四つの署名

これはホームズ物語の中でもバランスの良い長編だと思う。いつものようにベーカー街のあの部屋でホームズとワトソンの掛け合い漫才が始まり、それが一段落したところに美しい依頼人が現れ、彼女の付添人として訪問した屋敷で殺人事件が起こり、まったく手がかりなしという状態からテムズ川でランチ(小型汽船)同士の大追跡へとスケールは拡大し、犯人は捕まり、真相はインドの大反乱まで遡る大河ぶり。

長編ゆえ、掛け合いがとっても充実している。ホームズは暇でたまらず皮下注射器でコカインを摂取(^_^;。もちろんワトソンは快く思っておらず、いつか言ってやろうと思っていたところ、言っちゃった。「今日はモルヒネ?コカイン?どっち?」
皮肉混じりの言葉にもホームズは怒るどころか「君もやってみる?」(^_^;
ワトソン「まさか!アフガニスタンの傷も治ってないのに。」と目を剥く。(治ったらやるという意味じゃないと思う。←念のため(^_^;。)
ホームズを賞賛したつもりの「緋色の研究」はけちょんけちょんにけなされるし(笑)。頭にきて、ギャフンと言わせてやるつもりで一個の懐中時計を差し出し、この時計のもとの持ち主がどんな人物か推理してみせたまえと難問(のつもり)を投げかける。(BBC「シャーロック」では懐中時計がスマホになっており、もとの持ち主ワトソンの兄は姉になっていた。)もちろん、ホームズは完璧な推理を披露して、ワトソンはショックを受ける(マジで)。その様子を見て「すまない、君にとって肉親の辛い話だということを忘れていた」と謝るのだ。ホームズって実は優しい。推理を解説した後「運よく的中したんだよ」と心にもないことを言ってフォローしているし(笑)。ワトソンもどんなに傷つけられても解説を聴くと、やっぱりホームズの推理力って凄いわと感心している(笑)。ホームズにも情があるし、忍耐強いが本質は感情の人ワトソンの理性も大したものだ。情と理がマッチした名コンビだ。

美しい依頼人というのはメアリー・モースタンで、事件が解決した後、ワトソンはプロポーズ。事件の手柄は警察に渡したようなものだから、ワトソンは言う。「どうにも不公平だね。この事件で警察は手柄を得て、僕は妻を得た。君にはいったい何が残っているというのだ。」

「ぼくには、まだこのコカインの瓶が残っているよ」と言って、シャーロック・ホームズは、それを取ろうと、白くて長い手を伸ばしたのであった。(伊村元道役訳、東京図書、シャーロック・ホームズ全集第9巻P203)

恋愛は感情的なもので冷静な理性とは相容れないため、判断力が狂うといけないから結婚はしないと言うホームズの孤独がしみてくる幕切れだった(しんみり)。

メアリーの付添人として二人が訪問した相手はサディアス・ショルトーというのだが、彼のモデルとなったのはオスカー・ワイルドだという研究がある。ショルトーのセリフや調度品などの描写からワイルドがモデルとわかるそうだ。ただし、ショルトーは気色悪く滑稽に描かれているため、コナン・ドイルはワイルドをよく思っていなかったのだろうとも書かれてあったような・・・。その本は、家の中のどこかにあるんだけど、本を探すよりネットを検索した方が早いと思う。

