空に住む

イマイチ生きている感に乏しい自己の存在についての、これでいいのかしらんという霞のような悩みを、喪の仕事と後輩の出産と遣り甲斐のある仕事を通して抜け出すお話だと思う。
・・・・バブル期の若者になら何割か共感してもらえそうな感じの作品だと思うけれど、就職氷河期を経て非正規雇用が増えていく中、新型コロナまで加わった今、高級マンションで花を飾り赤ワインを飲み、屈折した売れっ子タレントと関係を持ち、小さいといいながら5人以上働いている出版社に勤めている主人公小早川直実(多部未華子)に共感できる若者はどれくらいいるだろう。直実がマンション地下のゴミ分別所で管理人(柄本明)と話すところは、彼女がそこまでふわふわしている訳じゃないってことだろうと思うけど。

とても映画的というか、マンションと出版社など人物も含めて映るものの対比が効いていたり、退屈はしなかった(編集長、おっしゃれ~)。特に涙が素晴らしい。両親の事故死にも涙できなかった直実が夜の浜辺で見せる涙はアップじゃないのだ。それなのに涙がキラキラ、美しいのだ。少し逆光気味に撮っているのか、物語と映像がピタリと嵌まって狙いどおりだと思う。
あと、多部未華子ちゃんのサービスショット!ストレッチしている後ろ姿から顔のアップになって、前髪からおでこが少し覗いている。可愛い~!未華子ちゃんのおでこ、サイコー!わかってるね!>青山真治監督
(2021/03/29 あたご劇場)

すみれ?コレクション

↑左端のスミレの約半月後が、真ん中と右端。

↑おしまいの2枚はスミレじゃないと思う。もしかしたら、6枚ともスミレじゃないかも?スミレはタンポポと仲良し。

↑あたご劇場前のコイン駐車場。

↑陰を選んだり、作ったりしてパチリ。

↑3枚目と5枚目はブロック塀の端。撮影した日はほとんど花が終わっていた。塀沿いにズラ~ッと咲いているのを撮りたかったけど、そのときはスマホを持ってなかった。

水路の擁壁の苔に生えているものが。

生誕100年 石元泰博写真展


面白かった。
東寺の曼荼羅の写真だけが大きくカラーで、他は皆小さめ。小さめだと写真集とイメージが違わないからいいかもしれない。それに美術館としては比較的管理がしやすいかも。
雑誌の表紙や食品を写した仕事や、面白がって撮ったり作ったりした動画、著名人のポートレート、ニュー・バウハウスのこと、カメラの機材や妻の滋さんのこと。あまり疲れなかったのでよい展覧会だと思う。

石元作品は、雑踏の中で撮っても音がない。だからなのか、元々音がなさそうな桂離宮などよりもシカゴや東京の人や街の方が私には面白く感じられる。動くものの一瞬を切り取った感じの作品が面白い。その前後の動きが想像できるからだろう。それと東京など昔の風物を見るのは単純に面白い。
寄贈を受けた頃だったと思うが、落ち葉や雪の中の足跡や波などの作品「刻」の展覧会があって、私はその前後の動きを想像したのだろう、素晴らしいと思ったのだが、写真をやっている人の言うことには、あのような写真は五万とあるとのことだった。そうか、五万とあるのか、でも、初めて見たから素晴らしく見えたんだよねぇ。
今回の展覧会で「街で見たもの」として撮られているものは、もちろん石元が面白いと思って撮ったものだろう。「もの」自体としては赤瀬川源平などが発見したトマソンなどの方が愉快で面白い。ただし、石元作品には「もの」+「静寂」があって、写真の中の空気が浄化されたように見える。建築物を撮ったものもそんな感じ。カラーになると空気が見えないので、中東のタイルなんか綺麗だけど、やっぱりモノクロ作品がいいかな。(雑誌に載った食品はカラーだけど奇妙で面白かった。)

東京タワーの作り始めみたいな写真があったけれど、あれは何だろう?本物の作り始めだとすると、大きなタワーの足の部分が一枚の写真に収まっているのが不思議だ。タワーから離れて撮れば収まるだろうけど、近くから撮ったように見えた。そういう撮影方法があるのだろうか。
(2021/03/09)