フランスづくし

29、30日と東京でパリ・オペラ座バレエの公演を観てきました。
で、午前中の空き時間で見た映画が、偶然にも2本ともフランス映画でありました。
■ぼくを葬(おく)る
フランソワ・オゾン監督の作品は、私にとっておもしろいけれど好きではない作品ばかりだったように思いますが、『ぼくを葬る』は好きです~。というのは、ひとえに主演のメルヴィル・プポーのおかげ。彼がこんなに男らしく素敵になっていたとは!!!彼は普通の男前というに過ぎないお顔ですが、表情に深みと翳りができておりまして、余命3ヶ月を宣告された青年役が見事に嵌り、美しく切なかったです。『夏物語』の愛すべきとほほな男の子(を演じた少年)が、こんなに成長するとはね~。いろいろ芸の肥やしになるようなことが、彼の人生にもあったのでしょうね。
しかしながら、この作品にもオゾン監督・脚本の「いやらしさ」はありまして、それはまたHPの方に感想を書こうと思いますが、とにもかくにも、オゾン監督の作品であっても美しい男性を主役にしてくれるならば、ええ、もう、好きになりますとも(笑)。
ところで、『ぼくを葬る』のポスターは一見すると「お耽美」なのですが、よく見るとプポー君の脇に赤ちゃんがおりまして、このポスターがお好きな人には申し訳ありませんが、私は二人の雰囲気がとっても不自然で気色悪いと思ってしまいました(^_^;。
公式サイトの表紙が、そのポスターと同じなので、まあ、ご覧ください。
http://www.bokuoku.jp/
■美しき運命の傷痕
素敵なタイトルですよね。
こちらは、タイトルとエマニュエル・ベアールが出演していることしか知りませんでしたが、大変面白いお話でした。でも、演出に迷いがあるような気がします。タイトルバックでは「(大河浪漫的な一家の)物語」が始まるという感じなのですが、実際はストーリーテリング的な演出ではなく、三人姉妹の愛の地獄を一定のリアリティを持って描いています。謎解きとして面白い話なので、これはハリウッドでリメイクして、アメリカ的なミステリー映画にしてほしいな~。
と思っていたところ!
ななななんと、原案はキェシロフスキですと!>スーダラさーん!ご存知でした?

キエシロフスキがダンテの『神曲』に想を得て構想した三部作「天国」「地獄」「煉獄」のうちの「地獄」編に当たる。なお、「天国」編はトム・ティクヴァ監督により「ヘヴン」として2002年に映画化された。
(引用:allcinema onlineの『美しき運命の傷痕』ページの解説から)

そして、監督が、『ノー・マンズ・ランド』の人ですと!
フランス映画だとばかり思っていたら、他にイタリア、ベルギー、日本も一枚噛んでいるらしいです。
あのタイトルバックは、大河浪漫を愛する会の初代様は、お気に入りそうですよ~。
わたくし、二代目は、タイトルバックだけでものすごーく想像がふくらみました。

成瀬巳喜男(2本)

成瀬巳喜男監督の作品は、ずいぶん前に『女の中にいる他人』(夫から不倫相手の女性を誤って殺したと告白を受けた妻は、家庭を守るために事件を隠蔽しようとする。←チラシより)を見たことがありますが、大変緊密な映画でした。
本日観た2本も、さらりとした肌ざわりなのに、たっぷりとした濃密な時間をすごしたなあ、という感じです。それから2本とも女優に特別な照明を当てて美しく撮っているのがよかったです。映画を見に行くっていうのは、私の場合、第一に美しいものを見に行くってことなので。
しかし、なんですなー。浮気な男ばっかりですなー。成瀬巳喜男作品は。
■山の音
父娘以上恋人未満。
嫁と舅の微妙な関係のみならず、姑のキャラクターなど、すごく面白かったです。
原節子、華がありますね。鼻血を止血するところは、美しかったです。いろっぽい。舅(山村聰)も「はっ」としたのでは?
夫(上原謙)は、浮気しており、これは家族の間の周知の事実。上原謙、いやな役だねー。妻と夜の相性がイマイチなのを相手のせいにして。自分が子どもなんでしょ(プン)。
人間関係の微妙さを、ちょっとした表情で見せるのが映画らしくていいですねー。
嫁と舅がお互いを思い遣る姿が微妙にいいんですよー。
舅にとっては理想の嫁で、自分の妻だったらと思ったはずだし、嫁の方でも舅が夫だったらと思ったはず。いずれも恋愛感情とまでは行かなくても。
「富士に登らず老いた」という内容の川柳(理想の女性を嫁にできなかった)や、能面の使い方(仰向くと嬉しそうな顔に、うつむくと悲しい顔になる。原節子に似ている!)もうまかったです。
■浮雲
恋愛地獄。
私には理解できない世界でしたー。『アデルの恋』も真っ青。冷たくされると、なお追いたくなるのね〜。
男の方は、ある意味、誠実なんです。俺なんかやめとけって。
まさに、やめておいた方がよい男。すぐ女に手を出すし、生活力はないし。だけど、翳りがあって、ふと優しい。森雅之だから、惚れるのも無理ないか。殺傷沙汰まであるのよ。男と同棲している妻(岡田茉莉子)を、追ってきた夫(加東大介)が殺したのです。
これは恐ろしい映画だと思ったのは、終盤、女(高峰秀子)が病床から男とお手伝いさんの話しているのを見て、また浮気を心配しているところ。愛していても信用の置けない男って・・・・。病気のときも気が休まらないって・・・・。ただし、この場面、男はお手伝いさんに、女の容態を逐一医者に知らせてくれと頼んでいるところだったのです。
しかし、なんですなあ、この行動力。恋愛パワー。「萌え〜」なんて、あちらさんには理解出来ないかもしれませんね。

