映画史上まれにみるバカ女登場!フェミニスト(フランス系)である私は、女性映画もここまできたかと少々の感慨を覚えた。
メイビス(シャーリーズ・セロン)は、ゴーストライターとはいえテレビドラマの脚本家(原作者?)なのだ。それなのにどうして、バディ(パトリック・ウィルソン)の気持ちが読めないのか。バディを見れば、妻子大事は一目瞭然。脚本家として、その観察力・洞察力のなさ、バイヤスのかかり具合の甚だしさはどうなのか。バディにモーションを掛けると彼もフラッとなる場面があるが、これでメイビスの勘違いに拍車がかかる。これって、今までは男性キャラの専売特許ではなかったか。いやいや、やりたい放題、言いたい放題の自己中心的バカッぷりは、これまでの男性キャラをも凌駕している。
しかし、私はメイビスの特異性はこれだけではないと思っている。彼女の頭上、3、40センチのところにもう一人のメイビスがいるのだ。もう一人のメイビスは、無自覚にバカをやっている自分を冷静に見ている。バカをやっているメイビスは、もう一人のメイビスに気づかないまま、突然、方向転換したりするが、それができるのは、頭上3、40センチのメイビスが存在するからこそだ。私の感覚では、そういう気がしてならないのだが、これをまとめて平たく言うと、結局、彼女は自覚的に生きているということになると思う。
どんなバカなことも自覚して言うし行う。そして、その結果はすべて自分で引き受け、(堪え忍ぶことはしないで)転がり続ける。風に吹かれてローリングストーン(笑)。それがメイビスだ。
だいたい30過ぎたいい大人に、誰が真面目に忠告してくれるだろう。メイビスの合わせ鏡的存在マット(パットン・オズワルト)くらいなものではないか。両親ですら触らぬ神に祟りなしだ。自活できる収入があれば、大人は自由である。何週間掃除をしなかろうが、行きずりでセックスしようが、友だちの子どもの誕生日を滅茶滅茶にしようが、人の気分を害そうが、自分も傷ついて人から嫌われるとわかっている人に言うべきことがあるだろうか。
自分で気づくかどうか、方向転換するかどうか。自らを見つめる目と自らの意志が問われる。自立の道は厳しいのだ。
YOUNG ADULT
監督: ジェイソン・ライトマン
(2012/03/31 TOHOシネマズ高知8)