容堂印譜

冊子「へそまがり大名の自画像 容堂印譜」高知県立高知城歴史博物館の表紙画像

5年前から買っときゃよかったと気になっていた冊子を手に入れた。幕末の土佐藩主、山内容堂の雅印124顆(未完印3顆を含む)の原寸大の印影と印面及び外観の写真に印文の読みと短い解説がついている。側款の拓影はないが款文は掲載されている。

尾本師子学芸員による巻頭の一文「へそまがり大名山内容堂の雅印についての一考察」も面白くためになる。藩主の子は江戸で育つが、容堂は分家の子だったので土佐生まれ土佐育ち。容堂を絡めて幕末のごちゃごちゃも簡潔にまとめてくれてあり助かる。文人、容堂の解説にあたっても、和漢の古典に通じた教養があり、漢詩・漢文・中国風の山水画・人物画をモノするのが文人であり、当時の支配階級などに(武士や町人まで文人に憧れる人も)大勢いたとことがわかった。そして、容堂が依頼して作った印の印文などから、酒飲みのへそまがりという人物像が浮かび上がるので冊子の副題は「~の自画像」というわけなのだ。幕末の殿様は「いごっそう」だったのね。

うえの画像の右上の印影は「厳璋之章」。厳は字として使用しており、「厳しい」でも「厳か」でもなく、現海南省北東部にある樹木の名であり、この木は水に浸すと酒を生じるらしい。璋は名前として使用しており、玉器の圭を縦半分にした玉器で才智不完全を意味するとのこと。章は印のこと。

そのすぐ下の印影「酔中真味」は、酔いの中にこそ人生の真の味わいがあるという意味。更にその下の「美禄」は漢書中の「酒は天下の美禄なり」から。一番上の縦長の印「酒非丹醸不可酔水非鴨河不可飲」は、「酒丹醸(伊丹)にあらざれば酔うべからず、水鴨河(鴨川)にあらざれば飲むべからず」で土佐藩の篆刻家、壬生水石の刻。

表紙画像の中で一番大きな印影「学書者紙費学医者人費」は、「書を学ばば紙のかかり、医を学ばば人のかかり」と読み下し、書の上達のためには紙を沢山使わなければならず、医術の上達のためには患者を大勢死なせなければならないという意味で、北宋時代の文人、蘇軾(蘇東坡)の「墨宝堂記」からとった容堂お気に入りの詩句とのこと。5年前は書道に入門する前なので蘇軾なんて知らないから、買うのが今になってよかったかも。

安政の大獄で蟄居中は「武陵罪人」なんてのを使用したり、ドラマで見る蟄居とは違って余裕?

印材は鶏血石、水晶、銅、竹の根などで、鈕(判子のつまみ)が獅子などの動物や羅漢だったり、薄意(表面の彫刻)は全面に蓮の葉や花が施されていたりで財力を感じる。また、金襴の仕覆や箱が付属しているものが多く、仕覆の底面や箱に白絹を貼って印の材質、鈕の形、印文、刻者名の書き入れがあるという。

昔から判子やスタンプが好きだった。三個のスタンプが毎月送られてくる通販を契約したこともあったし、年賀状などのハガキの落款用に喜々として既製品を買ったり、書道を始めてからは落款印、他にもほしい~と思う。だけど、判子って立体立体しているからなぁ。(文鎮の類いの文房具が部屋のあっちこっちに転がっているのに(^_^;。)立体でも帳面ならまだいいかと思う。御朱印や県内の博物館などのスタンプを集めるのは楽しそうだ。ただし、定規を当てても直線が引けない粗忽者が、きれいに判子を捺せるかどうか。かすれた印影のスタンプ帳を見るのはゴメンだ。

「一捺入魂」と毛筆で書いた画像

俳句の読み

今月から俳句を始めた。これまで4、5年に一句くらい作っていたのを、ほぼ毎日。俳句のいいところは、映画や書道と異なりスキマ時間に頭の中だけでできることと、季語を覚えると今まで見えてなかったものが見えるようになることだ。(20年くらい前、俳句をやっている上司が「竹の秋」「竹の春」という季語を教えてくれて、春に竹の葉の吹きだまりを見つけたり秋に若い竹林を目にするようになった。)

俳句のできにこだわらなければ月並み句や、それ以下のものができる。ちょっとマシと思うものができても、「ああ、自分でそう思っているものが『プレバト』で夏井先生に赤ペンだらけにされるのだな」と出演者の気持ちがわかるようになった。
書道は鑑賞ができなければ書けないし、書けなければ鑑賞も難しい。俳句も多分、同じだろうと思う。だから、読みができない今、詠みもできなくて当然なのだ。なんとか読みの方ができるようになりたいものだ。

夏井いつき先生のyoutubeチャンネルで紹介されていた藤田湘子著「20週俳句入門」(角川ソフィア文庫)を買って読んでいるところで、課題の名句四句を暗誦できなければ翌週にすすんではならないというルールがある。その名句のひとつ、水原秋桜子の「ふるさとの沼のにほひや蛇苺」を読めたつもりでいたのだが、後に載っていた解釈とは全然違っていた。私はてっきり、ふるさととは違う場所に住んでおり、そこで蛇苺を見つけてふるさとの沼の匂いを思い出したのだと思っていた。蛇苺ってどんな匂いなんだろうとも思っていた。ところが、ふるさとの沼に来ており「ああ、以前と変わらぬ匂いだなあ!」と思って、ふと足下を見ると蛇苺があったということらしい。この場合、切れ字の「や」が「にほひ」を強調しているので、実際沼に来ていることになるようだ。作品の解釈は十人十色でよいけれど、法則を知ったうえでの解釈でないととんちんかんなことになるのだと思った。

今、第7週目の名句を暗記しているところで、ここに来てやっと私も名句と思える好きな句が出てきた。渡辺水巴という明治、大正、昭和を生きた俳人の句だ。

庭すこし踏みて元日暮れにけり

珠数屋から母に別れて春日かな

ぬかるみに夜風ひろごる朧かな

月見草離ればなれに夜明けたり

月見草の句は「ばなれ」の表記がひらがなの「く」のような字に濁点。

元日の句(朝寝して迎え酒、お昼にお雑煮を食べて、うとうとして目覚めて、お節をつまみに又御神酒。明日、投函する賀状をしたためようかと思いつつ、あれ、もうこんな時間、少しは外の空気でもと思い庭にすこし出ただけで終わってしまった元日よ。)

春日の句(数珠がなかったのかそれとも新しくしたのか、作者は数珠を買いに行った。葬儀、告別式を無事終えて見上げる空に母はいるのか、春の日の光が柔らかい。)

朧の句(春とはいえ夜はまだひんやり。道なりに続くぬかるみに湿り気を帯びた風がゆるゆると吹いている「もあもあ」であるよ。)

月見草の句(夜が明けてみると月見草は終わっているのね。あなたと私の仲のよう。)

俳句の勉強をした何年か後、この解釈がどのように変わるのか、書いたことを覚えておきたい。

読書メモ_2023

2023年は、宮尾登美子の「朱夏」と中脇初枝の「世界の果てのこどもたち」で知りたかった満州の様子が少しわかった。2、3年前に読んだ山崎豊子の「大地の子」ではわからなかった終戦から引き揚げ船に乗るまでの様子がうかがえた。書き手の個性もあって「朱夏」では食べ物を得るのに精一杯で子どもどころではない様子が印象深いが、「世界の果てのこどもたち」では横浜で孤児となった主人公の一人が大人たちから捨て置かれる(食べ物を取り上げられる)様子に集中させていたように思う。
宮尾登美子は「蔵」もたいそう面白く寝るのも忘れて一気読み。ドラマや映画化されるのも肯けた。
いとうせいこう、みうらじゅんの「見仏記」の何作目になるのだろう、何十年ぶりに読んで面白かった。小浜市の見仏めぐりをしてみたい。


