重力ピエロ

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愛の蓄積

感動した(ToT)。
弟、春(岡田将生)が二階から落ちてくるのを、兄の泉水(加瀬亮)がひょうひょうと受け止める。ユーモアもあるし(^Q^)、素晴らしい兄弟愛、家族愛ものだ。
この家族には、けっこうな重力が掛かっている。ときおり外圧も掛かって凹むが、結束力は強くなる。それでも春には特別に重力が掛かっていた。兄曰く「生まれたくなかったほどの恨みだよ」。

そして、家族には重力を解き放つ秘策があった。父曰く「楽しそうにしていればいいんだよ」。母曰く「そのうち私たち宙に浮くかもね」。
いやなことが頭に浮かぶのはしかたがない。考えないようにしようと思ってもできない。だから、ところてん方式だ。こだわりを捨て、脳のキャパ以上に次から次へと楽しいことをインプットするのだ。母が笑顔で水をまいている姿、父が養蜂している姿、二人が仲睦まじく向かい合っている姿。兄ちゃんが棒のように突っ立っている姿(笑)。

●遺伝<環境。本当の親は育ての親。血縁の父(渡部篤郎)と息子は、ジンジャーエルがお好き。私は、お酒が飲めないのは遺伝だろうけど、ジンジャーエルは偶然と思う派。息子が嘘をつくとき、自分と同様に唇をさわってしまう癖があることを発見した本当の父(小日向文世)が嬉しそうだった(他人が見れば「血は争えないなぁ」と言うところ(^_^))。

●創作の世界は殺人もオッケー。現実では裁判所は勝敗をつける場所になっていて真実どころか事実さえわからないこともある。連続強姦魔は絶対悪として描かれており同情の余地なし。ジョーダンバット、上等!めちゃめちゃカッコいい父ちゃん(小日向文世)とサイコーの母ちゃん(鈴木京香)が、強姦魔に負けてないところを見せてもらって涙ぐましく嬉しい。創作万歳!

●春の言動や部屋に張り巡らされた偉人の肖像を見るにつけ、どれだけ救命ロープが必要だったことかと感じる。たかが遺伝子、されど遺伝子。本当のことを教えるのは幼い頃の方がよいかも。知らない方が幸せだと思うけれど、口さがない世間の声が耳に入るより早く、年齢に応じた知らせ方をしていった方がいいような気がする。養子縁組とは違うから難しいとは思うし、春の苦しみように変わりはないかもしれないけれど、ある程度は考える手間が省けると思う。

●吉高由里子(夏子役)を初めてよいと思った。

●海の近くの家がナイス。美術さん、いい仕事。スクリーンで見たかった。

(2024/07/11 動画配信)

異人たち

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無敵の愛

いつも曇天、よどんだ空気、ベクトルはマイナス方向、そういう雰囲気が何だか不穏で恐かった。主人公が生きる屍状態である(生き生きと生きていない)ことが、そのだるい重さが伝わってくる。それが、12歳のときに事故で亡くなった両親と再会し、生き生きと生きられなかった彼の事情を話し、彼をまるごとわかってもらい、かつ、変わらず愛してくれるということが、彼の力になっていく。更に、心身ともに結ばれるという相手が初めてできたのだから、これから彼は本当に生き始めるのではないか。・・・・とは思えなかった。というのは、山田太一の原作は読んでいないが、大林宣彦監督の『異人たちとの夏』を昔観ており、彼の愛する相手が死者であることを知っていたからだ。

『異人たちとの夏』では両親は主人公の幸せを願い消えていくのだった。そして、恋人となった彼女は正体を現し、彼を黄泉の国へ連れて行こうとするのだった。彼は彼女を拒否し、生きることを選ぶ。ここから本当に生き始めるのだ。『異人たち』でもそうとばかり思っていたら、驚いたことに主人公は死者である相手を拒否せず、死者とともに生きるという(つまり黄泉の国へ行ったのか?)結末なのだった。

なんじゃ、こりゃーーーー!!!!????

このラストは、生き生きと生きている私には衝撃であった。つまりこれは日本では心中?心中こそ無敵である。究極の愛の形だ。この場合、相手が先に亡くなっているので後追いだろうか。
いや、このラストは、あくまでも象徴的なもので、愛した人が何ものであっても愛することに変わりはないということなのだろう。両親だって亡くなっているのだけれど、彼が愛し続けることに変わりはない。だから、彼は黄泉の国へ行ったわけではなく、死者である恋人を愛し続けるというだけのことなのだ(多分)。
原題は“ALL OF US STRANGERS”。「我ら皆、異人」という意味だろうか。確かに、一人一人異なっており、蓼食う虫と言われようが変人と言われようがお互いさまだ。主人公の父も生前、主人公が同性愛者であることをうすうす感じて隔たりがあったのだが和解できてよかった。お互い違っていても認め合おうとことなんだろう。
(2024/04/20 TOHOシネマズ高知5)

