面白かった!!!
今年は『茜色に焼かれる』『82年生まれ、キム・ジヨン』『大コメ騒動』など女性パワーが炸裂しているなぁ(やんややんや)。
キャシー(キャリー・マリガン)、もっとやったれい!という気持ちと、彼女が可哀想で可哀想で何とか彼女の傷を癒やすことはできないものかという気持ちが交錯。作り手の狙いだろうか、娯楽と本気の混交が何とも落ち着かない気持ちにさせられる独特の作品だった。
考え抜いて作られていると思う。「相手の同意のないセックスはダメ、絶対。」と言いたいことが明確で、レイプの二次被害についてもしっかり描いている。レイプされたニーナを自業自得と無視した友人や、加害者の処罰を避けた医大の学長(医学部長?)を女性にしたのは見識だと思う。ブラックなコメディ仕立てにはしているが、二次的なものも含めて性加害に対する作り手の怒りを感じる。
キャシーが素面で強く出ると男性が引きまくるというのも、弱者蔑視の構造を端的に表現している。男女間に限らず、自分より弱い存在であるとみなすと強く出る人は、相手に意思があるとは思っていない。そして、自分より強い存在であるとみなした相手には、自分の意思を引っ込めるのだ。野生動物っぽい。ってことは、本能?
一番感動した場面は、キャシーが加害者側の弁護士を訪ねたところ。始め弁護士の様子が尋常ではないので怖かった。ところがそれは、自身の弁護によって被害者に与えたダメージに思い至って良心の呵責に耐えかねていたのだった。現実にはめったにないであろう「許し」のシーンは、キャシーの再生の第一歩でもあった。
しかし、よく出来てるなぁ。キャシーはお仕置きした人数をノートに書き付けている。4本の縦線を1本の斜線で串刺しにして5人というふうに(日本だと「正」の字で数えるけど)。画面に大きく「Ⅰ」「Ⅱ」という風に表示されていたのは、起承転結という意味で最後の斜線はエピローグかと思っていたけれど、考えたらお仕置きした人の数かな?だよねー。
デリバリーなんちゃらに化けたキャシーの言いなりになって、バチュラーナイトに集まった新郎の仲間が膝を突いて口を開けて並んでいる顔をスローモーションにしたところ、冒頭のバーで踊る男性たちの腰をスローモーションにしたのと呼応している。
場面ごとの場所の作り込みがとてもいいし!
細かいところまで、もう一度観たくなる。
(追記)
1)ニーナとキャシーは幼いときから仲のよい友だち同士で、一つのレイプ事件が二人の命を奪ったと言える。仮にキャシーが生きていたとしても彼女自身の人生を生きていないという意味で、やはり生きる屍状態だったと思う。
文学的には「ニーナ=キャシー」であって、キャシーを魂の殺人とも言われるレイプの被害者として見てもよいと思う。それぞれのネーム入りのペンダントは、「ニーナ=キャシー」を表現したものだと思う。ただし、実際の被害者は自責の念が強く、サポートする人はまず「あなたは悪くない」ということを言うそうだから仕置き人になれるはずもなく、仕置き人のようなキャシーの行為は作り手の気持ちの表れだと思う。「ニーナ=キャシー≒作り手」ということかな。
2)「キャシー」は愛称で、本名は「カサンドラ」という暗号にピンときて、確かギリシャ神話に出てくる人だったはず……と「カサンドラ」を検索したら、予言を信じてもらえなかった人とのこと。あれれ、キャシーは「予言」なんてしてたっけと考えが及ばなかったワタクシにマイミクさんがその感想文で教えてくださった(感謝)。被害を訴えても「信じてもらえなかった」、そこ!
(2021/07/21 TOHOシネマズ高知1)