●世界の果てのこどもたち:中脇初枝(講談社)
 ・・・・高知の山村から満州へ渡った珠子、朝鮮人の子ども美子、横浜の裕福な家庭で育った茉莉。それぞれの戦中、戦後の境遇が等分に描かれる。戦後の子ども時代だけで終わるのかと思ったら、終戦時に国民学校1年生の年頃だった彼女たちが70歳代になるまでの話だったので驚いた。大河浪漫と言っていいと思う。それは、一つのおにぎりを三人でわけあったとき、持ち主だった美子が小柄だった茉莉に一番大きな塊を一番先に差し出し、自分は最後に一番ちいさな塊を食べたのだが、美子がなぜそれが出来たか、また、三人がいっしょにいたのは、たった1日、一晩のことだったのに、それぞれの記憶の中で影響し合い、つらい子ども時代を生き延びることが出来た愛の物語になっているからだ。/母は終戦時に5歳で、帰国したときはおそらく6歳。子どもだったので、あまり辛い記憶はないが、それでも暴動に遭って髪の毛をひっつかまれて大八車から放り投げられコロコロ転がったり、あるときは知り合いの中国人が地下室へ匿ってくれようとしたのを、母の母(祖母)が「それでは見つかったとき迷惑を掛ける」と断ったところ、屋外のきびがらの山の中へ案内され、そこに潜ってやり過ごしたそうだ。バラバラになった母の兄も別の何か(農作物)の山に潜り込んで、殺されると思いながら隠れていたそうだ。母の父は背中を日本の鎌とはちょっと違うあの大鎌でバッサリ切られたという。暴動を生きのびても収容所で上の二人の兄は病気でなくなり(おそらくチフス。本を読んでわかった)、働き者の祖母がしばらくぼうっとしていたのが子ども心に記憶に残っているという。多くが亡くなったらそのままにしておかれる中、荼毘に付して遺骨を持ち帰ったのは現金を持っていたかららしい。亡くなった兄の一人は、パンツ一丁で並ばされ金品を取り上げられるというとき、パンツの中にお金を隠していたそうだが、そのお金だったかどうかはわからない。城壁の中で暮らしていたことや、中国人があっというまにきれいな餃子を作るのを驚きを持って見た話も聞いた。祖母は20年くらい前に百歳でなくなったが、80歳を大分過ぎていた頃だと思う、満州の話を聴こうとしたら「必死で開墾した土地もなにもかもなくした。今でも腹が立つので話したくない。」と言われた。母によると、中国人を雇っていたそうで、中国人の土地を取り上げたりしてなかったのであまり恨まれてなかったようだ。匿おうとしてくれたところを見るとそうかもしれないが、内心は複雑だったのかもしれない。/とにかく、戦争というものにかすりでもしたら、その人の人生に(平和なときの人に比べて)少なからず負の影響があるものだと思う。
2023/12/25
 
○書の宇宙14 文人の書・北宋三大家:編集・石川九楊(二玄社)
 ・・・・黄庭堅、いいなぁ。蘇軾、米芾もいいけど。黄庭堅の書にまつわるあれこれを書いた草森紳一の文章がなんべん読んでも頭に入ってこず難しかったので読めていない。「黄州寒食詩巻跋」と「伏波神祠詩巻」を臨書用にコピーした。九楊さんの解説で印象に残っているのは「松風閣詩巻」も「伏波神祠詩巻」も直筆で書かれているということ。面白かったのに驚くほど頭に残っていない(^_^;。
2023/11/06

○ど忘れ書道:いとうせいこう(ミシマ社)
 ・・・・書道とはあまり関係ないとわかっていたが、笑いを求めて借りてみた。笑えた(^o^)。忘れた言葉(人名を含む)を二度と忘れまいとの意気込みでスケッチブックに筆ペンで、その言葉を書くことを「ど忘れ書道」といふ。どこから読んでもどこでやめてもいい本なので途中でやめたが、米印のついた言葉は下欄に簡単に意味と解説があり、あまり詳しくない(ということは、ほとんどの)分野の言葉をその欄で知ることが出来たし(忘れたけど)、知っている言葉でも解説で新たに得た知識もあった(得てもまた失ったけど)。
2023/10/07

●名僧の書 歴史をつくった50人:石川九楊(淡交社)
 ・・・・九楊さんの本も何冊目だろう。わからないところや、そこまで断言していいんかいと懐疑的に思うところもあったが、それほど難しく感じなくなった。書を鑑賞するポイントが掴める本だと思う。また、書は人を表すということを書いた本でもあると思う。書とそれを書いた人のエピソードに違和感がない。/良寛のように線の細い字を書く人は、社会との距離が一般の人より遠く、批評眼を持つとのことだ。漱石も鴎外も字の線が細いそうで、この説は九楊さんの確信のようである。反対に太い人は社会との距離が近いとのことだから、保守的ということなのだろうか?禅僧は政治・外交・貿易などに携わってきたが江戸時代に政教分離されて、宗教と言っても葬式仏教という狭い分野で生きなくてはならなくなったので、社会との距離が壊れて破格の太さの一行書が多くなったとのこと。/書の鑑賞ポイントは物理的なもので、筆の深度・角度・速度を見ればよいとのこと。ただ、読んでいて、ポイントを掴むより第一印象を自分なりに「言葉にすること」の練習が大事だと思った。(どの禅僧だったか私には太い長いうんこのように思われた書を九楊さんは上品に「不快」と言っていたが、親族も亡くなったであろう昔の人の書だから言えることではある。)/一休宗純の書は型破りに思えたが、私にも少しは型がわかってきたのだろうか。型も知らずに型破りと思うことだってあるとは思うけれど。(落語家の故立川談志と一休宗純の見た目は共通点があると思っていたのだが、立川談志の落語は型破りなのだろうか???落語に詳しい人に聴いてみたい。)/良寛の書、いいなぁ。雁塔聖教序といい、九楊さんと好みがいっしょかも。屏風の草書と小楷とで書きぶりが違うのはなぜか解説してくれていたのに忘れてしまった。
2023/10/06

●やさしく極める“書聖”王羲之:石川九楊(新潮社とんぼの本)
 ・・・・今、蘭亭序(八柱第三本:神龍半印本)を臨書しているが、ものすごく書きにくい。雁塔聖教序は自然に次画の起筆位置に筆が落ちたものだが、蘭亭序は穂先の動く範囲がひらりひらりと華麗に飛びすぎて自然な運筆にならない。蘭亭序を楽しめるほどには実力がついていないようだ。うまく書けないと面白くなくて(うまく書けなくても面白いものもあるが)イヤになってくる。それに文字が、先がピンピンとがっているのもあまり好きではない。もっと楽しく思える(今の腕前に合った)他のを勉強してから蘭亭序に戻った方がいいような気がするが、とりあえずこの本を借りてみた。すると八柱第一本(張金界奴本)が、王羲之の真蹟に近いのではないかと九楊さんの一押しだ。墨が洗い流されたりして薄くて見にくいながらも落ち着いた印象の字で、九楊さんにのおっしゃることはもっともな感じがする。というのは蘭亭序の内容と張金界奴本の文字が違和感がないからだ。神龍半印本は文の内容と文字の雰囲気が違和感バリバリだったのだ。あの、人の生死のわびさびのようなものを書き、「われわれは、先人の残したものを読んで共感したりする。だから、今日蘭亭に集った人々の詩集(歌集?)を後世の人が読んで共感してくれたら嬉しい・・・」みたいな内容なのだ。ひらりひらり華麗に舞う字より、素朴で落ち着いた字がなんぼかふさわしいと思う。そう思えただけでもこの本を読んだ甲斐があった。/良寛がお菓子を注文した手紙が残っているだけでも驚きなのだが、4世紀に生きた王羲之の尺牘(オリジナルではない)が残っているのもすごい。著名人や名士の手紙は残るものなんだなあ。健康上のことをあれこれぼやいているのも面白い。/太宗皇帝が王羲之の書のファンで副葬品としていっしょに埋められたため、オリジナルは一つもないそうだが、埋葬したならどこかから出てくる可能性は低いながらもあるのではないだろうか。チェン・カイコー監督は東洋版インディ・ジョーンズを作ったらどうだろう。
2023/10/01

