グランド・マスター

武術を舞踏のように描いて美しい。格闘時の音も重々しく腹に響く。継続と継承についての映画だと思う。

満州鉄道の駅でのゴン・ルオメイ(チャン・ツィイー)とマーサン(マックス・チャン)の闘いは、映画史に残る名シーンだと思う。そう言うと、映画史に残るとはどういう意味かと聴かれたので考えた。
例えば、私は『戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督)をほんの数年前まで観たことがなかったが、オデッサの階段を乳母車が落ちるシーンがあることは知っていた。それは『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)で駅の階段を乳母車が落ちるシーンについて、オデッサの階段を引用していると教えてくれた人がいたからだ。映画が映画に引用されて、当事者以外の者にそれとわかるということは(しかも時空を超えてる)、映画史に残ったと言えるだろう。(『マトリックス』の弾丸よけシーンなんか、既にいっぱい真似されてる(?)。)あるいは、『七年目の浮気』(ビリー・ワイルダー監督)を観たことがなくても、通風口のうえでスカートをヒラヒラさせているマリリン・モンローと言えば、たいていの人にわかってもらえると思うんだけど、これも映画史に残るシーンと言えるのではないだろうか。はたまた、名シーンと言えるかどうかはわからないが、「女の人が包丁を持って延々と追いかけるシーンがあって、このシーンが長い長い」と後世に語り継がれて行ったとしたら『幻の湖』(橋本忍監督)も映画史に残るシーンがあると言えるかもしれない。

そんなわけで、雪の舞う駅のホームでくり広げられる流麗な格闘の傍に、動き始めスピードを上げていく黒々とした汽車を延々と映し込み、闘いが決着する頃合いに走り去っていくという場面が映画史に残るくらい素晴らしいと思う。

これまで観たウォン・カウアイ監督作品は、映像が凝っていて美しく独特の雰囲気が気持ちよかったという印象だけで、残念ながら中身はほとんど覚えていない。だけど、この映画は私に関して言えば、ずーっと記憶に残りそうな気がしている。映像については言うに及ばず筆が及ばずなので省略して、写真について書きたい。

イップ・マン(トニー・レオン)もカミソリ(チャン・チェン)も宗師として弟子とともに写真に収まっている。女性ではイップ・マンの妻(ソン・ヘギョ)が夫と子どもといっしょに収まっている。技と命のいずれかを継承できた者が写真に残される。結婚や技の継承より父の復讐を優先したルオメイの写真はない。
再会したとき、イップ・マンは技が廃れると言ってルオメイの引退を惜しむ。ルオメイは何百年もの間には廃れた技もたくさんあると言う。イップ・マンは、モノローグでルオメイは負けたのだと言う。継承できなかったとしても修行を続けていたら、彼もそうは言えなかったと思う。イップ・マンが言うようにルオメイは己に負けたのかもしれない。なぜ、負けたのか考えると何とも言えない気持ちになる。

一代宗師
THE GRANDMASTER
監督:ウォン・カウアイ
(2013/06/01 TOHOシネマズ高知5)

はじまりのみち

いっしょに観た母は、「これくらいの苦労は誰にでもある」と言って、この作品をベストテン圏外に位置づけた。
これくらいの苦労とは、木下恵介監督(加瀬亮)が自作『陸軍』を戦意高揚にならないと批判され次作を思いどおり撮らせてもらえないので、松竹に辞表を提出したことだ。母は「(しかも)自分のための苦労じゃないか」と言うので、お母さん(田中裕子)のために苦労したではないかと反論すると、「ほんの2、3日のことだ」と手厳しい。

私は木下恵介監督に対する尊敬の念がよく表現されていて、『陸軍』の有名なシーンをたっぷり見せてもらえてうるうるきたし、木下監督の兄敏三を演じたユースケサンタマリアを初めてよいと思えたし、山越えしたときお世話になった方々や縁の人たちがクレジット・バックに登場をしたり、悪い映画ではないと思ったけれど、便利屋(濱田岳)に救われているとも思った。

涙考
それより気になったのが、涙と洟と涎だ。母たまが、病で不自由になった身体で一言一言絞り出すように「戻って映画を作りなさい」と言うシーン。息子は滂沱の涙。洟も長く伸びてきたので、早く拭いてほしくてイライラした。やっと手ぬぐいで拭ったと思ったら、今度は母が(口を動かすのも不自由なので)涎を出している。ああ、息子よ、早く拭いてやって~と思っても、息子は感極まったまま、更なる涙と洟を流している。

これは何もこの映画に限った話ではなくて、登場人物が流れる涙をそのままにしておくのは何百回も観た。先日観た『グランド・マスター』でもチャン・ツィイー演じるルオメイが右眼から流れるままにしていた。ルオメイの涙は唯々美しく、流れるままでも気にならなかったが、ほとんどの場合は、なぜ、涙を拭わないのか気になってしかたがない。涙というものは、ハンカチで、袖口で、ティッシュで、あるいは指先などで拭われるものではないのか???

