ガーベラ

2025

鉢植えのクリーム色のガーベラは株が増えて4、5株になっている。(2025年3月)
庭植えの株も増えたのもあるけど、増えてほしい真っ白株は葉っぱも少なく買ったときより小さくなっている。(2025年4月)
ガーベラ・ガルビネア・スイートブレーズが仲間入り。鉢植えにした。これでガーベラは9色になった(驚)。ただし、最初に買った真っ赤は、地植えにした場所に他の植物が生えてきて窮屈そう。レスキューするべきか・・・・。(2025/05/03)
クリーム色(鉢植え)を株分けして全部で3鉢になった。(2025/10/05)
秋に株分けしたとき、根が鉢にくっついていて大変だった。ガーベラにも負担がかかり、親株共々元気がなくて心配したが、今は元気で親株と子株のひとつは花が咲いている。(12月)
ガルビネア・スイートブレーズ(黄とオレンジの混じったもので茎が長い)を5月に購入し、鉢植えで育てているが、スゴぶる調子が悪くきれいなはっぱが2枚しかない。なんとか春まで持ってほしい。(2025/12/14)


2024以前

2021年10月に赤いガーベラを一株買って庭に植えた。冬も咲いてくれて、すっかり気に入ったので2022年3月に朱色がかった赤、ピンク、黄の三株を庭に植えた。次々咲くので、咲いては切って部屋に飾っている。株の中心から葉っぱや蕾が出てくるのが面白い。土の中に蕾が埋まっている感じだ。(2022/04/30)
秋にクリーム色のガーベラを買って11月に鉢に植えた。一月経ってやっと花が咲いた。白、いいね(^o^)!(2022/12/05)
庭植えのピンクのガーベラが咲いたと思ったら、1本の茎に四つの花が付いていた。雨が降らなかったので結構長い間楽しんだ。(2022/12/10)
違う色のを3株プラス。真っ白と白まじりピンクと朱色。庭に植えた。(2023年春)

竜とそばかすの姫

面白かった。昔々の少女まんがのような味わい。竜の正体と物語の落としどころは、その辺にしておくしかないだろう。
それにしても、細田守監督とは相性がよろしくない。『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』と今作を見て、『サマーウォーズ』以外は面白く見たけれど、何か好きになれない。どうしてだろう?考える気力もない。
(2021/09/29 TOHOシネマズ高知4)

ブータン 山の教室

じわじわくる。とても多くのもの、大切なものを含んだ作品だ。
ブータンってどんなところか、幸せってなんなのか。

都会に住むウゲン(シェラップ・ドルジ)は、祖母に教師はいい仕事と言われてもオーストラリアで歌手になることを夢みている。彼にとっては新しい派遣先のルナナ(最後の町からの交通手段はなく、険しい山道を歩いて8日、標高5千メートル、人口56人の僻地。学校はあれども、電気水道ガスのない生活環境のため教師が定着せず、子どもたちが充分な教育を受けられない。医者もいないため、お産で亡くなったりも。)は、到着して早々「無理です。帰りたい。」と訴えるような場所だが、厳しくも美しく雄大な自然の中、いろいろと役だつヤクのお陰で人々の暮らしは成り立ち、村人は皆歌が歌えて、酒浸りの父を持つ少女さえも屈託のない笑顔を見せてくれるところなのだ。
念願叶ってオーストラリアで歌うウゲンが幸せそうかというと、明らかに違う。都会では、やる気のない先生だったウゲンが、学ぶ意欲に溢れた瞳キラキラの子どもたちに囲まれてよい先生になっていた。ウゲンも離れてみて、わかったのではないか。
セデュ(ケルドン・ハモ・グルン)が教えてくれた歌の歌詞を取り出して歌おうとするラストシーンが、ルナナでウゲンを待つセデュの後ろ姿のファーストシーンにつながる。見事な構成だ。

ウゲンを主人公としたストーリーからするとルナナの人たちが幸せなのだと思う。原題(?)の「ルナナ 教室のヤク」からすると、衣食足りて意識が外国へ向かいだしたブータンの人向けに、ルナナの人たちのような「足るを知る」心持ちが幸せにつながると作り手は言いたいのかもしれない。あるいは、寒さよけに窓に貼られた紙を剥がして子どもたちの勉強用の紙にしたことを感謝したりされたりの交流こそが幸せなのだと。

