面白かった。
男性は「女性は偉い」と言う。その男性たちは下駄を履かせてもらったうえに人の足を踏みつけていることに気づかずに言っているのだと思う。そして、男性は武士は食わねど高楊枝的に武士であることを強要されている不自由さにも気づいていないのではないか。例えば、女性は感情的だというのは、そういう感情表現を許されていない男性の不自由さと表裏一体だろう。更に、多くの女性もそれらのことに気づいていないのではないか。・・・・と長い間思っていた。現在も女性の置かれている立場は米騒動のあった百年前とあまり変わらないけれど、近年、女性自身が変わってきて「やっとここまで来たか」と感じている者としては、この映画も喜ばしいものである。登場人物のセリフに肯けるところが多く「わかってるね!」という感じだったので、脚本とかに女性が絡んでいるんじゃないかなと思ったらプロデューサーと脚本などが女性のようだ。
も一つよかったことは、社会的に何かを変えようと思ったら一人では困難であり、仲間と繋がらなくてはいけないということと、繋がろうとすると仲間割れをするように仕向けられるということが描かれていたことだ。仲間割れを脱するには話し合い(腹を割ること)が必要なことも描かれていた。なにやらタイムリーな映画のような気がする。
(2021/04/24 あたご劇場)
カテゴリー: 映画の感想
燃ゆる女の肖像
恋愛映画によっては、登場人物の気持ちがサッパリわからないことがあり、この素晴らしい日本語タイトルの作品もそうだった(残念)。途中までは面白かったけれど。他の人の感想を読んだ方が面白いなぁ。
(2021/04/07 あたご劇場)
ノマドランド
うううう、寒い。身にしみる孤独を久々に見たような気がする。
アメリカでは、リーマンショック以降、バンを改造したキャンピングカーなどで各地を転々とし、有期の仕事(労働条件で悪名高いamazonが実入りのよい働き口のように描かれている)で現金を得て暮らす高齢者が増えたそうな。家はなくとも帰れる車が我が家であり、各地の美しい景色を見て、年に一度仲間と集結し交流を深める。アメリカ国内、どこへ行くのも何をするのも自由。彼らを称してノマドという。そして、ノマドが未知の地(フロンティア)で生活を切り開いて行くのはアメリカの伝統かもしれないと登場人物(主人公の姉)のセリフを借りて作り手は言う。
選択肢がない又はより良い選択肢がない場合、そして、その境遇に固定され逃れることが困難な場合、人は何とか適応し、その境遇の良いところを探す。この映画には本物のノマドも何人かいるのだと思う。ファーン(フランシス・マクドーマンド)を集結地に誘ってくれたリンダやノマドコミュニティーの創始者などは本人で、本当に感じていることを自分の言葉で言っているのではないだろうか。
作り手は、「ノマドランド=アメリカ合衆国≒新自由主義(資本主義の行き詰まり)の国」の酷さもノマドの過酷さも知っている。ノマドに深く同情し、敬意を払っていると思う。それで、本物のノマドが語る「ノマドもまた善し」という部分を掬いたかったのだと思う。ノマドがアメリカの伝統と言うのは、多分やさしさからだろう。そういう立ち位置だから、横並び感はあまりないし、作品から受ける印象はやさしいが冷たい。
いや待てよ、冷たいのはファーンがノマド生活1年生で、まだまだよそ者だからかもしれない。何年もやってたら横並び感が出てくるかも。
ファーンには選択肢があった。姉やノマドをやめて定住したデイブ(デヴィッド・ストラザーン)がいっしょに暮らそうと誘ってくれた。でも、価値観の異なる姉とは暮らせないし、デイブより夫との思い出と暮らす方がよかったようだ。貸倉庫に預けたモノを処分するのは、もうノマドで生きると決意を固めたからだろう。そんな彼女が、かつての自宅から荒野に出る。そして、冬の荒海だ。ノマド生活、丸一年。心配して声をかけてくれる見知らぬ人もいたが、過酷さは充分わかっている。不安だし孤独だ。「ノマドもまた善し」と聞いても寒くないはずがない。
(2021/03/30 TOHOシネマズ高知3)
ミナリ
う~ん、なんだか物足りなかった。おばあちゃん(ユン・ヨジョン)はサイコーなんだけど。
移民の苦労話でもあり家族の物語でもあり、禍福はあざなえる縄のごとしでもあり。納屋が燃えるところ、なんかどっかで見たことがあるような気がする。
ジェイコブ(スティーヴン・ユァン)が農作業のために雇った神懸かりの人(ウィル・パットン)、あの人が何を意味しているのかわからない。神そのものだろうか。十字架を背負っていたのでイエス・キリスト、その人かしらん。どうもこの人の言うことは聞いておいた方がよいぞという作りになっている(ような気がする)。
デイヴィッドの病を祖母が引き受けた奇跡のようにもみえるし、神懸かりの人がお祓いをして祖母の加減がよくなったという受けとめ方もできそうだ。
農地の水源を求めてダウンジングの拒否に始まり、自分たちで掘り当てた水源は枯れ、結局はダウンジング頼みに終わる。何か「信じる者は救われん」的な匂いがする。妻(ハン・イェリ)は信心深いし。
レーガン大統領というと1980年代のアメリカが舞台だから(韓国の80年代は民主化を阻んだ大統領?それで移民?)、映画の定石としては息子デイヴィッド(アラン・キム)が大きくなった現在に繋げて作品を「おしまい」にしそうなものだが、父と子がおばあちゃんが種を播いたミナリ(セリ)の収穫をするところで終わる。
セリ、パセリ、セロリ、パクチー、三葉。セリ科の野菜は大好きだ(^_^)。でも、タイトルに込められた思いはわからない。
適材適所かなぁ。おばあちゃんの知恵。開拓精神も大事かもしれないけれど、環境にあったものを育てるのがよろし。ダウンジング失敗、ミナリで成功したのでは???
(2021/03/22 TOHOシネマズ高知2)
<<追記>>
よくわかってなくて物足りなく感じた作品でしたが、次のお二人の解説により「ミナリ」の意味がわかってきました。お二人の解説に共通しているのは、「朝鮮戦争の罪滅ぼし」、「男は(も)つらいよ」、「おばあちゃんは神(女神)」(キリスト教の神と女神の違いはありますが)、「雨降って地固まる夫婦仲」など。
ケイケイさん
『ミナリ』mixi
ケイケイの映画日記『ミナリ』←mixi会員でない方も読めます。
韓国の文化の視点から。
異なる文化圏に住んでもルーツの文化は受け継がれていくのだと思いました。強くたくましく根を張っていくミナリ。
町山智浩さん
映画ムダ話199 『ミナリ』(2020年)
宗教的な視点から。
リー・アイザック・チョン監督の父は韓国教会の牧師になったそうです。種を播いた次の世代が収穫するミナリ。
<<追記2>>
ヤマさん
間借り人の映画日誌『ミナリ』
孫持ちの視点から。
家族をつなぐミナリ。