●三屋清左衛門残日録:藤沢周平(文春文庫)
 ・・・・素晴らしい。感動した。短編の連作で、全体をお家騒動のストーリーが貫いている。各エピソードは漏れなくなんとも言えぬ余韻があり、ユーモアもある。そして、仕事をリタイヤして行く手には老いと死が待ち受けているとしても、生きている限り生きなければならない、生きている限り生き抜く美しさが描かれていることがよかった。藤沢周平原作の時代劇はテレビなどでちらちら見たことがあり、「残日録」も仲代達矢や北王路欣也をところどころ見たことがある。藤沢周平、いいなあとは思っていたが、この一冊ですっかり好きになった。また、清左衛門を中井貴一で見てみたいとも思い、そうすると他のキャストは誰にしようと考えて楽しさが続いている。
2023/09/25

●見仏記 親孝行篇:いとうせいこう・みうらじゅん(角川書店)
●見仏記 道草篇:いとうせいこう・みうらじゅん(角川文庫)
 ・・・・「見仏記」と「見仏記 海外編」は本箱に並んでいるのだが、このシリーズが続いていたとはつゆ知らず。知れば名コンビの珍道中と仏件を読みたくなるではないか。読んだらやっぱり面白くて声を上げて笑ったところもある。親孝行篇は一冊まるごと孝行しているわけではなく、両名の両親と別々に旅をしたものと、二人だけの見仏巡りを合わせたものだった。孝行は思ったよりもあっさりしていたが、自分の両親よりも相手の両親に優しい気遣いができるのは、『東京物語』を彷彿させられる。人情の普遍性というものであろうか。そのほか、印象に残っているのは、小浜市の仏件巡りと中国峨眉山の見仏記だ。小浜市はいい仏が自転車で回れる範囲に点在しているそうだが、乗り合いバスの路線廃止になったりしているとのことで、やはり日本は地方から滅びていると思いながら読んだ。ぜひ、行ってみたいとも思った。峨眉山は三千メートル級の山なのだそうだが、普通の服装で登ろうとしているいとうさんに、みうらさんがヒートテックのシャツをかしてあげて、いとうさんは命拾いすることになった。ガスった峨眉山は冷たい風も強く、鼻水も凍るほどだったのである。見仏記は他にも数冊あり、また、どっかのテレビ局が不定期で放送もしているらしく、youtubeに過去の旅がアップロードされていたりもする。見たい気持ちはあるのだが、他のことに時間を優先しているからなぁ。
2023/09/22

●われらの牧野富太郎!:いとうせいこう監修(毎日新聞出版)
 ・・・・雑誌のように気楽にあっという間に読める楽しい本だ。既に知っている情報も多いが知らなかったことも多かった。/牧野富太郎と関わりのある人のインタビューが面白い。国立科学博物館植物研究部陸上植物研究グループ長の田中伸幸さん、採集してもラベルを作成していないため牧野標本館のスタッフが植物を挟んである新聞紙などの情報をもとにラベル作りをしているとか、牧野博士本人は行動を記録していないので本人の手紙はもとより全国各地に残る記録をもとに「牧野富太郎植物採集行動録」のデータベース化をしていきたいとか。/長年牧野植物園で勤務していた稲垣典年さんは、造園業者に緑化整備を委託するより地域の人を育てること(植物は必ず種から育てるとか)によって、地域の人が植物を育て管理する持続的な環境整備ができるとのことで、佐川町の牧野公園などは10年かけて実践してきたようだ。また、牧野博士が歩いた道を日本全国に整備したいとのことだ。/BARクラップスのオーナーバーテンダーの塩田貴志さん、牧野博士の生家にあった蒸留器でクラフトジン「マキノジン」(スエコザサやグァバなどの入っているそうだ)を作っている話。/牧野博士の意外な蔵書(キノコの本、社交ダンスの本、江戸時代の漬物レシピ本など)も面白かった。
2023/09/06

● 条幅入門:尾崎邑鵬(二玄社)
 ・・・・4月から条幅を始めたので借りてみた。南宋の呉琚(ごきょ)という人が初めて条幅を書いたと言われているが、盛んに書かれるようになったのは明代頃からだとのこと。それまでは巻子が主流。/自宅で条幅を鑑賞するとしたらやはり床の間が適していると思う。でも、それまでは巻子に仕立てて一人ほくそ笑むってのもいいかな。/宣紙>単宣、夾貢宣、玉版箋、羅紋宣、夾宣など。一重漉き、二重漉き、三重漉きに分けられる。←やっぱり!「恵山」という手漉きの半紙を使ったら、なかなか裏まで墨が達せず(墨を水で薄めたら染み通る)、何重にもなっているのではないかと思っていた。/にじむ紙に書く。初心者にはある程度にじみの出る紙の方が使いやすいとあるが、どうも苦手。「にじみの強い紙は線に深みを出し、潤滑の変化もつけやすいので、多くの人に愛用されています。但し使う場合は、通常よりも早く運筆することが大切です。」←やっぱり!ゆっくりでないと書けないので、にじむ紙は苦手だったのだ。/書体字典。「書源」「新書道字典」(「書源」のハンディ版)や、個人別の字書「王羲之書法字典」「王鐸字典」「呉昌硯書法字典」もある。/草書のくずし方を覚えやすいようにまとめた「草訣百韻歌」。/美しいかすれとは、「筆が紙にピタッとついた状態がよいのです。」墨がなくなって鋒を無理矢理紙に押しつけたり、逆に鋒が浮いた状態はダメ。/表具。中国伝来の文人表具(漢字作品向き)と日本独自の大和表具(かな作品や大和絵向き)。風帯の有無とか掛け軸もいろいろだと思っていたら、文人と大和と二種類に大きく分かれているとのこと。軸のかけ方おろし方、巻き紐の扱い方まで写真付き。/著者は広津雲仙にも師事していたとのことで、競書紙「墨滴」を購読しているので仲間というか大先輩だ。
2023/08/05

○古文書を楽しく読む!よくわかる「くずし字」見分け方のポイント新版:齋藤均監修、山本明著(メイツ出版)
 ・・・・これはイイ!「第二章「あ」から「ん」までをガイド くずし字のひらがなを徹底攻略する」で変体仮名も含めて一文字に付き、くずしのパターンを複数載せてくれているモノもあって、「者(は)」など助かる~。あらためて借りるか購入して、この本を手本に実際にくずして書いてみたら、古文書(あるいは県民の財産ともなっている高野切)をある程度読めるようになるかもしれない。
2023/08/16