枯れ葉

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思い出が幸せにしてくれる

アキ・カウリスマキ監督は、世界の片隅のささやかな幸せを描いてきた。職を失うのが最大の不幸で愛する人と暮らせるのが最大の幸福という普遍的な「しあわせ」だ。それはウクライナとロシアが戦争している今も変わらない。(映画の中ではパレスチナとイスラエルの戦争はまだ始まっていない。)孤独な男女が出会い紆余曲折を経て結ばれるハッピーエンディングには、こちらまで幸せな気持ちにさせられた。

ところが、BGMは失恋ソング「枯葉」であり、遠ざかる二人を見送る形のエンディングは、死別をも想起させられる演出だ。愛する人と暮らすのが「しあわせ」なら、その人を失うのは不幸ではないのか?いやいや、「枯葉」を訳した字幕を読めば、失った恋の美しさを歌っているのだった。もし、愛する人を失ったとしても思い出が幸せにしてくれる。そうか、カウリスマキ監督は、そういう境地に達したのか。出来上がったこの映画の美しさに何とも言えない気持ちになる。世界の片隅のささやかな幸せは深みを増した。

いろんなジャンルの音楽をうまく使っているのもカウリスマキ監督らしい。そういえば、レニングラード・カウボイーズという架空(?)バンドを主役にした作品がいくつかあったけれど、1本も見ていない(涙)。

ジム・ジャームッシュ監督のゾンビ映画(イギー・ポップ出演(^Q^)の)『デッド・ドント・ダイ』が、二人のデートムービーというのもイイネ!きっとジャームッシュ監督とも仲良しなんだろうなぁ。

世界中でこの映画を観た人が幸せな気持ちになると想像しただけで嬉しい。世界中の人がこの映画を観られたらいいのに。
(2024/04/07 あたご劇場)

ほかげ

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戦後は誰も眠れない

塚本晋也監督は、大林宣彦監督に「わたしは戦後の監督だけど、君は戦前の監督だね」と言われてしまったのだ(^_^;。ご本人もうすうす感じていたことだろうけど、言われてショックだったと思う。でも、塚本監督はその流れに抗おうと『野火』『斬、』今作と制作し、自分ができることをやっている。(同じように感じている人と手を繋いでほしいと思う。)
塚本監督と同世代の私は、昭和を知る最後の世代だと思っている。東京生まれの塚本監督はどうかわからないが、田舎では井戸もかまども使っていた。火鉢も行火も。用水路で障子の桟を洗って紙を貼り替えたりしていた。蛍も普通にいた。寝間着は浴衣だった。土間を板の間に改築してステンレスの流し台や大型冷蔵庫が運ばれてきた。それらを出した空のダンボールを家に見立てて遊んだりもした。小学校に上がる前に日本はアメリカに負けたと聞いていたし、帯屋町で地べたに座った(何か敷物をしていたかもしれないが)白装束の傷痍軍人を見かけたこともある。担任の先生からは空襲の話を聴いたり、別の先生が給食の時間に校内放送で、戦後の食料不足で空腹だったので食べたものを戻してまた食べたりしたと話すのを聞いた。

戦争で夫と子どもを失った女性も、復員兵も、戦友と自らの恨みを晴らそうと元上官を襲った元兵士も、戦争が終わったというのに眠れない。この映画は、復興に向けて街は活気に満ちているのに心に傷を負ったまま立ち上がれない人たちを描いているようだ。そして、いとけない子ども(孤児である)が夫と子どもを失った女性と関わる中で盗みなどをやめて、真っ当に生きる姿を見せて終わる。
戦後も立ち上がれないまま亡くなった人は戦争関連死と言っていいかもしれない。そういう人の希望を託された形で少年は映画の後を生きていったのだろう。少年が汗水たらして働いた恩恵を受けたのが私の世代だ。それでなくとも、けっして戦争を起こす世代となりたくはない。

戦争でどれだけ人が傷つけられるかについては、この映画をしのぐ作品がいくらでもあると思う。(かつての上官を訪ねる話ではドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』。全編は未見だけど(^_^;、部分的に見たところでさえ凄かった覚えがある。戦争のPTSDでは韓国映画『息もできない』。私にとっては恋愛映画というよりも戦争のPTSDが原因で暴力的な父親が主人公に及ぼした影響の方が印象に残っている。)それでも、本作を捨て置けないのは、先の戦争(戦後)の片鱗を知る最後の世代と言ってもよい塚本監督の制作動機を想像してのことだ。
(2024/03/20 あたご劇場)