもの」とも思わなかったよーーー。ぶーぶー。ただ美しいと思った!シャープでクールで美しい!そして、ものの見方を変えてくれる。もっと水をよく観ようと思った。もっと落ち葉を、もっと雲を、足跡をよく観よう!)

アスファルトと同化した落ち葉や空き缶。波にみえる雲。水に見えない水。1960年代から2000年代の人の流れ。あれですよ、あれ。芸術は健康にイイ!運動をした後のような清々しさ、血行が良くなって疲れが吹き飛ぶ、あれです。
秋には石元作品の常設展がオープンする予定。ちょー、楽しみ!石元さん、たくさんの素晴らしい作品を寄贈してくださって本当にありがとう。
(2014/02/27 高知県立美術館)

注)「刻」と書いて「とき」と読ませています。
石元泰博フォトセンター

ミレー展


ボストンから種をまく人がやってきた、というわけで行ってきた。
先に観た友だちが地味だったと言っていたけれど、地味だった。目玉の「種をまく人」「羊飼いの娘」「刈入れ人たちの休息<ルツとボアズ>」のうち「羊飼いの娘」のよさがわからなかったけれど(近くで見すぎたかも)、他の二作品はどちらもとてもよかった。

「種をまく人」は活動大写真だ。種をまきながら坂を勢いよく下ってくる。土なのか種なのか、なんか飛び散っている。人物のどっしりとした重みも感じる。遠景の牛と人は、実物では遥か遠くに見えて画面に奥行きを作り、縦1メートルくらいの絵なのに思い返すと巨大スクリーンに対峙していたかのような印象だ。
「刈入れ人たちの休息」は、はっとするほど明るく繊細な描き込みで、人物や積み藁やら何やらの情報量が多く、状況や物語が見えるようでもあり飽きない。

ミレーは初めて名前を覚えた画家だし(駄菓子屋に「落ち穂拾い」が掲げてあった)、ゴッホが尊敬していたので、ぜひ、観たかった。確かに地味だけど、当時の生活を想像してみたり(うえの画像の「洗濯女」は、月が出てるけど日の出前だよねーとか)、また、音声解説のお陰もあって面白かった。

ところで、コローって上手なんだろうか?きれいな絵なんだけど、紙細工みたいな感じで立体に見えなかった(^_^;。空間が空間として見えないというか。絵というのは、本当に何でもOKだと自分の絵にも自信が持てた。←描いた気になっていた。
(2014/02/27 高知県立美術館)

デンドロキラム・コビアナム


先週のことだけど、牧野植物園へ行ってきました。温室は蘭でいっぱい。ラテン音楽の演奏会もありました。今回、撮影したのはデンドロキラム・コビアナム(覚えられない(^_^;)くらいかな。音楽を聴いてすぐ帰りました。パワー不足でした~。