●秘密の花園:フランセス・ホッジソン・バーネット(岩波少年文庫)
 ・・・・うん十年ぶりの再読。やはり面白い。健全な精神に健全な肉体が宿るというのは本当だと思う。あるいはその逆も。ネガティブ思考は人生を台無しにしてしまうことがあると思う。けれども、クレーヴンさんが妻を事故で亡くし、どうしてもポジティブ思考になれず、回復するのに10年かかったというのは、それなりに説得力がある。不健全な心でいるとどんなに美しい景色も心に響かないし、何事も悪い方へ悪い方へと考えてしまう。ものごとを良い方へ考える精神力が衰えたときは、とにかく身体を動かすか、宗教的なものに頼るか、もしくはただひたすら(休み休みでも)トンネルの中を歩き続けるか。10年もの間、親から見捨てられたメアリとコリンは本当に可哀想だったが、子どもの回復力とディッコンやその母に巡り会えた幸運が読者をも幸せにしてくれる。
2023/07/30

●ひまつぶ刺しゅう:グッドウォーキン上田歩武(オークラ出版)
 ・・・・目からウロコのヘタウマ刺しゅう。こんな楽しみ方があったのか。おにぎりの刺しゅうが表紙(笑)。映画関連の刺しゅうは『ローマの休日』『レオン』『天使にラブソングを』『ゴーストワールド』。
●刺しゅう糸で編む 美しいクロッシェフラワー:クロッシェフラワー(日本ヴォーグ社)
 ・・・・刺しゅう糸は使っても刺しゅうではなく編み物だった。表紙はきれいなんだけど、編んだ花の飾り方が、ガラスの花器に挿したりしてやぼったいと思った。ブローチにでもした方がイイのではないだろうか。
2023/07/23

●堤未果のショック・ドクトリン:堤未果(幻冬舎新書)
 ・・・・ショック・ドクトリンとは、テロや災害で市民がショック状態(思考停止)でいるのに乗じて、政府(権力者)が通常では出来ないようなことをあっという間(市民の目が覚める前)に制度化すること。もともとはカナダ出身のジャーナリスト、ナオミ・クラインが発表したらしく、アメリカ政府(?)が経済学者フリードマンの学説である新自由主義(市場原理主義)を南米で実験(1970年代)して世界に広めたという主張のようだ。この本で書かれているショック・ドクトリンは三つで、マイナンバーカード、新型コロナワクチン、脱炭素社会化のどれもが、結局は関連資本家がもうけるだけとのこと。いずれも今まで見聞きしてきた情報だが、初めて知ったのは「15分都市」だ。脱炭素社会のために、歩いて行ける範囲(15分圏内)に病院や役所など設置して(それはありがたいけど)、圏外に行くのに許可がいるとかなんとか。マジか(汗)。/この本とは無関係だけど、地球温暖化の原因は人類が排出する二酸化炭素が増えたためというのは、私の勘では違うと思う。平安時代も温暖だったと言うし。二酸化炭素を減したところで温暖化は止められないと思うので、温暖化で困るようなことがあれば対処(適応)できるように対策を練った方がいいように思う。
2023/07/03

宮尾登美子
●仁淀川:宮尾登美子(新潮文庫)
 ・・・・主人公綾子の若さが眩しい。その考えの足りなさも可愛らしく思えるほどに魅力的だ。満州から一歳ほどの子どもを抱え夫とともに引き揚げ、夫の実家にたどり着いたところから始まり、震災を経て結核を患いながら、町からの嫁ということで田舎の価値観(姑)になじめず辛い思いをしながら暮らし、血のつながりはないが実の母である喜和と死に別れるまでのほぼ三年間の話。第二次世界大戦後の高知の町と田舎の様子がよくわかる。焼け跡に建ったバラックでは、嫁入り道具に箪笥長持は場所取りで嫌われ、洗濯機や冷蔵庫の方が喜ばれるのに対し、田舎では箪笥長持は必須などというのは、例としてたいへんわかりやすい。喜和が「姑さんも連れ合いの要さんも上等」というのは本当だと私も思うが、悪い人でないというだけでは生活を続けるのは難しいというのもわかる。昔と今では暮らしや考え方が違ってきていると思うが、情愛は変わらないものだと改めて思う。

●櫂:宮尾登美子(新潮文庫)
 ・・・・綾子が生まれる前の両親の馴れ初めから、13才(12才?)で両親が離婚するまでの話。母喜和の視点から綴られている。岩伍と喜和の夫婦の行き違いぶりは哀しいものがあるが、致し方ないような次第だった。昭和初期の町や人々の様子が生き生きと描かれている。貧乏長屋の描写などは臭いまでもがしてきそうだったし、人の言動が滑稽であったりして愉快なところもあった。髪結いの道具を持参して今で言う美容院へ行ったりするのだが、その道具を並べられても死語となっており、そういった感じでわからない言葉も多々あった。映画1本観たくらいに様々な描写が面白い。

●春燈:宮尾登美子(新潮文庫)
 ・・・・綾子が子どもの頃から両親の離婚を経て小学校、女子師範学校付属小学校高等科、高坂高等女学校編入、同校の家政研究科に進学するが中途退学し17歳で代用教員となり、結婚を決意するまで。綾子、お嬢さま育ちで開いた口が塞がらないほどの世間知らずだが、そこが非常に面白く邪気がなく魅力的。多かれ少なかれ誰でも若い時分はそんな感じだろう。家業に対する劣等感から父への敵愾心を持つ。これは世間の偏見もあるだろうから、それを敏感に感じるのは劣等感のせいでもあり、すこし気の毒にも思えるが、親の心子知らずの部分もあり、若い時分の視野の狭さも影響していると思う。入試での挫折、父の後添えの連れ子との意識のし合い(勉強や性的なことも含む)、友だちの死や、同僚教員との歌いながらの通勤など正に青春だった。また、城下と郡部の生活や言葉の違いなども興味深かった。

●朱夏:宮尾登美子(新潮文庫)
 ・・・・綾子のキャラクター、いいなぁ、面白い。終戦の時、母は5歳、引き上げ時はおそらく6歳。覚えていることは話してくれたが、20歳前後の綾子と違って覚えていることが少ない。この小説は登美子さんが満州で1歳になった娘に当時の様子を伝えたかったとのことで、私も引き上げまでの経緯がわかってよかった。中国の内戦を知識として知っていても、それが開拓民にも影響があったとは想像すらしてなかったし。様々の事柄が天こ盛りで切れ目がなく、音読でなかったら読むのをやめられなかったと思う。風景、風土の描写も目に浮かぶように書いてくれて、友人曰く「読ませるねぇ」に全く同感。山崎豊子さんの「大地の子」も面白かったし、当時の満州を知るによい小説だと思った。

●岩伍覚え書:宮尾登美子(集英社文庫)
 ・・・・綾子四部作の登場人物、綾子の父岩伍が語った体の短編集。四つの短編からなる。岩伍の思いとして語られているが芸妓娼妓に対する思いは作者の登美子さん(=綾子)の気持ち(弱い者いじめに対する憤り)がよく出ていると思う。その思いは岩伍と綾子のの共通点かもしれない。四つともあまり気持ちのよい話ではないが、まるで映画のようだった。刃傷沙汰もイヤだが、女を金づるとしてしか扱わない男の一編「すぼ抜きについて」の気持ち悪いこと。ともあれ、読ませるなあ。

●もう一つの出会い:宮尾登美子(新潮文庫)
 ・・・・登美子さんの随筆。やはり昔の人という感じで、ところどころ価値観の違いを感じたような気がする。共感できるところや、登美子さんの個性の面白さが出ているところもある。具体的に書いておきたいところだが忘れてしまった。