いろいろ 主にシャーロック

『セデック・バレ』で安藤政信くんに遭遇して、プチ安藤祭り。終わりました~。安藤くんイイねぇ。生きてたねぇ(笑)。映画の感想は、あらぬ方向に行っちゃったけど(笑)。『X-MEN』を見ても、あらぬ方向ですから(^_^;。『ハンナ・アーレント』も書くつもりなのに、どっちの方向へ行くへやら。つい、アンナ・ハーレントって言ってしまうし。
しかし、そんな私を支えてくれるBBCのシャーロックとジョンよ(♥)。このシリーズのジョンは、本当に見飽きない。微妙な感じが可笑しくて可愛くて。マーティン・フリーマン、ありがとう!
第1話「空の霊柩車」でシャーロックの帰還に予想どおり、殴りかかっていくというか絞めにかかっていったけど、1回じゃすまなかったね(笑)。3回くらい絞めていた(よくやった(笑))。
第2話は「三人のサイン」だっけ?タイトルを忘れたけど。シリーズ1も2も2話目が箸休めみたいな感じだけど、シリーズ3でもこれは箸休めみたいな感じだなぁ。だけど、いっぱい笑えて楽しかった。シャーロックが、だんだんまともになってきたような(?)。というか、第2話の幕切れは、シャーロックに孤独の風が身にしみる。ジョンとメアリーは、今までと変わらないと言っていたけれど、ハドソンさんは結婚すると友だち関係が変わってしまうと言っていたし。はて、どうなることやら。
そうそう、女の子が出てきたけど、あの子がベーカー街イレギュラーズの隊長になったらどううなるでしょー(^Q^)。お駄賃に生首の写真とか;;;;。
第3話の予告編を見ると恐喝王が登場するらしい。恐喝王と言えば、チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートンだよね!?ということは、「犯人は二人」というタイトルで訳されたこともある短編ですね。私はこの一編が大好きなのです。ホームズとワトソンがミルヴァートン宅に押し入って恐喝の材料を火にくべてしまうという話。二人が犯罪者になってしまうのだ(笑)。ワトソンはともかくホームズは、けっこう犯罪、犯してますからーーー(笑)。

X-MEN:フューチャー&パスト

『ファースト・ゼネレーション』が滅法面白かったので、若プロフェッサーX/チャールズ(ジェームズ・マカヴォイ)と若マグニートー/エリック(マイケル・ファスベンダー)見たさに行ってきた。いや~、二人とも良いケンカしてるね(笑)!色々と笑えるところもあって楽しかった!主な舞台は70年代なので、シャツの柄が~~(^o^)。音楽の使い方も上手いような。このシリーズは「妖怪人間ベム」とかティム・バートンが好んで描いてきた「異形もの」にも分類できるんだけど、多数派とは違うということで差別されたり悩みを抱えたりで普遍性があるよねぇ(差別に普遍性はあってほしくないんだけど)。それに『ファースト・ゼネレーション』と『フューチャー&パスト』では、少数派の中でも考え方の違いがあって仲間割れしてしまうってことが描かれていて、これまた嫌なことに普遍性があるようで、私たちは何て愚かなんでしょう。その点、ミスティーク/レイブン(ジェニファー・ローレンス)の選択は賢かったわけだ。仲間を実験台にしてきたトラスク博士を殺したかったけど、ミュータントは人類の敵ではないというところを見せたので、人類とミュータントが共存できる50年後につながったわけで。私は結構オメデタイので「そりゃもう共存でしょ」と頭っからチャールズ側だ。そのくせ自分の都合によろしくない人物は早めに成仏してほしいと思っているので、人類を排除してミュータントの世界を作るというエリック側の考えを理解できないこともない。だけど、ボスニア・ヘルツェゴビナとかイラク(シーア派によるスンニ派の弾圧が凄まじいらしい)とかウクライナとか共存できていたところに亀裂が走るのはなぜなのか(誰が得をするのか)。嫌な世の中になってきたので、娯楽映画を観てもそっちに考えが流れてしまう。でも、大丈夫。マカヴォイ君はタイプではないけれど、隈王子としての魅力を発揮。苦悩の表情に見惚れた~。『ウォンテッド』『つぐない』など苦悩したり病気したり、とても似合う!今後も大いに苦しんでほしいゾ。

その他の隈王子:エドワード・ファーロング、ジェームズ・スペイダー(いずれも若い頃)

監督:ブライアン・シンガー
(2014/05/31 TOHOシネマズ高知9)

