空に住む

イマイチ生きている感に乏しい自己の存在についての、これでいいのかしらんという霞のような悩みを、喪の仕事と後輩の出産と遣り甲斐のある仕事を通して抜け出すお話だと思う。
・・・・バブル期の若者になら何割か共感してもらえそうな感じの作品だと思うけれど、就職氷河期を経て非正規雇用が増えていく中、新型コロナまで加わった今、高級マンションで花を飾り赤ワインを飲み、屈折した売れっ子タレントと関係を持ち、小さいといいながら5人以上働いている出版社に勤めている主人公小早川直実(多部未華子)に共感できる若者はどれくらいいるだろう。直実がマンション地下のゴミ分別所で管理人(柄本明)と話すところは、彼女がそこまでふわふわしている訳じゃないってことだろうと思うけど。

とても映画的というか、マンションと出版社など人物も含めて映るものの対比が効いていたり、退屈はしなかった(編集長、おっしゃれ~)。特に涙が素晴らしい。両親の事故死にも涙できなかった直実が夜の浜辺で見せる涙はアップじゃないのだ。それなのに涙がキラキラ、美しいのだ。少し逆光気味に撮っているのか、物語と映像がピタリと嵌まって狙いどおりだと思う。
あと、多部未華子ちゃんのサービスショット!ストレッチしている後ろ姿から顔のアップになって、前髪からおでこが少し覗いている。可愛い~!未華子ちゃんのおでこ、サイコー!わかってるね!>青山真治監督
(2021/03/29 あたご劇場)

ニューヨーク 親切なロシア料理店

いい!
21世紀に入って刑法の厳罰化を求める声が大きくなったり、インターネットの普及によって不適正な使用が増え不寛容に拍車がかかったような日本。新型コロナ禍中にあって、自粛警察とかカントカ警察とか目を覆い耳を塞ぎたくなる。でも、不寛容な社会は日本だけじゃない。そんな暗闇に小さな灯りがともったようで、とても好きな映画だ。このような寛容を推奨する映画のプロデューサー(制作総指揮?)にビル・ナイ様が名を連ねていることも嬉しい(^_^)。

ロシア料理店のオーナー(ビル・ナイ)は鷹揚な人だ。経営が下手くそでもアリス(アンドレア・ライズボロー)のようなシングルにとっても居心地のよい店を維持しており、訳あり前科者のマーク(タハール・ラヒム)をマネージャーに、ドジばかりやっている(知的ハンディキャップがある?)ジェフ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)をドアマンに雇う。そのくせ、ロシア料理店としての演出はバッチリ抜かりない(笑)。楽しみにしていたビル・ナイ様のロシア訛りも聞けたし、よいサービスだ。数年前、食材を偽装したレストランが相次いで問題になったが、それとこれとは別問題だから怒る人はいないと思うけど、5歳児という設定のチコちゃんに対してパワハラだと言う人たちがいたので、ホンマにピリピリした世の中になったもんだと、このような温かい作品を観ても余計なことを考えてしまう。

わからなかったのは裁判。あの裁判は刑事裁判?離婚裁判?夫は服役するみたいだから刑事裁判なのかな。そうすると離婚はできてないのかな?それと、暴力夫の元を二人の子どもを連れて逃げたしたクララ(ゾーイ・カザン)が、いつ福祉制度に繋がるかと思っていたら、夫が刑務所に入ってからなのはどうしてだろう?シェルターの場所は秘密だけど、夫は警察官だから調べられるということなのかしら。

親子三人の居場所として図書館が出てきたのがよかった。あれが有名なニューヨーク公共図書館だろうか。シャワーを貸してくれた簡易宿泊所や無料のお食事処。ピアノの下。
ミュージックホールから漏れてくる音楽もよかった。音楽に癒やされる余裕のあるうちに誰かと繋がれますように。

監督、脚本:ロネ・シェルフィグ
(2021/03/13 あたご劇場)

さくら

役者で持っている。ペットを含む家族の話で、長男一(吉沢亮)を亡くしてバラバラになった家族が元に戻るまでを描いている。家族って何なのか、人を愛するってどんなことなのか、俳優は真摯に演じていて心を動かされる。(「化粧をしたローリー寺西はやっぱりきれいやなぁ」と思っていたら加藤雅也だった。ラストクレジットまで気がつかなかった自分に衝撃を受けた。)