仮に、流しっぱなしが人類普遍の慣わしであったとしても、映像で見せる場合は、気に掛かって感動どころではない観客がいることを考慮して、早々に拭ってもらえないものだろうか。涙と洟と涎の三拍子ともなれば、切に願わずにいられなかった。

[追記]
そうそう、今日(7月1日)ヤマちゃんと話して思い出した。芸術家(力のある映画作家)というのは妥協を知らぬと言うか、常人が持ち得ない一徹さを持っているが、誰もが唖然とする道のりをリヤカーを押して歩きとおした木下恵介は正に芸術家というにふさわしく、やはりそれだけ力のある映画を撮ることができたんだと思う。そして、その人が何のおごりもなく庶民の立場に立った映画を撮る、それでいいのだと決意する原点を描いた作品だと思ったことも思い出した。「涙考」だけではあんまりだったので、つけたし(^_^;。

監督:原恵一
(2013/06/02 TOHOシネマズ高知2)

奇跡のリンゴ

モーツァルトを聴かせると作物がよく育つとか、やさしく話し掛けつづけているとサボテンもトゲがなくなるとか、普段そういう話は面白く聴いているが、この映画でリンゴの木が1本だけ枯れた理由を言うときは、「この木だけ話し掛けられなかったからかも」(推測)くらいにしておいてほしかった。断定されると私は引いてしまう。その点を除けば、下草が不十分なところも、ラストをやたらと引っ張るのも無問題。何かをやり通す話としても家族の話としても面白く楽しく、ちょっぴり感動した。

特筆すべきは、戦地ラバウルの土を持ち帰った木村征治翁(山﨑努)だ。戦争体験者が少なくなる一方なので、戦争の話を聴く機会はこのように映画でってことになって行くのかなぁ。美栄子(菅野美穂)の父、木村翁は仲間が餓死していく地獄を見た人だ。死地をくぐり抜けた人の不言実行と覚悟の程には襟を正したくなった。娘婿の秋則(阿部サダヲ)は私の息子だ、無収入になった責任は無農薬栽培を許可した自分にあると言って、秋則の両親(伊武雅刀、原田美枝子)が息子の不明を詫びて持参したお金の受け取りを断るのもカッコイイ。畑に佇む姿も、孫とのやりとりも、寡黙な中にカッコよさがあった。

監督:中村義洋
(2013/06/09 TOHOシネマズ高知6)

エイリアン ディレクターズ・カット版

高校3年生のときの作品。友だちは観に行ったが私は行かなかった。そんなわけで劇場で見るのは初めて。
いや~、やっぱり怖かった。タイトルの出し方からして、じわ~っと。宇宙船がドォ~ンと映った後、船内をじわ~っとカメラがなめていく。このゆっくり加減が怖いわ~。『2001年宇宙の旅』の宇宙船が無機的なら、こちらのノストロモ号は有機的。古いボイラー室みたいで、それも私には怖かった。それと、テレビ鑑賞ではまったく気がつかなかった音。船の動力のように、鼓動のように、場面によって音色は異なるんだけど一定のリズムで常に音がしていた。この音でもかなり怖くなった。腹を突き破って出てくるシーンは、わかっていてもショッキング。ただし、走って行った子エイリアンにはちょっと笑った。リプリー(シガニー・ウィーヴァー)は、すごくイイね!泣きそうな顔がよかったわ。彼女も初めから強かったわけじゃないんだ。出演者が皆若いのも楽しかった。

ダラス船長(トム・スケリット)/ケイン(ジョン・ハート)/パーカー(ヤフェット・コットー)/ブレット(ハリー・ディーン・スタントン)/ランバート(ヴェロニカ・カートライト)/アッシュ(イアン・ホルム)

ALIEN
監督:リドリー・スコット
(2013/06/11 TOHOシネマズ高知3)