●生きてゆく力:宮尾登美子(新潮文庫)
 ・・・・「もう一つの出会い」は50歳代、この作品は80歳代の随筆のようだ。数ページの各エピソードにもれなく余韻があり味わい深かった。綾子シリーズの四部作は「仁淀川」で終わっているが、その続きを書きたかったようだ。文庫本の解説は大森望さん。彼の母が登美子さんと仲良しで生まれたときからのお付き合いが続いていたのだとか。登美子さんの昔語りは私の両親でも知らないことばかりで、私の知る昭和は戦後のことで戦前は食べ物も風習もずいぶん違っていたのだなあ。

●蔵:宮尾登美子(中公文庫)
 ・・・・上下2冊をほぼ一気読み。読むのをやめられず寝不足になってしまった。読んでないときは、方言が頭の中をこだましていた。明治末期から昭和初期までの物語だから、お家大事の家父長制で女性は苦労を苦労と思わない時代。烈と名付けられた赤ん坊が長じて全盲となり、潰れかけていた酒蔵を建て直す。烈の叔母、継母、父とその時代を生きた人々の話としてよく出来ており面白い。意思の力と行動力は比例するモノなんだなあ。
2023/02/28-2023/10/13

ドナルド・キーン
●日本文学を読む・日本の面影:ドナルド・キーン(新潮選書)
 ・・・・雑誌への連載をまとめた「日本文学を読む」は、明治以降の作家50人の作品について書かれている。一作品も読んだことのない作家がほとんどで聞いたこともない名前もあったが、大変面白かった。というのは、キーンさんは善し悪しをハッキリと書いているのだが、そこはユーモアのある人らしく婉曲表現が楽しいのだ。夏目漱石なら「草枕」くらいしか買っていないのを、自分は間違っているかもしれないけれど、谷崎潤一郎も同意見らしいので心強いみたいに書いてみたり(^o^)。

●日本を言祝ぐ:ドナルド・キーン(新潮選書)
 ・・・・九つの講演録。三つのパートに分けていて、一つ目は、(1)日本文化の国際性(1993年10月)、(2)文化の衝突、内なる対立(2003年9月10日)、(3)国際化時代における京都文化の役割(2005年11月26日)。二つ目は、(4)松浦武四郎を読んでみて(1988年9月30日)、(5)明治の日本人は世界をどう見ていたか(1986年10月31日)、(6)明治天皇と日本文化(2002年11月16日)。三つ目は、(7)日本の短詩型文学の魅力(2013年12月14日)、(8)啄木を語る-啄木の現代性(2013年7月14日)、(9)わが愛する鏡花(1974年12月4日)。大変面白かった。/(1)は、縄文の昔から江戸末期まで日本は海外の文化を取り入れ国際性豊かな国だった(鎖国中もオランダ人から定期的に報告を受け海外事情に通じていた)が、江戸末期に「これこそ本物の『島国根性』だといっていい」国粋主義が生まれ平田篤胤の「日本人は神々の子孫であり、日本は万世一系の天皇があるゆえに、他のすべての国民に勝っている」を引用してこれでは国際性があるとは言えないと言っている。(鹿鳴館時代、西洋の真似をしすぎたため、西洋で猿まねと言われ始めたとも。)日本文化は異質なものではなく、海外でも喜んで受け入れられている例をあげ、「神秘な日本」、外国人には「不可解な日本」という根強い考えは日本の国際性を裏切るものだと言っている。日本食も海外で広まってきたが「それでは、日本文化はもう完璧に知られるようになったかというと、そうではありません。それを進めていくのは日本人にとってもなかなかむずかしいことだと思います。日本で生まれて日本で教育を受けたからといって、日本文化を全部理解できる人はそうたくさんいないと思います。ともかくむずかしいことですけれども、やる値打ちはあります。」まったく、そのとおりだから、キーンさんの著作で知ろうとしているわけだ。「youは何しにニッポンへ?」などの番組も外国の人から日本を教えてもらっている感じ。/(2)は、昔はよかったという世代間の衝突から話が始まって、様々な衝突・対立の例があげられる一方で、世界中がアメリカナイズされたり、テレビの番組など古い時代には意欲的な番組があっても後にはどの国のテレビも人々が望む(つまならい)番組しか放送しなくなることなどに言及。ただ一つ恐いのは“globalization”、世界中の人が同じ趣味になり、同じような絵を描いたり音楽を作ったりするようになるのと大変寂しい。が、そういうことはないだろう。EUができて殺し合わなくなるのは最高に素晴らしいが、各国の文化はそう簡単には変わらないだろうとのこと。・・・・それで、ロシアのウクライナ侵攻で考えたことを思い出した。戦争嫌いでも種類がある。→(a)自国(主権)を守る戦争なら嫌でもやる派、(b)防衛戦でも戦争は嫌派。→(a)で負けた場合と(b)派には覚悟がいると思う。→最悪の場合はジェノサイド。あとは琉球王国やアイヌ民族など。運が良ければ第二次世界大戦後の日本。→帰属していた国が滅ぼされても多少なりとも文化・風習は残ると思われるが、日本が侵略した国々に日本語を強いた歴史もあることから、侵略国の言葉を使うことになることも考えられる。いずれの覚悟もあまりしたくないので、戦争回避・外交努力の一択あるのみ。/(3)は、時代の流れで変わっていくこともやむを得ないものもあるが、残すべきものまで失われていくことがないように、やんわりと警鐘を鳴らしているキーンさんの寂しさが伝わってくる。/(4)(5)は、日記からの情報。(4)は、アイヌの人たちは自分たちを日本人だと思っていて、ロシアが美味しい話を持って来てもロシア人になるつもりはないのに、日本からの仕打ちが酷いことを日記の作者は書いている。松浦武四郎は、ヒューマニストだと思う。(5)は明治の初期に海外を視察した人が、欧米の文明が進んでいるとは言え高々40年くらいのもので追いつける、日本に来るような外国人は本国でのあぶれものなどの記述が、よく外国(人)を見ており(レディーファーストには驚いている)、明治の人の見識とプライドの高さが窺える。(6)は明治天皇の和歌からわかる人となり。超りっぱな人とキーンさんが受けとめていて、キーンさんが明治天皇について本を書いている動機がわかって謎が解けた思いがした。/(7)は、芭蕉の俳句についての記述が印象に残る。プレバトの影響もあって俳句で描かれる映像重視になりがちだったが、「なつぅくぅさや つぅわもぉのぉどぉもぉが ゆぅめのぉあとぉ」「しぃずけさや いわにぃしぃみぃいる せみぃのこえ」のように表記し、その音律から受ける感じも大切だと気づかされた。/(8)は、キーンさんの評伝があるので改めて読んでみたいと思った。啄木、面白すぎる(^o^)。/(9)は、鏡花って石川県の人だったのかと、鏡花について何も知らないことがわかった。やっぱり、一つは何か読んでみたい。

○ドナルド・キーン著作集第二巻 百代の過客 日記に見る日本人(新潮社)
鎌倉時代までは読み終えたが、室町時代の途中で返却。読みだすとすごく面白いのだが(キーンさんが各日記の面白いところを抜き出してくれているので面白くないはずがないのだ)、読み始める気がなかなか起こらなかった。改めてまた借りたい。/どこの国の人も日記は書くが、日本人のように心情吐露型の文学的日記は他の国にはないそうだ。太平洋戦争で米兵は日記を書くことは軍事機密が流出することを恐れて禁じられていたが、日本兵は禁じられていなかった。日本では書くことが勧められていたらしい。(夏休みの宿題の絵日記には触れられていなかった。)キーンさんは通訳の他に日本兵の日記を翻訳することも仕事だったそうだ。/また、中国人の日記との比較もおもしろかった。中国人の日記は伝記的なんだそうだ。中国では印刷された日記が残っていたりするが、日本の平安時代の日記などは手書きの文字や和紙の質などを楽しむため印刷はされていない。(印刷技術は伝わっていたという。)/石川九楊さんがその著作で日本語は書かないと考えられないと言っていたことを思い出す。確かに、同音異義語が多いからなぁ。

