没後20年 具体の画家-正延正俊


2015年の展覧会。感想を書くつもりで画像(県美レター)とかはアップしていたのに、書かずじまいだった。
すごくよかったし、大好きになったと言うことだけでも記しておきたい。
「具体」というアーティスト集団も面白かった。前衛ってイイネ(^o^)。

没後20年 具体の画家-正延正俊(高知県立美術館のページ)

「鈴木理策写真展──意識の流れ」「刺繍をまなぶ展」「具体の画家──正延正俊」(アートスケイプのページ)

「没後20年 具体の画家──正延正俊」「TODAY IS THE DAY:未来への提案」「ヒロシマを見つめる三部作 第1部:ライフ=ワーク」(アートスケイプのページ)

ある少年の告白

知らないことは罪深いと改めて思った。性的指向は病気でも嗜好でもなく、治療すべきものでも矯正できるものでもないのは、現代日本では共通認識となっていて教育もしていっているが、今もって同性愛が犯罪の国があるし、アメリカのキリスト教原理主義(福音派?)者は天動説も進化論も拒否していると聞くので、そこでは無知のままなのかもしれない。それにしても、LGBT運動の先進国に見えた21世紀のアメリカで同性愛を矯正する施設(を禁止していない州)があるとは、どういうわけだろう?『アナと雪の女王』でも「ありのままの姿、みせるのよ~」と歌われているのに、まだまだ自由への道半ばということか。

主人公ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)が通った矯正施設の実態は洗脳施設だった。他人には触れないようにという規則を過剰に守り軍隊式の敬礼で挨拶をする入所者(なんとグザヴィエ・ドラン!)は、洗脳されきっている。もう少し考えのある入所者(トロイ・シヴァン)は、ジャレッドに「役を演じるんだよ」と忠告する。同性愛が治ったように見せないと長期入所させられるのだ。彼はこの初期プログラムを脱出できたら、外でのことはそれから考えればいいと言う。彼なら施設外でも演じ分けをするのだろう。もう一人、キャメロンは、自分の気持ちに正直だったため、御されにくい者として打ち砕かれ、おしまいには自殺する。(自殺に見せかけた殺人かとも思ったが、ジャレッドの脱出を助けたために、責め立てられ追い詰められたのだろう。)
ここに通う人たちは、自分らしくあろうとすると、肉親にも施設の所長にも否定され、自らを否定することになり、幾重にも傷つけられる。

ジャレッドが洗脳されなかったのは、家族医とゼイヴィア(セオドア・ペレリン)の言葉のお陰かもしれない。家族医は同じキリスト教徒であるため同性愛がよいとは思ってないけれど、病気でも嗜好でもないと知っているので、矯正できると思っている彼の両親は間違っていると断言した。ゼイヴィアは「神と科学」という作品展を開いていたアーティストで、ジャレッドが惹かれた相手だ。彼もキリスト教徒だが、「神は外から僕たち見ているのではなく、僕たちの内側にいる。君を罰したりしないよ。」と同性愛が罪でないと言った。信者として葛藤を抱えていたジャレッドが、施設で自分の性的指向は矯正できないとわかってきたときに、二人の言葉が大きく響いたと思う。
それがまた、作り手の一番言いたいことなんだろう。

ジャレッドは母に助けを求め施設を脱出できたが、それで話は終わりではなかった。父親に受け入れてもらえない辛さがあった。ジャレッドも父もお互い愛しあっているのに。けどまあ、エンドクレジットで「愛は勝つ」とわかる。そして、所長さんが夫と暮らしているという現況報告・・・・。『ジャンゴ 繋がれざる者』のスティーブン(サミュエル・L・ジャクソン)みたいにありがちだけれど、悲しいし、今回被害者もいるので罪深いよなぁ。

ラッセル・クロウは名優の域に達しているなぁ。ニコール・キッドマンは、キッドマン臭は拭いがたいものの難はなし。所長さんを演じたジョエル・エドガートンが、この映画の監督・脚本・制作を担ってもいたとは!この人はバズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』に出ていて、私にジョン・レグイザモと間違われた人だ。才人だったのね。
(2020/08/13 動画配信)

浦上コレクション-北斎漫画展

北斎漫画って50歳代(1814年)から死後(明治時代1878年)まで出版されていたのね。今も印刷されているだろうから、ロングロングセラーだ。
全15冊もあって浦上コレクションが1500冊!見開きになった作品を額装するには、和綴じ本を解体して輪の部分を切って見開きの片側とくっつける必要があるから、切ったりするのはもったいないと思ったけれど、1500冊もあるからできることだったんだ。

とにかく動きのある絵で、清明で朗らかで味わいがある。ますます北斎を好きになった。絵の中にある文字も北斎が書いたの?この文字も好きなんだけど(^_^)。「寄せる波、引く波」にローマ字があって「どうして?外国人へのサービス??」と思ったら、輸出されたもので外国の人が書き込んだものとのこと(納得)。それにしても、植物は牧野富太郎の方が上手い。北斎の植物は硬い。他のものは柔らかいのに植物だけが硬いのが不思議だ。

著作権の保護期間は過ぎているから、いいよね。

あ、絵金も北斎の影響を受けているとかで展示されていた。絵の技法はよくわからないが、放屁合戦とか畑に蛸とかユーモラスなところが共通点なのか?影響はどこかで受けているのだろうけど、それくらいは受けてなくても描くんじゃないかと思う。ただし、いっしょに展示してくれたお陰で、絵金の絵の雑味というか、北斎の清明加減というか、そういう対比が自分の中でできたことだった。
(2020/08/21 高知県立美術館)

マテリアル・ミュージアム-高知で見つけたステキな廃材

楽しかった。展示してある廃材を素材にした来場者の作品(写真)が壁に飾られていて、その発想や写真の撮り方など立派にアーティストだと思った。

分別された廃材を見て何か閃いたら私も写真を撮ってブログに載せようと思っていたが、「まったく何の閃きもない」ことがわかった。パソコンか何かの基盤を見たときに、基盤のうえで迷子になっている人が思い浮かんだが、迷子になっている人を表現する素材を探して作品化する気力がないこともわかった。

それでも楽しかったのは、例えばチェロが廃棄される経緯を想像したり、弦とか色んな部分に分解されているけれど、胴体まで分解するとチェロでなくなる・・・てなことを考えたり、あるいは酔鯨の何十枚ものラベルを廃棄するのは、デザインを変更したのか糊が効かなくなったのか酒造りをやめたのか要するに印刷しすぎたことに間違いないなどと、けっこう脳細胞を活性化できたからだろう。
また、嬉々として作品を作っている親子づれとかカップルとかも微笑ましかった。美術鑑賞は、観ていくペーストとか何やらで一人の方がいいかもしれないが(複数なら別々に観て後で互いのお気に入りを案内するのも楽しい)、このような作品作りだと複数で行くとより楽しいし、アイデアもよく浮かぶかもしれない。

廃材をあつめて回るのは、元の持ち主とのやり取りもあるだろうし、私からすると大変そうだが、それが楽しい人もいるのだろうな~。

こういう捨てられたものから作品を生み出す活動を「クリエイティブ・リユース」と言うそうで、その達人である大月ヒロコさんの監督のもと成り立った企画だそうな。大月ヒロコさんが岡山県で活動している内容がわかるサイトIDEA R LABを見ると楽しそう。暮らしをアートにしてしまおうということですね。
(2020/08/21 高知県立美術館)