ルナナの村長さんが村人に諭した言葉が印象に残っている。「先生(教師)は未来を知る人だから敬いなさい。」
太古の昔なら占い師とか神子に当たると思う。vision、見通す力、先見性、洞察力。ルナナの人たちの幸せに必要なもの。私たちにも必要だと思う。
(2021/09/22 あたご劇場)

庭の秋

今朝、水遣りをしていたとき、何かの鉢にキノコを見つけた。傘が開かないうちに取らねばと思いつつ水遣りをつづけると、案の定、キノコのことを忘れてそのままになっている。何の鉢だったか。あとでパトロールをしなければ。

園芸を始める前から二十四節気の立秋に感心していた。残業続きで久方ぶりに明るいうちに帰れるとなって外に出ると、空気というか光線の具合が物寂しいものになっていた。まだまだ暑い頃に秋を感じたことだった。遠くの山の木々もギンギンギラギラ銀色で、潤いがなくなっているのがわかる。桜などは8月のうちに紅葉して散っていく。
父も行商していた頃を振り返り、お盆を過ぎるとスイカが売れなくなると言っていた。今年は雨が多かったから更に売れなかったかもしれない。その頃になると虫の声が聞こえ始める。
処暑の頃には、夏休みの後半の朝のひんやりとした空気が好きだったことを思い出したりもしている。

9月に入ると夏バテした植物が顕著になるけれど、今年は夏に強いはずのトレニアの元気がなくなっていた。具体的には葉や花の色がうすくなっていた。夏バテというより、植え替えてから肥料をまったくやってなかったからだと思い至り、油かすをいくつか置いたら復活。11月まで行けるかもしれない♥。

牡丹は梅雨明け頃から昨年よりは影になる場所に置き換えたが、やはり葉焼けしてボロボロだ。

朝倉実山椒は、虫がついたように色が変わった葉は2回くらい取り除いたが、今日は多くの葉先が黄色っぽくなっていた。早くも紅葉?それなら肥料をやる必要はなかったと反省。まさか害虫ではないでしょうね。

害虫と言えば、今年買った赤いオステオスペルマムが白い粉を吹き始めたと思ったら、茎がどんどん白くなっていって、ようやくアリマキ(アブラムシ)がビッシリ増殖していることに気がついた。どうなるかと数週間見守っていたら、下の方からどんどん枯れていった。上の方も弱って見るも無惨な姿だ。虻の幼虫の時期でもないし、救世主は現れず。他の植物に移る様子がなくてほっとしているが、緑色でなくなるなど葉っぱや茎に何かの異変があれば、見つけ次第、その部分を取り除くべきだと改めて思った。見守ってはいけない。

それでも、キアゲハの幼虫を見つけたときは放っている。幼虫キアゲハの食欲はバッタの比ではなく、見つけたときは食卓用のパセリが坊主寸前だった。次に見たときにはパセリは丸坊主、幼虫は姿を消し、どこのどの葉を食べに行ったのだろうと思いながら、小さなプランターを覗き込むと、5ミリくらいの緑の玉が土の上にたくさん転がっていた。というより土が見えないくらい積もっていた。幼虫の糞は元はと言えばパセリ。パセリは自分を肥料にできるのだ(丸坊主でも生きのびられたら)。考えてみれば人糞も肥料にしていたなぁ。有機物って素晴らしい。

蝶の幼虫って春のイメージがあるけれど、キアゲハはどうやら秋のようだ。セリ科が好物で昨年だったか一昨年だったか、こぼれ種から育ったイタリアンパセリにも付いていた。茎が幹のようにカチカチに大きく育ったイタリアンパセリは、坊主にはならず余裕だった。春にはそこまで大きくなってないはずだから、やっぱり秋だね。と思って検索したら、成虫は4月から10月頃までいて、孵化してから2週間前後でサナギになるらしいので、秋だけではないのだった。

蜘蛛の巣城でダンゴムシ天国、雑草ランドでもあり近所の飼い猫のトイレでもあり遊び場でもある我が家の庭に、待望のカマキリを発見したのは先月中頃だった。いつだったか、ローズマリーの枝に泡が付いていたので、カマキリの卵かなと期待していたのだ。20年くらい前には、マイカーのボンネットに20センチ弱のカマキリを見つけてギョッとなっていたが、昨年の大量のバッタには参ったのでカマキリ登場を願っていた。発見したときはダンゴムシを狩っていた。バッタの数が昨年より減ったように感じるのはカマキリのお陰だろうか。顔が恐いし、中学生のとき斬られたことがあって苦手なのだが、カマキリさんにぃ~~~感謝。