仏蘭西人はよくしゃべるというのは偏見だけど、本作のナレーター(多分、アルノー・デプレシャン監督本人)はよくしゃべる(なぜ英語で?)し、作品としても一応の章立てにはしているものの、監督の実体験(の脚色)、ドキュメント、思い入れのある作品の断片などが、境目なしに同じレベルで(ということは過去の名作などを含めて全てが同監督の作品であるかのように)ごった煮にしているところに好感が持てるというか、面白いと思った。作品自体がべらべらしゃべっているようなものは、情報量についていけず理解が及ばないので本来は苦手なのだが、本作の場合、作品として整いすぎていないところが小僧っぽくてよいと思う。デプレシャンは同世代だし、映画愛を表明する作品らしいし、1本も観たことがないけれど、どれだけの映画小僧か興味本位で観に行ったわけだから、まずまずの小僧ぶりにニヤリとなったわけだ。
ホロコーストの関係者にインタビューした9時間半の作品『ショア』(クロード・ランズマン監督)を若いときに観て衝撃を受けたデプレシャン監督は、後に知ったイスラエルの評論家(?)ショシャナ・フェルマンに話を聴きに行った。そこで彼女が「ランズマン監督はホロコーストの犠牲者に対して何をできるわけでもないが、寄り添い伝えようとしている」というようなことを言ったのが印象に残っている。そうするとランズマン監督も「悶え神」ではないかと思った。
(映画小僧ナンバーワンは、スタンリー・キューブリック。フランソワ・トリュフォーもかなりなものだ。『パリ・テキサス』を観たときに、うわ、トリュフォーと同じくらい映画が好きな監督だと思ったので、ヴィム・ヴェンダースも小僧だと思う。でも、『PerfectDays』『アンゼルム』を観ると、もう大人になったのかもしれない。スティーブン・スピルバーグも映画好きだとは思うけれど、作品が整いすぎていて小僧な感じがしない。商業的なこともキチッと考えられる大人なんだろう。おっと、マーティン・スコセッシもキューブリックに匹敵する小僧だった。日本では塚本晋也がそうかな?黒澤明も『夢』なんかを観ると新しい技術を取り入れたりして、りっぱな小僧ぶりだった。小僧は男性に限ったことではないけれど、男性以外の監督はまだ少ないし、稚気があふれるくらい自由に撮れる監督も限られているのでキューブリックを超える小僧は未だ現れず。)
(悶え神:『水俣曼荼羅』で石牟礼道子さんが言っていた「苦しんでいる人の身代わりになることはできないけれど、寄り添うことはできる。寄り添って苦しみをともにする人が神様、悶え神だと思う」より)
(2025/02/06 キネマM)