俳優が頑張っているだけに、例を挙げれば切りがないほど現実味に乏しい作品になっているのが残念だ。携帯もスマホもない時代の考証まではしなくてもいいとは思うが、セリフに違和感があった。犬の性質を「たおやかな」と言ったり、生まれた娘を初めて目にして「美しくて貴い」と言ったり、場面から浮いている。原作を引きずっているのかもしれない。また、雨降りの設定で傘をさしているのに背景が青空というのはよくあることで良しとしても、季節感無視なのは困ったものだ。どんなに予算が限られていても、あの年末年始の部分、特に父(永瀬正敏)の運転で動物病院を探して右往左往するところは、寒そうに見えなくてはいけないと思う。次男薫(北村匠海)が久しぶりに帰宅したとき、緑豊かな町を背景に母(寺島しのぶ)は花の植え替えをしている場合ではないのだ。町の緑をフレームから外し、落ち葉でも掃いていればいいのに。季節感を出すだけで家族が冬の時代を抜け出せたということを表現できたのではないか。兄の遺書に「年を越せない」とあったが、家族は年を越した。その語りに意味を持たせる映像の力(年末は暗く年始は明るく)が圧倒的に不足している。車のなかの愛犬さくらの「てへへ」顔のアップがあれば、家族の一員としてより印象づけられたのに。長女美貴(小松菜奈)が封筒に埋もれて欲望を満たそうとしながら兄を偲んでいるシーンがあるくらいだから、ある種のファンタジーを作りたかったのだろうか?薫の語りで進行する物語だけど、美貴の部分は薫の語りとするには無理がある。要するに端から役者ありきの作品だったのかもしれない。それなら、一を捉えた入魂のワンショットがほしかった。一の比重が軽くてバランスが取れてないように思う。

と色々書いたけれど、そんなに悪い作品ではないと思う。料理次第でもっと良くなったのに「もったいない」という気持ちの表れ。
(2021/02/22 あたご劇場)

すばらしき世界

素晴らしい。まさしく映画。これまで観た西川美和監督作品の中で一番好きだ。相変わらず緻密で練られていて美しい。

スクリーンでこそ見られる小さな星に弁護士の奥さん(梶芽衣子)の「見上げてごらん夜の星を」の歌声が重なる。三上正夫(役所広司)の就職が決まったお祝いの会で、近所のスーパーの店長(六角精児)のギターが伴奏だ。三上君は真っ直ぐで正義感が強すぎるんだな、とか、すぐカッとなっちゃダメだ、とか言ったのは身元引受人の弁護士(橋爪功)だったか。そうよ、いいかげんに生きているのよ私たち、と言ったのは奥さんだったか。励ましの言葉を受けて照れている三上。当初、TV制作の下請けで前科六犯十犯の更生ドキュメントの素材として三上にビデオカメラを向けていた作家志望の津乃田(仲野太賀)も「本当によかった」という感じで微笑んでいる。出所した三上を支える人たちとのワンシーンだけを取っても色々な含みがあって豊かだ。

玉子かけご飯のシーンは天国、カップラーメンのシーンは地獄。シャバダバダ、シャバは大変。
地獄を見て、たまらず暴力団組織の兄弟分のところに電話すると(東京タワーの夜景)、「おつかれさん」とねぎらってくれる。私でも涙がこぼれるくらいの温かさ。こりゃあ、出所して元の木阿弥となる人の多いのは無理もない。兄弟分のところは、別の意味で天国だ。
就職先でめっちゃ嫌なことがあったとき(私は三上に爆発してほしい気持ちがあった。その方が彼らしいではないか。自分らしさを封じ込めることの気持ち悪さ、苦しさ。)、とにかく重い。身体もペダルも何もかも。そこに元妻(安田成美)から電話が掛かる(雨模様の色とりどりの水玉)。これが本当の天国だ。娑婆も捨てたものではない。

単純明快、直情径行の三上であっても人間とは本当に多面体だ。チンピラを相手に格闘し、肉食獣のように口の周りを血だらけにしているところを見たら人はどう思うか。あるいは満面の笑顔で子どもたちと草サッカーに興じた後、くずおれ泣いている背中を見た人は。(おっかさんは月となって正夫を見ていたかも。)
一口に殺人と言っても、その事情は色々だ。一人一人はいろいろで、その一人も多面体である。そんな基本中の基本を描き、娑婆の意味を描き、一人につき四、五人のサポーター(行政を含む)と良き縁の何人かがいれば、ほどよい加減で生き抜けることを描いた。

北村有起哉(生活保護担当職員)、長澤まさみ(テレビ制作)、白龍(兄弟分)、キムラ緑子(兄弟分の妻)、いいねぇ。
三上と津乃田がお風呂に入るシーン、いいねぇ。一人ご飯、電話、お風呂と二つずつシーンがある。
暴力団排除条例を私は「差別条例×警察怠慢条例」と思っているが、暴力団の子は幼稚園にも入れてもらえないというようなセリフがあって感心した。
(2021/02/12 TOHOシネマズ高知3)