○ドナルド・キーン著作集第十五巻 正岡子規 石川啄木(新潮社)
 ・・・・期限がきたので「石川啄木」は改めて借りることにして「正岡子規」だけ読んで返却した。「正岡子規」、すごく面白かった。何が面白いかってやはり、彼の日記を引用して浮かび上がってくる当人の人物像が面白い。ユーモアがあって明るい。書かれてなかったと思うが即断即決の人のように見えた。キーンさんの見立てでは学生時代の子規は英語が十分出来ていたようだが、本人は出来ないと思い込んでいるのが面白い。子どもの頃から身体が弱かったため、かえって奮起してやせ我慢の薄着をとおしたり、全体的にすごく若々しい。それもそのはず、亡くなったのは三十五歳だもんね。晩年病苦で母や妹にきつく当たったりで日記にも酷いこと書いていたり。でも別の日には感謝の気持ちを綴っていたり。まあ、全体的には酷いかも(笑)、明治男子だから。夏井いつきさんがテレビなどで俳句を添削するとき言っている「映像が浮かぶように」「言葉の意味が重複しないように」というのは子規が提唱し始めたことだったのだな。それから著者のキーンさんの意見がさりげなく(しかし、きっぱりと)入っているのもいい。

●ドナルド・キーンのオペラへようこそ!:ドナルド・キーン(文藝春秋社)
 ・・・・キーンさんの好きなオペラのあらすじとかも書かれているが、やはり第5章の思い出の歌手たちが面白い!モンセラート・カバリエはフレディ・マーキュリーのお陰で歌声は聞いたことがある程度、プラシド・ドミンゴは名前だけ聞いたことがある程度、他の歌手はぜんぜん聴いたことがないけれど、著者の思い入れがあるほどに読んでいて面白い。東日本大震災後に帰化して、メットの会員でいられなくなったことだけは残念だとのこと。それでも映画館でメットの公演を鑑賞できることを喜んでいる。オペラは原語で歌うのが一番だというのは、そうだろうなぁ。(日本語オペラもあるけれど、今一つ盛んに上演されないなぁ。声の力、歌の力はどんな楽器よりも強力だから身近に日本語オペラを見てみたい。当地では詩吟クラブはいくつかあるが、浄瑠璃クラブがあればいいのに。)
2023/02/22-2023/07/22

●百貨店の戦後史 全国老舗デパートの黄金時代:夫馬信一(国書刊行会)
 山手線のうえを通過するひばり号にはワクワクさせられたので、最後のコラムがまたロープウェイでナイス。特に印象に残った百貨店は、和歌山の丸正(建設事業もやっていた!)、長崎の岡政(でっちー政どん、やっぱり売れた!有終の美。)、新潟の小林(大火に地震と盛りだくさんのうえに、老舗書店にラジオ局と一番物語性が感じられ感動)。章立ては第六章まで、戦後史の概略がコンパクトにまとめられ、この章になぜ、この百貨店???と謎だったが、その時代に最もその時期らしい雰囲気を醸しだしていた百貨店を当てはめたということだろうか?残そうとしないと廃れていく庶民の歴史であり、意義深い本だと思う。
2023/03/10

○文豪たちのずるい謝罪文:山口 謠司(宝島社)
 ・・・・うらんかなの題名だけど面白そうに思えて借りたが、案外つまらなく、途中でやめてしまった。構成・編集によって面白くなると思うが、謝罪文だけでなく対談のようなものや、当人以外が書いたものまであるので、「謝罪文」が対談なのか他人が書いたものなのか、どういう文書なのかは最初に解説してくれた方が私には理解しやすかったと思う。また、その解説が「謝罪文」において使われた漢字の成り立ちの説明になっており、文豪といえども全員が成り立ちまでわかったうえでその漢字を使用しているとも思えず、「謝罪文」にふさわしい解説ではない。後でわかったが、著者は中国文献学者とのことだった。
2023/02/07

●古今和歌集 新古今和歌集:(校訂・訳:小沢正夫、松田成穂、峯村文人)
 ・・・・抜粋本。それぞれ千首をを超え二十巻もあるそうな。そのうち、四季の歌が一番多く六巻は納得だが、恋の歌が五巻とはやっぱり~(やれやれ)。新古今より古今の方が深みがあるような気がした。古今から新古今の撰歌まで丁度300年の開きがある。還暦が5回になることを意識して後鳥羽院が撰歌を下命したとな。平安前期から鎌倉初期までこの二つの歌集を含めて勅撰和歌集は八つあって八代集といわれていることも初めて知った。歌合など再々催されている様子で、皇室主催の(?)歌会始はここにプレイバックしたのかも。歌合で作られた歌ならともかく、誰かが誰かに当てた歌なども選ばれているということは、もらった人が「ねえねえ、これ素敵じゃない?」などと見せびらかして残っていったのだろうか?平安時代は気温も高く過ごしやすかったそうだが、政情も安定して貴族も歌が詠めて文化的でよい時代だったのかも。現代の日本語で表記された歌と訳と解説があって助かった。もし、変体仮名のままで標記されたら読めもしないだろう。今更ながら高校時代まじめに勉強しておけばよかったと思ったことでもあった。
2023/01/29

●奈良少年刑務所詩集 空が青いから白をえらんだのです:受刑者(編集:寮美千子/長崎出版)
 ・・・・感動した。受刑者が書いた詩自体にも感動させられるものがあったし、一人が書いた詩を「みな耳を澄まし、心を澄ま」して受けとめる様子にも感動した。また、受刑者たちが仲間の詩の良いところを探し合評していくのは、日頃の刑務官の受刑者に対する接し方が影響しているという指摘に考えさせられるものがあった。

けれど、この教室をやってみて、わたしは「詩の力」を思い知らされた。それまで、詩など、なんの関係もなかった彼らのなかから出てくる言葉。その言葉が、どのように人と人をつなぎ、人を変え、心を育てていくかを目の当たりにした。それは、日常の言葉とは明らかに違う。出来不出来など、関係ない。うまいへたもない。「詩」のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する「場」を持つだけで、それは本物の「詩」になり、深い交流が生まれるのだ。

2023/01/12

読書メモ_2022

メモっている以外にも石川九楊の本を読んだ。中国書史、日本書史の概要がわかったような気がする。いつかは超面白いと言われている「中国書史」を読めたらなぁ。でも、今ダントツに面白かったのは「表現の永続革命 河東碧梧桐」だ。忘れられた俳人(書家でもある)碧梧桐への愛が炸裂。やはり著者の熱量と本の面白さは比例する。

「文系のためのめっちゃやさしい量子論」もめっちゃ面白かった。さっぱりわからないけれど。文系からすると量子論は魔法だ。だいたい、そんな方法でその理論を証明できるの?というような検証方法ばかりに思えた。だけど、「量子もつれ」が実際に起きることを証明した科学者にノーベル賞が贈られたり、もうとっくに応用段階というのに驚くばかりだ。


