大きな家

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希望

ある児童養護施設のドキュメンタリー。7歳の少女から退園した19歳の若者まで数人の子どもたちをインタビューしながら生活の様子を見せてくれる。どの子どもも施設の仲間や職員は家族ではないと言う。離れて暮らしていても血縁の家族が家族なんだと。こういう家族に対するこだわりの大きさを感じさせられると、無理もないと思いつつ切ない気持ちになる。そして、19歳の大学生となった若者が幼い頃をふりかえって施設は家ではないと思っていたけれど、やはりいっしょに暮らして帰ってこれるここが家だと言って焼きそばを食べているのを見ると、大人になったんだな大人になってわかることなんだなとホッとした。

施設によって、あるいは子どもたちによって雰囲気やルールは異なるとは思うけれど、大体はこの施設のように季節ごとの行事があることと思う。季節ごとの行事は子どものためのモノなんだと改めて思った。(老人福祉では、また別だと思うが。)給食ではなく台所で調理したり、それをある子どもが(自発的に)手伝ったり、別の子どもに何だっけ(?)何か言われて職員が「人間だぞ、ロボットじゃないんだぞ」と反論したり(笑)。どの施設もこんなにアットホームな感じだったらいいなと思った。
(2025/02/22 キネマM)

映画を愛する君へ

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仏蘭西人はよくしゃべる(偏見)

仏蘭西人はよくしゃべるというのは偏見だけど、本作のナレーター(多分、アルノー・デプレシャン監督本人)はよくしゃべる(なぜ英語で?)し、作品としても一応の章立てにはしているものの、監督の実体験(の脚色)、ドキュメント、思い入れのある作品の断片などが、境目なしに同じレベルで(ということは過去の名作などを含めて全てが同監督の作品であるかのように)ごった煮にしているところに好感が持てるというか、面白いと思った。作品自体がべらべらしゃべっているようなものは、情報量についていけず理解が及ばないので本来は苦手なのだが、本作の場合、作品として整いすぎていないところが小僧っぽくてよいと思う。デプレシャンは同世代だし、映画愛を表明する作品らしいし、1本も観たことがないけれど、どれだけの映画小僧か興味本位で観に行ったわけだから、まずまずの小僧ぶりにニヤリとなったわけだ。

ホロコーストの関係者にインタビューした9時間半の作品『ショア』(クロード・ランズマン監督)を若いときに観て衝撃を受けたデプレシャン監督は、後に知ったイスラエルの評論家(?)ショシャナ・フェルマンに話を聴きに行った。そこで彼女が「ランズマン監督はホロコーストの犠牲者に対して何をできるわけでもないが、寄り添い伝えようとしている」というようなことを言ったのが印象に残っている。そうするとランズマン監督も「悶え神」ではないかと思った。

(映画小僧ナンバーワンは、スタンリー・キューブリック。フランソワ・トリュフォーもかなりなものだ。『パリ・テキサス』を観たときに、うわ、トリュフォーと同じくらい映画が好きな監督だと思ったので、ヴィム・ヴェンダースも小僧だと思う。でも、『PerfectDays』『アンゼルム』を観ると、もう大人になったのかもしれない。スティーブン・スピルバーグも映画好きだとは思うけれど、作品が整いすぎていて小僧な感じがしない。商業的なこともキチッと考えられる大人なんだろう。おっと、マーティン・スコセッシもキューブリックに匹敵する小僧だった。日本では塚本晋也がそうかな?黒澤明も『夢』なんかを観ると新しい技術を取り入れたりして、りっぱな小僧ぶりだった。小僧は男性に限ったことではないけれど、男性以外の監督はまだ少ないし、稚気があふれるくらい自由に撮れる監督も限られているのでキューブリックを超える小僧は未だ現れず。)

(悶え神:『水俣曼荼羅』で石牟礼道子さんが言っていた「苦しんでいる人の身代わりになることはできないけれど、寄り添うことはできる。寄り添って苦しみをともにする人が神様、悶え神だと思う」より)

(2025/02/06 キネマM)

ロボット・ドリームズ

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ネットを含む何人もの映画友だちに好評だったので見逃す手はない。いや~、観てよかった。なに、この切なさは。バーバラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの『追憶』もかなり切なかったが、ミュージカル・アニメでこれほどの切なさを味わえるとは思ってなかった。

20世紀(音楽に疎いので年代がわからない。80年代か90年代?)のニューヨークが舞台で郊外のビーチに観覧車が見えると「あー、コニーアイランド」と思ってしまう。オズの魔法使いのダンスシーンにはワクワクしたし。日本よりアメリカに詳しいのじゃないかというくらいアメリカ映画を観てきたせいで、相当にアメリカナイズされているなぁ。そのせいか、ツインタワーが見えるたびに同時多発テロを思ってしまう。

ドッグもロボットも互いの意に反して離ればなれになり、会いたくても会えないまま時が過ぎ、それぞれ別のパートナーができた。それでも互いのことは忘れられずにいる。忘れられないままでもいいではないか。新しい一歩を踏み出すことが大事なんじゃないだろうか。同時多発テロからおよそ四半世紀。愛する人を失った人に、そう語りかけているように思えた。

見終わって夜9時。地下駐車場から追手筋へ出て人の多さにビックリ!高知県の人口がここに集中しているのでは!?酔っ払いに当たらないよう運転にめっちゃ緊張した。
(2025/01/11 キネマM)

ベロニカとの記憶

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今が大事

久々に大人の映画を観た。
主人公トニー(ジム・ブロードベント)がバツイチで年金暮らしという十分な大人であり、若かりし頃の記憶を脳が都合よく書き換えたりというシニアあるあるが描かれているからだ。また、映画の手法としても時制が現在と過去を行き来するうえ、思い込みと事実の二つを描くに際しても、現在の登場人物に語らせたり過去に戻ったりと変化をつけていている。更に、物語の発端となった親友エイドリアン(ジョー・アルウィン)の遺品である「日記」の内容は謎のままなので、想像するしかないのも大人のオマケだ。なにより、トニ-の初恋の相手ベロニカ(シャーロット・ランプリング)の人生を思えば、トニーの人生より複雑で過酷な状況だったろうことが想像できて、A面とB面がある映画だと思う。

トニーがどれだけベロニカの現在を気に掛けようが、エイドリアンの日記を見てみたかろうが、大事なのは今だ。三十歳代でシングルの娘(ミシェル・ドッカリー)が初産を控えており、彼女は両親の助けを必要としている。彼は弁護士の元妻(ハリエット・ウォルター)に頼りっぱなしなのだが、娘のために頑張っている。娘のことも元妻のことも彼なりに思いやっているのだが、如何せん元妻からしたら、自分のことしか頭にない人だ。元妻も彼のことを思いやりがないとまでは言わないだろうが、全く足りないとは言うだろう。
彼が更に年を重ねて、また都合よく記憶の書き換えをしたとしても、物語の核となる大切な人は変わらないだろう。主人公を愛すべき人として描くことによって人の老年を肯定するような懐の深い作品だった。
(2025/01/10 高知県立美術館ホール シネマ・サンライズ シネマ四国)