セルラー(他2本)

■セルラー(DVD)
いやー、これは面白かったです!
始まって5分も経たないうちにキム・ベイシンガーが誘拐され、そこから切れ目のないサスペンス。クリス・エヴァンス、大活躍。いまどきの若者も捨てたもんじゃないってことを証明してくれました。
それからウィリアム・H・メイシーが、本人のキャラクターを生かしたかのような役柄でベリーグッド。彼以外のキャスティングは考えられません。
そして、悪役のジェイソン・ステイサムと○○は、もうサイコー!ステイサム、うつくしー!
電話嫌いの私は、未だにケータイを持ってませんが、勉強になりました〜。
■プルーフ・オブ・マイ・ライフ
う〜ん、あまりパッとしませんでしたね〜。だけど、捨て置くにはもったいない部分があったので、感想をメモっておきます。
登場人物が好きになれななったのですね。主人公は、父親を亡くしたばかり。父親は、かつては天才数学者でしたが、長い間精神を病んでいました。主人公は、自分も父親のように心を病むのではないかと不安を抱え、自分のことで一杯いっぱい。だから、彼女の情緒不安定を広い心で受け止めてあげなくていけないんだけど、グウィネス・パルトローは同情を引くような演技ではないのよね〜。
彼女の姉は、妹を心配して自分の目の届くところに引越しさせようとするのですが、あまりにも自分勝手で(妹を本気で心配しているにしても)全く好きになれません。
父親(アンソニー・ホプキンス)も好きと言うほど魅力的なキャラクターではないし。ただ一人、グウィネスを好きな青年(ジェイク・ギレンホール)が、ましなキャラクターと思えるくらい。(余談ですが、ジェイク・ギレンホールは、今年は飛ばしてますね。『ジャーヘッド』『ブロークバック・マウンテン』など公開が楽しみです。)
で、この映画、肝心なのはプルーフ(証明)。主人公にとって愛の証明は「信頼」されているかどうかってことだったらしく、姉に対しては自分が信頼されていないことに苛立つばかり。ジェイクとはいい関係を築けそうだったのに、彼は彼女の言葉を信じませんでした。これはもう、彼女にとっては愛されていない証明になってしまいました。
彼女の頭の中は、きっとこう。「愛=信頼、信じない=愛してない、信じないふ≠愛する」
この頭を切り替える苦悩を描いた映画と思います。
それと、父親との遣り取りが、なかなかよかったです。親が衰えた姿を見るつらさがよく出ていました。
■幕末
1970年の作品。高知東宝サヨナラフェスティバルで500円で見てきました。
これもあまりパッとしなかったけれど、捨て置くにはもったいないです。
中村錦之助はカリスマやね〜。ひとりオーラが違うもの。多分、竜馬は錦之助ほどりっぱじゃなかったと思う(笑)。
それから、思いもよりませんでしたが、この映画は人権映画でした。(って、私だけが感じたことかもしれませんが〜。)土佐藩では上士と郷士とで差別があった。郷士で勤皇等を作ったが、血判を押した者同士の間でも町人出身の者を差別する。こんなサムライなんか無くすに限る。そう思い始めた竜馬は、当然、天子様も人間じゃという話になります。
「土州も長州もない、日本人じゃないか」という竜馬の言葉を今の時代に置き換えると、「日本人も中国人もない地球人じゃないか」というところでしょうか?あるいは「ホームレスも天皇も人間じゃ」、かな。