●春にして君を離れ:アガサ・クリスティ(早川書房)
 ・・・・主人公の心の変化を丹念に追う中で、彼女の家族や状況が鮮やかにわかってきて読みごたえたあった。桃井かおりも砂漠で人生観が変わったって昔言っていたけど、砂漠って人を変える何かがあるのだろうか。空だけの世界に置かれると色々考えてしまうモノなのね。暇だし。でも、主人公の場合、帰国したら元の自分に戻っていて何も変わらなかった。確かに家族に何を言っても無駄と思われているのは悲しいかぎり。でも、そう思われていることにも気づかないのだから、これも一つの幸せよ。子どもたちは巣立っているので夫との人生が続くわけだけど、そりゃ夫は心の恋人が必要にもなるだろう。幸せな独善妻と、諦めと惰性の夫。それが楽ちんでいいんだろう。
2022/12/30

●火の山にすむゴリラ:前川貴行(新日本出版)
 ・・・・写真絵本。ヒト科ではオランウータンが一番好きだったけれど、この本を読むとゴリラもかなり好きになった。落ち着いた表情がいい。緑の匂いがむせかえるようなジャングルでゴリラの目の高さから至近距離で撮っている。始めは望遠レンズかなとも思ったが、ジャングルで植物の間から撮られた様子はなく、何より文の中に子どもゴリラがズボンの裾を引っ張って去って行くという記述があり、また、子連れの母ゴリラが目の前に出てきたので思わずシャッターを切ったら手首をつかまれたという、読んでいる方にも緊張が走る場面があった。生息域の環境や保護の話も出てきて、今やそこは外せないところなんだろうな。
2022/10/14


石川九楊
●表現の永続革命 河東碧梧桐:石川九楊(文藝春秋)
・・・・映画の感想でも何でもそれを好きな人、評価している人が書くととんでもなく面白い。石川九楊の本は私にはたいへん読みにくく理解するのに苦労があるが、それでも本書は面白すぎるくらい面白かった。碧梧桐を愛するあまり高浜虚子を貶すことおびただしいが、虚子は貶されても仕方なしと納得がいく。現代俳句が「第二芸術」と批判されるようになったのは、虚子が俳句は季語を含む十七音の定型詩と規定したためだと言い張る。それで大衆も詩人になれるんだから良いではないかと私は思うが、俳句の発展は早晩に頭打ちだろうと思われていた明治後期から、いかに芸術として高められるか昭和初期まで苦闘してきた碧梧桐の成果を読むと、虚子が堕落したように感じられるのだ。要するに二人とも正岡子規の高弟でありながら、俳句を芸術として高めようとした碧梧桐が忘れられて、俳句を芸術としては見放した虚子の方がなぜ崇められるのん(怒)、という内容の本だ。また、十五年戦争の時代、政府の国威発揚に追随するために俳句を利用したと言わんばかりの虚子への批判は、あり得るかもと思わされた。すっかり洗脳されたようだ(笑)。山頭火の俳句は自由律ではないという証左には唸ったし(だから碧梧桐こそ元祖自由律俳句ということだと思う)、碧梧桐がルビ付き俳句の元祖でもあると知って流石にもっと顕彰すべき人だと思った。/碧梧桐は書家でもあり、自作の句を書に著している。九楊氏は書家であり、書は文の身体であるから俳句の読み(活字又は音)だけではその内容の理解は不十分で、肉筆の作品を観てこそ本当の理解ができると言っていて、碧梧桐の俳句の書を解説しているところも大変興味深かった。また、俳句の表現をより高めたり深めたりの苦闘ぶりが書にも現れていることを図版によって例示しているのも面白かった。

●「二重言語国家・日本」の歴史:石川九楊(青灯社)
・・・・九楊さんの著作は私にとっては難解。本書は講演載録だが、やっぱり同じ。なるほどと思うこともあれば、それは違うんじゃと思うこと(例えば、九楊さんは仮名の行頭を一段低くするような散らし書きは漢字(大陸国)に対しての謙譲だというが、私はふにゃふにゃした文字を漢字のように四角四面に書くより、あちらこちらに余白を大きくとる方が美的感覚にかなっていたのだと思う。)もあった。しかし、理解できた範囲だけでも面白かった。/二重言語とは、真名と仮名のこと。山田五郎さんがyoutubeで現代美術は、美術史の積み重ね(美の常識とされていたモノが革新的な美に更新され続けた末のモノ)と言っていたが、九楊さんも歴史はスタイルであってスタイルを更新し続けているというようなことを言っている。/無文字の縄文から有文字の弥生。万葉仮名の飛鳥・奈良(国家として大陸国から独立=疑似中国時代)から女手の平安(倭から和への完全な移行)。/宋から亡命してきた僧が、新しいスタイル(書と政治のスタイル)を持ってきた。/ちなみに、武官(武士)と神祇(天皇・公家)の他に文官(「禅」の僧侶)も政治を行っていたと九楊さんは言う。江戸時代に政治に関する儒教(+道教)を僧侶から取り上げ、禅院に残されたのは仏教のみ、僧侶は文官ではなくなったそうだ。/一休宗純の文字(和漢一体。こなれている)。寛永の三筆(装飾化)。良寛の文字(明治以降の近代人と同様。近代の走り。)/感じたこと。大陸と半島と(九楊さんによると孤島ではなく)弧島。やがて、辺境の地である弧島に大陸国の文字が渡り、大陸国の一部となったのだと思う。現代の中国は書き文字なら各地で通じるが、話し言葉だと地域によって外国語のようでまるで通じないそうだが、古代の日本もそんな感じだったのかも。時代によって文字のスタイルが異なるというのは肯ける。私たちは無意識のうちに時代の文字を書いているのだと。/丸文字、変体少女文字などへの言及はなかったが、歴史(というより女性史?)的に観てあれは何だったのだろう。

●書 筆蝕の宇宙を読み解く:石川九楊(中央公論新社)
 ・・・・わかりやすかったので驚いた。展覧会で書はさっぱりという鑑賞者にとって良い鑑賞の手引きとなっている。深度、速度、角度を意識しながらなぞっていくと書いた人の意識と同化できるとのこと(ほんまに?)。また、新しい表現を目指す書の芸術家にとっては必読書かもしれない。用筆法を書史に沿って解説してくれているので、本書を読んでおくと一応これまでの表現がわかり、本書に載ってない表現をは新しいと言えるのだろう。/甲羅や獣骨に字を刻する。→鋳金→竹や木に毛筆。→のみで石に。→紙に毛筆。/九楊さん曰く、北魏の石碑は行書(二折法)を刻したのであろうが、のみで刻する技術が未発達で楷書(三折法)のような表現になっている、その影響を受けて楷書が完成したとのこと。北魏(4~6世紀)の拓本は、てっきりまだ洗練されてない楷書と思っていて、初唐(7世紀)に綺麗な楷書になったと思い込んでいたのでビックリ。白川静が最初が完成度が高いと言っていたこととも符合する。/大学生(2、30人だったかな?)への実験で、横書きより縦書きの方が考えがまとまりやすい学生が大多数だったことに九楊さん自身が驚いていたのが可笑しかった。/著者の他の本に書いてあることも本書から読めば、もっとわかりやすかったかもしれない。

