エマ(ナタリー・ポートマン)、アホやなあ!と他人事だから思える(^_^;。
めっちゃ、イケテル男やん。>アダム(アシュトン・カッチャー)
恋愛に臆病なのって、これだけアホなことなんだ。
しかし、対照的なのがアダムの父ちゃん、アルヴィン(ケヴィン・クライン)で、息子の元彼女であろうと見境がない。自分に正直っていうのも、なかなかアホなことである。同じアホなら踊らな損ソン!というわけで、この映画は正直な恋愛の薦めであった。
ナタリー・ポートマンはコメディはもっと精進の必要あり。
ケヴィン・クラインって何をやってもいいなぁ(はぁと)。
メツナー医師がケイリー・エルウィズとは気がつかなかった。生きのびているようで慶賀。
NO STRINGS ATTACHED 監督:アイヴァン・ライトマン
(市民映画会 2011/09/15 高知市文化プラザかるぽーと)
デンデラ
パワーがあった。
いま、なぜ、姥捨て山なんだろう。きっと、年配女優に思いっきり演じてほしかったんじゃないかな?そんなわけで、俳優が実にパワフルだった。押して押して押しまくられた感じだ。そして、生きるって大変だと改めて思った。
生きようと思ったら生きられたので、口減らしのために山に捨てるなんて無策で、そんな掟を作った男たちに復讐するという理屈はわからないではない。「殺す」ことで片を付けるのは姥捨てと同じだ、デンデラを理想郷にして「生かす」のが本当の復讐になるという理屈も肯ける。だけど、それぞれの主張をしたメイ(草笛光子)とマサリ(倍賞美津子)の命の捨てどころは、なかなか真似は出来ない。ただし、私だって年寄りを切って捨てるような政府に物申すデモに参加するくらいのことはするつもりだ。年金もらって平穏無事に細く長く生きるため、行動するぞ行動するぞ行動するぞ!(?)
ところで、百まで生きるつもりの母と盛り上がった話題は、斎藤カユを演じた浅丘ルリ子が化粧をしているか否かだった。『鹿鳴館』で啖呵を切る影山伯爵夫人の美しさには痺れたが、今回はひれ伏す。スクリーンでの俳優はこうであってほしい。
監督:天願大介
(2011/09/04 TOHOシネマズ高知3)
蘇鉄と蝶
蘇鉄と蝶は高知市で、ザ・草は我が家の庭で撮りました。
レームブルック展図録
高い、重い、場所を取るので買わないことにしているカタログを買ってしまった。
印象に残る展覧会は数あれど、四半世紀以上(?)も前に名古屋で観たゴッホ展、2005年のベルリンの至宝展(エジプトコーナー)、そして、2004年のレームブルック展がベストスリーだ。(ベルリンの至宝展は円山応挙展に差し替えようか迷うところ。)
三浦雅士さんが「バレエ入門」(新書館)で「妙なことを言うようですが、芸術というのは身体に効きます。素晴らしい絵は身体にいい。詩もそうです。精神の問題ではありません。身体としての問題です。呼吸が違ってくるのです。」(p259)とおっしゃっているように、上記の展覧会は脳細胞の隅々まで酸素がいきわたる感じがして疲れなかった。(三浦さんの定義では、人を無用に疲れさせるトリアー作品は芸術ではないが、『アンチクライスト』の冒頭のスローモーション・シーンは芸術ってことになるのでは?)
振り向く女(1914/ブロンズ/91.9×24.6×29.1cm/ヴィルヘルム・レームブルック美術館)
ブロンズなのに温かみを感じる。表現されているのは寒さや恐れのようだ。
本当の人間に比べると頭手足が長すぎる像がある。形がどんなでも、やっぱり人間らしい温かみを感じさせられる。そのうえで何らかの感情が伝わってくるところが素晴らしいと思う。
レームブルックは、日本語ウィキペディアに載ってないようで残念。
カタログの成果。彫刻。
「女のトルソ」兵庫県立美術館
「立ち上がる青年」愛知県美術館
「もの思う女の頭部(ほっそりした首の少女頭部)」(株)石本建築事務所
ヴィルヘルム・レームブルック←特別展の感想。
ヴィルヘルム・レームブルック展←高知県立美術館の解説。
レームブルック片付け←愛知県美術館ブログ。おもしろい!
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