セデック・バレ

『第一部太陽旗』『第二部虹の橋』を続けて観た。とても力のある作品で、長時間にもかかわらず一気に観れた。
『太陽旗』は、セデック族同士の猟場争いから始まり、日新講和条約で台湾の割譲後、日本人による統治で酷使され差別され続けたセデック族が決起するまでが、『虹の橋』は霧社事件の戦闘と結末が描かれていた。第二部はほとんど戦闘シーンだけど、(戦闘中にもドラマがあり)活劇と情動が上手く融合しているため、アドレナリンの分泌だけでなく心も動かされた。吊り橋が落ちたシーンから次のカットがつながっておらず、「れれれ???」なところもあるけれど、力強い演出でグイグイ見せられた。

知らなかったことを知るという点では、台湾の原住民セデックは鯨面文化があるようで、日本やニュージーランドとつながっていると思った。踊りの場面では、アイヌの楽器ムックリとそっくりな音がしていたし。霧社事件も初めて知ったけれど、女性も子どもも殺されていたとは驚いた。「日本人は妊娠している女性は殺さない」というセリフがあったということは(真偽はともかく)、セデックにはそういう考え方はなかったということだろうから、いささかカルチャーショックであった。

セデック族でも集落が異なれば、それぞれの頭目の考え方があるのは当然だろうが、猟場・縄張り争いで敵対している地域となると顔を見れば争う気満々なものだから、日本軍に上手く分裂させられ霧社事件でも敵味方となって殺し合う。この構図は『麦の穂をゆらす風』なんかでもあったし、今も地球のどこかで仲間同士で殺し合っている。民主主義(話し合いで決める)ってお金も時間もかかるから忍耐強さがいるし、正確な情報を収集できないと話にならないし、似非情報に惑わされない賢さもいる。そりゃあ、殺し合いの方が手っ取り早い(それならジャンケンにしたらいいのに・・・)。とまあ、やっぱり世が世だけに、考えがそっちへ流される。

融和策で台湾人も努力次第で日本人のように出世できると言われていたらしいが、セデック族に対する差別は台湾人より酷く、改善のため話し合う機会もないため決起することになったように見えた。これには待遇改善のためという目的はなく、ここまでコケにされて黙っていてはセデックの名が廃るという思いだけがあり、「誇り」を示すのが目的だった。日本軍の力は強大で負け戦は重々承知。コケにされるより死んだ方がマシというのだから、確かにこれ以上の「誇り」はないと思う。
そして、そのとばっちりを受けるのが、女子どもや「誇り」になじめない人たちだ。「誇り」になじめない人たちは描かれてなかったように思うが、いなかったのかなぁ。いたとしたら排除されていたのかも。「誇り」教育、すごいから~。勇気の証、刺青目指せって感じで狩りに行っているから~。態は子どもでも刺青があれば、もう大人。←違うと思うけどー。子どもまで闘っていたものね。

で、とばっちりを受けた女性や子どもたちは集団自決(^_^;。死にやすくするため死後の話も作ってある。勇気を出して思いを遂げたら虹の橋を渡れる。そして、別れた家族と再び相まみえることができる。虹の橋を渡って再会するために、さあ死にましょう。物語は生きるためだけでなく死ぬためにも作られるのだ。

セデック族が主人公であり、判官贔屓もあり、頭目のモーナ・ルダオ(リン・チンタイ)は非常に魅力があって、彼が登場すると目が離せないものだから、セデック族に肩入れして観ていた。だから、最後に作り手が彼らに虹の橋を渡らせ、再会させた気持ちはよくわかる。鎮魂の虹の橋なのだと思う。ただし、気をつけないと英霊再生産のための橋にもなり得る。強大な敵を大いに手こずらせて死んで行った戦士たち。彼らを賞賛してよいのか。英霊を賞賛することの是非を問いたい。

監督:ウェイ・ダーション
(高知県立美術館 2014/05/17 高知県立美術館ホール)