道~白磁の人~

植民地時代の朝鮮半島を舞台にした日本映画って初めて観たような気がする。俳優の演技が硬いところがあったけれど、百年前の山々や建物、乗り物、衣服、葬列などなど、目に映るものが珍しく、丁寧に作られている感じがしたし、オーソドックスな作りできっちり感動させれらた。のんびりした感じもよかった。

主人公の浅川巧(吉沢悠)は、日本人らが伐採してはげ山となった朝鮮の山に植林にやってきた技術者で、イ・チョンリム(ペ・スビン)は、その林業研究所に雇われている。支配する側とされる側なのだが、お互いを認め合い信頼関係が築かれていく。チョンリムが「巧さん」と呼ぶのに、巧は「チョンリム」と呼び捨て。このへん、なんだか釈然としないけれど。
巧は、白磁の人(二束三文で売り買いされるありふれた日用品だが、素朴な美しさをもっており温もりがある)だから、誰に対しても優しいのだが、チョンリム以外の朝鮮人からは奇異な目で見られる。チョンリムから「朝鮮人があなたに笑顔を見せるのは、あなたが日本人だからだ。あなたが善い人だからというわけではない。」と諭されてしまう。チョンリムは偏見なく人を見る目があった。初めから彼が理解してくれたからこそ、よい関係が築けたと思う。この二人の遣り取りを見ていて、魯迅が言った「人が行き来するところに道ができる」というような言葉を思い出した。なんせ題名が「道」だし。

それにしても、「その土地の土に、その土地の木を植える」、これ、植物がよく育つ基本だと思っていたけれど、当時はそんな認識がなかったみたい。朝鮮の山の土に朝鮮唐松の種をまいて苗を育てることに成功した巧に、研究所の所長が論文を書けなんて言ってるのだ。本当に驚いた。

巧役の吉沢悠は白磁の定義にピッタリでよかったし、巧の母を演じた手塚理美もまたよかった。気位が高い厳しい人で、息子が朝鮮に渡ってきたときでさえ「やって行けるのかねぇ」と冷たい出迎え。朝鮮人の葬列を見て、「わあわあ泣いてみっともない」と見下していた彼女が、息子の葬列からふらふらと離れ、隠れて慟哭する様は痛々しかった。
巧の後妻(黒川智花)は、現代的なキャラクターなのに不思議と当時にマッチして、飛んでる女性として魅力的だった。

監督:高橋伴明
(2012/06/09 TOHOシネマズ高知2)

外事警察 その男に騙されるな

暗闇で徐昌義(田中泯)の目だけが光るシーンがすごかった。
住本(渡部篤郎)が 安民鉄(キム・ガンウ)に「甘いんだよ」とバカにされながら甘さを貫いたのも良かった。
奥田果織(真木よう子)の低い声に痺れた。
内閣官房長官(余貴美子)の最後の記者会見には拍手した。
時代設定を60~70年代にしておけば、もうすこし現実味があったかもしれない。
伊方原発の再稼働に賛成する県内首長の多さにガックリ来た日に観た。

監督:堀切園健太郎
(2012/06/03 TOHOシネマズ高知2)

灼熱の魂

物語のパワーが凄い。
母が事実を知りながら、そんなむごい遺言をするものだろうかと疑問に思った。それについては、生き別れの息子に愛を伝えたかったというポジティブな答えを考えてみたが、あのような遺言は現実的ではないような気がする。しかし、焼け焦げた魂からの遺言を、のほほんと暮らすこちらの尺度で測っても意味がないように思う。それより、私の“のほほん”フィールドと地続きな世界から抽出された「現実」を紡いで、こんな物語ができるとは!圧倒されたし、恐れ入った。

ナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)の身に降りかかった災いは、いったい何人分?というくらい過酷にすぎる。考えてみれば『エレニの旅』のエレニのようにおとなしく生きていても、人間、とんでもない目に遭うのだ。ナワルのように異教徒と恋に落ち、内戦勃発のさなか息子を捜して危険地帯へ行き、要人暗殺にまで関わってしまう行動派は、災厄を被る確率がより高くなるのかもしれない。いずれにしても社会の状況が個人の幸不幸にこれほど深く食い込み、魂を打ち砕くのを目の当たりにするのは映画であっても凹んでしまう。