キリクと魔女(他3本)

—頑迷を脱して賢明になろう—
おもしろかったです。
「おかあさん、ぼくを産んで」と言うのに母は、「お腹の中にいるときからしゃべれる子は、自分で出てきなさい」と言います。生まれたばかりの子どもが「ぼくを洗って」と言うのに「自分で出てきた子は、自分で洗いなさい」と言う。う〜ん、この子にしてこの母あり、いや、この母にしてこの子ありというべきか、オープニングで度肝を抜かれました。
それから、人間てホンマ、あほやな〜と思いながら見ておりました。
だって、キリクの警告を無視して魔女にさらわれかけたところを当のキリクに救われた子どもたちが、再びキリクの警告を無視して(というかバカにして)魔女にさらわれ、またしてもキリクに助けられるのですもん。
キリクが大きくなって、元魔女のカラバを伴い村に帰ったときの村人たちの対応もひどいもんだと思いました。
枯れた泉を元に戻したのはキリクで、その村の大恩人のキリクに対して魔女といっしょなら村には入れぬと言うのです。キリクが、カラバは魔女じゃなくなったと言っても聞き入れず、頑迷な民衆というか、なんというか。まったく、ありそうなことですな(自戒)。
「魔女は、どうしていじわるなの?」というキリクの問いに、「火が燃えて、水が流れるのと同じ。」と母が答えたのについて、私は「なるほどぉ。」と思ったのですが、そう思った私は賢明ではなかったのね。魔女が意地悪なのには、ちゃんと理由があったのでした。
絵は魅力的だし、歌はあるし、上映時間が短いし、何よりキリク走りが楽しーい!
カラバの声を浅野温子があてていましたが、独特の味があってよかったです。
■ポーラー・エクスプレス
こういうしっかりした構成のアニメーション、いいですねえ。文句なく楽しかったです。
サンタクロースが本当に存在するかどうか疑念を持ち始めた少年少女を乗せて北極点を目指す汽車。
その冒険は、もちろん楽しいですが、映画ファンのお楽しみとしては、トム・ハンクスが一人何役も演じているということ。
トム・ハンクスが、実際に動いて演じたものをコンピューターに取りこんでアニメの動きを作ったそうです。
道理で主人公の少年の表情や動きは、本当にトム・ハンクスそのもの。『ビッグ』や『○○』(←題名度忘れ)を彷彿させられました。
■ハウルの動く城
なんかもう、キャラクターの勝利って感じ(笑)。
登場するキャラがみんな魅力的だし、細部のこだわり(案山子の手袋、ハウルの城の中、戦闘機の造形などなど)が、いちいち楽しいです。
ただし、まったくの無邪気な自由人であるハウルが、ソフィーを守るため身体を張るようになるまでの気持ちの流れが、今一つつかみがたいことと、カルシファーとの関係がわかりにくいことが残念でした。
また、宮崎駿監督は、戦争についての説明はわざと省いたとどこかで読みましたが、それにしては戦争の扱いが大きいため、どことどこが戦っているのか、王室つき魔法使いサリマン(細木数子みたい)が戦争にどうかかわっているのかなど釈然としない気持ちのまま見終わってしまいました。
ともあれ、ハウルが荒地の魔女やサリマンにモテモテで、おもしろかったわ〜(笑)。
■隠し剣 鬼の爪
永瀬君、すっばらしい演技。
真剣勝負に卑怯もへったくれもなし。負ければ死ぬのだもん。わざと隙を見せて討つというのは、大いに結構。
また、隠し剣は、秘剣中の秘剣。伝授される資格のある者は、この剣は使わないでしょう。つまり、この剣を使わなそうな者にこそ伝授されるのでしょうね。だって、こういう剣は『デッドゾーン』でマーティン・シーンが演じた大統領候補(言わばヒトラー)を暗殺するときに使うべき剣法なのでしょうが、だれがヒトラーか見ぬくのは無理な話ですし、よしんばヒトラーであったとしても転び具合によっては大虐殺をしなかった可能性もあるわけで、結局、使い道のない剣法なのかも。
思えば、わざと隙を見せるのも隠し剣も、武士道からは遠い、侍らしからぬ剣法ですね。
侍の身分を返上して、蝦夷で商いをするという片桐。たいへんだろうな〜。
大変だけど死ぬよりまし。過労死より、脱サラをってことかな?
あ、それと、近代戦の訓練するところとかおもしろかったですね。侍には侍の走り方があったのですね!目からウロコでした。