劇場版 鬼滅の刃 無限列車編

天狼よ鬼より怖い刃なり

弟の勧めがあり、アニメを無料動画配信で見た。続きが見たくなって劇場に行った。
笑いあり涙あり、相変わらずモノローグが多過ぎだけど、歌舞伎か大相撲みたいに力が入った!
煉獄さんも炭治郎も善逸も伊之助も無意識が表に出ている人たちで、こういう人たちを善人と言うのだろうなぁ。多分、私の無意識も見えている部分とあまり変わらないと思う。幸せなことだ。
鬼たちの無意識は見えている部分と違うのだろうなぁ。鬼舞辻無惨やお館様はどうなのか。魘夢は成仏したので、もう誰であれ無意識を見せてくれることはないだろうけど。

鬼殺隊は皆日本刀を使うのかと思ったら、日本刀ではない刃物を持っている柱もいるみたい。しかも鞘もなく剥き身だった。う~ん、もう少し刃物の扱いに気をつけてもらえまいか。よい刀は鞘に収まっているという名言もあることだし。
刃物はあくまでも道具であって怖いのは扱い方だ。このアニメはTVのときからマジ怖だが、劇場版ではますます恐ろしかった。ひぇ~ん;;;;(善逸風)。
刃物を使わず血清(?)で鬼を治療しようとする鬼のドクターと弟子がいたので期待。
(2020/11/13 TOHOシネマズ高知9)

おらおらでひとりいぐも

沖田修一監督作品と知って、母を誘うんじゃなかったと思ったが、もう約束していたから行った。やはり「わからんかった。まあ、年がいったら独りということよ。」と言う。
わからなかったと言っても、主人公が若いとき家出して東京で出会った夫に先立たれ、子どもも独立して独りになったことも、三人の男が主人公の心の声と言うことも、地球が生まれて人類にまで生命が受け継がれてきたから生きねばと主人公が思っていることも理解していた。要するに「わからんかったということは、面白うなかったということよ。」なのだそうだ。

桃子さん(田中裕子)は、若いときの桃子さん(蒼井優)と同じで違っている。(今桃子さんのゴキブリ殺しが傑作だった。)夫(東出昌大)に先立たれた寂しさを自由にしてくれたのだと合理化している。ものは考えよう。よく生きれるように考えればイイと思う。若桃子と今桃子とでは、今桃子に分がある。今桃子の方が生きているから。自分の道を行くとき、自分らしくあろうとするとき、生まれ育った土地の言葉は大切だと思う。もし、土佐弁禁止になったら息苦しい。

寝て起きて食べて医者へ行って図書館へ行って、たまに娘と孫が来て・・・・と高齢になると一日の行動パターンが六つぐらいで終わってしまうそうだが、大正琴、太極拳、卓球のうちもっとも活動的な卓球をすることにした桃子さん。見習いたいものだ。
(2020/11/12 TOHOシネマズ高知5)

罪の声

十年一昔というけれど、50年昔は歴史だと思った。私が子どもだった1970年代は最早歴史なのだ。問われたら証言しなければならない(?)。

グリコ森永事件は1984年。その事件をモデルにしたフィクションでこれほどの物語を紡ぎ出せることに驚き、物語自体に感動し、映画としても色のトーンや要所でのロングショットやちょっとしたユーモアや多彩な登場人物を演じる俳優の豊かさなどを堪能した。

何よりも驚いたのは、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で終わった学生運動への総括があったことだ。ギンマン事件の動機を体制への抵抗であり社会をより良くするためだったと言う曽根達雄(宇崎竜童)に対して、記者の阿久津英士(小栗旬)は子どもが犠牲になっていることを告げ断罪する。
また、事件当時、子どもだった自分の声を脅迫に使われたことを知った曽根俊也(星野源)は、録音した母(梶芽衣子)に犯罪に使われた気持ちがわかるかと質す。母は悪かったと思っているので一言も返せない。
社会正義に端を発した学生運動も内ゲバやあさま山荘事件にまでなると、犠牲者がいる言い訳のできない犯罪であると作り手(原作者の塩田武士は1979年生まれ)に総括されたと思う。(俊也の母については50年前は曽根達雄らと学生運動をしており、35年前のギンマン事件当時は熾火が燃え上がったように描かれていた。子どもの将来を考えられないくらいに衝動的に警察への敵討ちに傾いたことは、今の姿を見れば達雄と違って若気の至りの面もある感じた。作り手も若気の至りと思っているかどうかは不明。)

平成の最後の年に、未解決の劇場型犯罪に利用されたマスコミとして落とし前をつけようという新聞社の社会部編集長たちの心意気がよい。昔の事件をほじくり返されて傷つく人がいるのに記事にする意義があるのかと問う阿久津の葛藤もよい。編集部がまるで刑事ドラマの捜査本部だった。過去を振り返り調べ、現時点での検証を行うことはいいことだなあ。そうしないと生島望と聡一郎のことが埋もれてしまっていただろう。新聞の役割に目覚めた阿久津は、文化部から社会部へ戻るのだった。文化部だって社会の公器としての役割はあるのに(ブツブツ、この映画での文化部の立ち位置がねぇ。実際はどんなものなの?)。

予告編ではわからなかったが、子どもだった自分の声を脅迫に使われたことを知った俊也の不安と悩みと知りたい気持ちも理解できた。
一番泣けたのは、放火して逃げる生島聡一郎とその母の別れのシーン。聡ちゃん、あんた、つらかったねぇ、姉ちゃんのことも悔やんだろう(ToT)。スーツが似合ってよかった。
ほっこり笑ったのは、堤防での俊也と阿久津のシーン。俊也の褒め言葉に照れて先に歩いて行く阿久津。お気に入りのシーンだ。
(2020/11/09 TOHOシネマズ高知1)

15年後のラブソング

海辺の博物館、イイネ。
名曲、“Waterloo sunset”、イイネ。
伝説のロッカー、タッカー・クロウ命のダンカン(クリス・オダウド)、ファンとしての狂いっぷり、笑えるね。
15年ダンカンと生活してきて別れて自分らしく生きていくジュリエット(ローズ・バーン)、とってもイイネ。早く妹を見習えばよかったけど、そうもいかない姉の立場、わかるよ。
あちらこちらで子どもを作って孫も生まれるけど、父親を一からやり直し中の雲隠れロッカー(イーサン・ホーク)、ゆるゆるでイイネ。

若かりし頃のタッカー・クロウの写真は、イーサン・ホークの写真で繊細そうなロッカーに見えた。『いまを生きる』『リアリティ・バイツ』『ガタカ』、う~ん、だよねー(^_^)。年を取ってからもずーっと、今まで作品にも恵まれて良い位置をキープしているなあ。『魂のゆくえ』を観てみるかな。
(2020/11/06 市民映画会 かるぽーと)