遺言が果たせて、ナワルの子どもたちジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マキシム・ゴーデット)は、母のことが理解できてよかったと思う。自分たちの出生について事実を知った衝撃よりも、母との距離が縮まった収穫の方が大きい。生きているうちにそれが出来たらよかったとは思うけれど、生きているうちはなかなか話せることではないだろうし、話して良い方に転がるかどうかわかったものでもない。

それにしても、「約束」っていうのは、ある種の枷だと思う。ナワルが生き別れの息子に約束したこと(ナワル自身の誓い)も、ジャンヌが遺言を果たそうとするのも、愛があるからだ。愛に基づく約束とか誓いって果たさなかったり果たせなかったりすると、(愛がある限り)胸につかえることだろう。そういう意味では、この映画はハッピーエンディングといえると思う。枷から開放されて、めでたし。シモンもいくらか大人になって、めでたしめでたし。

おしまいに。『戦場でワルツを』を観ていてよかったと思った。もし、観てなかったら、ジャンヌはカナダからどこの国に行ったんだ???とわからないままだった。

公証人ルベル(レミー・ジラール)

INCENDIES
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
(こうちコミュニティシネマ 2012/05/29 高知県立美術館ホール)

おとなのけんか

おもしろかった。一幕の舞台劇っぽい作品だった。
ペネロペ(ジョディ・フォスター)とマイケル(ジョン・C・ライリー)のロングストリート家、ナンシー(ケイト・ウィンスレット)とアラン(クリストフ・ヴァルツ)のカウアン家の二組の夫婦が、子ども同士のけんかの後始末のために集まって話し合ううちに、おとなのけんかに発展していくというお話。
はじめは「ロングストリート組」対「カウアン組」で反目していたのが、「妻組」対「夫組」になっていったり。共同体というのは色んな組み合わせが効くものだ。また、夫妻のどちらかに協調性がないと、残る一方がイヤでも協調性を発揮しなければならなくなるというのは、往々にして見かける様子であり、お守り役のお二人さんにはお疲れさまと言いたい(?)。

今、調べたら原題は「大虐殺」とのこと(^o^)。
そういえば、始まりのタイトルバックで、いたってのどかな公園を背景に、何か事が起こりそうな(勇ましげな、大事のような)音楽に乗って、出演者やスタッフの名前が画面の奥からズンズンと手前にやってくる。そうか、あの音楽は「これから殺戮が始まるよ」ということだったのか(笑)。
クレジットの背景で子どもがケンカ別れするプロローグから、即、親同士の示談が成立した場面に移行するなど演出の手際もよろしく、双方のちょっとした言葉が気に障り不穏な空気を漂わせる役者の演技も可笑しい。
エピローグは、またしてもあの勇ましい音楽で、のどかな公園を背景に子どもは既に仲直りしていっしょに遊んでいる。いったいあの修羅場はなんだったのか(笑)。子供のケンカに親が出るなというのは、洋の東西を問わない不文律だったのか(?)。

それにしてもセリフの上とはいえ、ジェーン・フォンダが登場するとは。先日、カンヌ国際映画祭のレッドカーペットで若々しくも華やいだ姿を見ることが出来て、流石だと感心したばかりなので、劇中のアランの「J・フォンダのような戦闘的な女性より、バーバレラのようなエロティックな女性が魅力」みたいなセリフを聴くと(←ぜんぜん、そんな風には言ってないけど、そんな風に翻案して聴いたせいか)、ポランスキーはJ・フォンダと仲良しなのかしらんと想像したりして独り可笑しかった。
ジョディ・フォスターに関しては、ナンダカかなしひ。子どもの頃は、もっと大らかだったよねぇ。役柄とはいえ、ちょっと神経質すぎて笑えない(涙)。鎧甲を脱いでガハガハ笑う彼女をもう観ることはできないのだろうか。

CARNAGE
監督:ロマン・ポランスキー
(2012/05/26 TOHOシネマズ高知3)