●日本の文字 「無声の思考」の封印を解く:石川九楊(ちくま新書)
 ・・・・2013年の初版。日本の文字は漢字、ひらがな、かたかなの3種類。ということは文のスタイルも三種類。例:「春眠不覚暁」「シュンミンアカツキヲオボエズ」「はるのねむりはここちよくて、よるがあけたのにもきづかない」という内容から始まり、著者の別の本でも書かれていた内容と重複していたが、この本では日本人が字を書かなくなったことによる文化の荒廃への危機感を訴えていたことが印象に残った。最終章の「堕ちゆく日本語の再生」へ向けて、前章までに日本語とは書き文字で成り立っていることを例を挙げながら述べていたのだ。ワープロのお陰で漢字が書けなくなると、漢字の守備範囲である思想、哲学、政治、宗教などの思考も出来なくなるというのだ。確かに自分自身を顧みても文章をよく書いていた十代の頃は話していても書くように話せたが、手で書くことから遠ざかってからは映画の感想を頭でまとめようと思っても言葉が切れ切れに浮かぶのみとなってしまった。/著者が言いたいのは、手書きで指先を動かした方が頭の回転もよくなるということではない。例示の中で面白かったのは、韻律がないと詩とは言えないが、西洋の韻律は書かなくてもOK。なぜなら音声による言葉だから。日本の詩は書いてこそ。古今和歌集の掛詞(掛筆)などを例示されるとなるほどなぁと思った。/万葉仮名の説明で暴走族の「夜露死苦」も挙げてくれたら面白いのに。
2022/05/23-2022/10/22


ことば関係
○ことばと文化/私の言語学:鈴木孝夫著作集1(岩波書店)
 ・・・・「ことばと文化」だけ読んで返却してしまった。しかも、面白かったのに内容を忘れてしまった。「私の言語学」も面白そうだったので、改めて借りよう。
2022/09/25

●桂東雑記1:白川静(平凡社)
 ・・・・石川九楊は白川静の影響を受けているのだな。中国での歴史的な社会の変化とともに書体も変化していると。/漫画家の岡野玲子の対談は、ちょうど「陰陽師」の連載中だったみたいで興味深かった。/甲骨文、金文、篆書、隷書など各書体の出始めが最も美しい、後になると崩れてくるというようなことを言っていることが面白かった。必要があって生まれたものは最初が一番完成度が高いとのことだ。/「口」は祝詞の入れ物であるなど、漢字の元となった古代の様子はどのようにしてわかったのだろうか。本書は著者が卒寿となった記念に今後生きている間は年に1冊、当年のインタビューや連載記事や講演などを記録していくのが趣旨なので、巻末に参考文献などの記載がない。他の著書を当たるしかないのかな。
2022/08/21

●相席で黙っていられるか 日中言語行動比較論:井上優(岩波書店)
 ・・・・日中の行動の違いのエピソードが綴られた第1章と第5章が面白かった。第2章から第4章は文法的なことが大半だった。第6章は前章までの比較から日本語について書かれていて、このまとめも面白かった。/中国人の対人関係は曰くシーソー型。家族や友人となれば、当人たちの領域でお互いが接しており、日本人からすると果てしなく頼んだりは当たり前でお礼を言うのは他人行儀にさえ思われるそうな。日本人は曰く天秤型。当人たちは家族や友人であっても個人個人が離れており、贈り物には返礼のように釣り合いをとることで関係を保っており、親しき仲にも礼儀あり。読んでいて外務省の職員は相手国の文化を理解しなくては始まらないと思った。著者も一見奇異に思う外国の文化も自国の似たような事例に当てはめ考えると、奇異なことが自然なことに感じられるようになると言っている。
2022/08/20

○音が見える!中国語発音がしっかり身につく本:劉雅新(コスモピア)
 ・・・・ダウンロードの音声付きだったけれど、ダウンロードしなかったので発音は身につかなかった。それでも発音記号の見方がわかったし、英語より中国語の文法の方がやさしそうだと思えた。ラジオで勉強しようかな。でも、あんまり時間がないしなぁ。
2022/08/13

●日本語ぽこりぽこり:アーサー・ビナード(小学館)
 ・・・・2000年から2004年の間にウェブや雑誌などに掲載されたエッセイ集。気楽に読めて面白かった。ベイ独楽の語源は米(アメリカ)ではなくてバイ貝の「バイ」が訛ったものだとか、アメリカでバーベキュー用に使われていて辞書にもそうと載っている「ヒバチ(火鉢)」が、本家の日本では「シチリン(七輪)」だったとか、語源にまつわる話は面白い。また、ハロウィーンで毒盛りお菓子やカミソリ入りリンゴが心配で、70年代以降は手作りお菓子や果物ではなくて既製(工場製)のお菓子ばかりになったが、そんなことで子どもが犠牲になった事実はなくて、恐怖をあおったメディアや菓子メーカーがホクホクしたってことだとか、ベトナム戦争に反対する声が高まる中でより自由な社会環境と形式にとらわれない家庭の有り様を牽制する誰かのねらいもあったのではとか(後者は著者が読んだ本の分析らしいけど)。私は、恐怖と不安をあおる昨今の日本のメディアなども頭に浮かんで桑原くわばらと念じた。


●一汁一菜でよいという提案:土井善晴(グラフィック社)
 ・・・・数年前、少し立ち読みをして「だよねー!」と思って以来、気になっていたので読んでみた。石川九楊の「二重言語国家・日本」が引用されていて驚いた。料理も和心、漢魂に洋才なんだそうな。

弧島的なものと大陸的なものの混合物である日本の言葉(言語、漢字とひらがな)を「二重言語」として認識し、その和心・漢魂に加えて、世界共通の観念である哲学を身につけ、新しい日本人の言葉(言語)を持たなければならないと、氏は示してくれているのです。(144ページ)

え、そうだったの!?「二重言語」の認識を促す本だと思っていた~。一歩進んでいたのね。片仮名があるお陰で外国の概念も日本式に取り込み易いと書かれているとは思ったけど。
ユネスコの世界文化遺産に和食が登録されて、メディアが有名な料理人ばかりを取り上げるのを批判して、これまで和食文化を支えてきたおばあちゃん、お母さんを顕彰すべきというところには、はっとさせられた。また、困ったときの味噌頼みを実践している私としては何にでも合う調味料という認識だったものを、ご飯に味噌を載っけていただくというのを読んで、そう言えば味噌は味噌だけで食べられる食品だと認識を改めさせられた。そして、既にこの提案のようなことを実践している者としてはお墨付きをいただいたようだわい。
2022/08/17


チェーホフ
●ワーニャ伯父さん/三人姉妹:浦雅春訳(光文社古典新訳文庫)
 ・・・・二作品とも主要人物が意に染まぬ人生に遣り切れない思いを抱えながら、それでも生きていく話で、なかなか感動的だ。
●桜の園/プロポーズ/熊:浦雅春訳(光文社古典新訳文庫)
 ・・・・三作品とも可笑しい。「桜の園」は登場人物がヘンテコな人ばかり。「プロポーズ」「熊」は、話自体が笑える。/チェーホフ、いいね。44歳、宿痾の結核で亡くなったとのこと。生きていたのは明治時代とほぼ重なる。1890年4月、30歳の年にサハリン目指して出発。7月11日から10月13日までサハリンに滞在し、流刑地の実態調査。解説によると、その後の四大戯曲は一幕物の笑劇化を企図したものであり、かつ、死者の目(この世とは縁が切れているが、まだこの世に参加しているものの目)から書かれたものだと。流刑地と当人の病の影響は大きいようだ。/「かもめ」を読んだときは喜劇とは思えなかったが、今回、残る三大戯曲を読んでみて、ロバート・アルトマン監督作品的なもの(登場人物がヘンテコでそれを少し引いたところから眺めている)を感じた。「かもめ」の登場人物も引いたところから眺めると少し喜劇的になるかもしれない。
2022/08/06-2022/08/12


●文系のためのめっちゃやさしい量子論:監修・松尾泰(ニュートンプレス)
・・・・昨年「三体」を読んで量子論に関心があった。「めっちゃやさしい」を信じて手に取ったが私には理解できなかった。しかし、量子とは今のところ「そうゆうもの」と認識されていることは部分的にわかって大変面白かった。そして、理論を証明できる実験を思いつけることや、理論を応用し新しい技術を開発していく人たちに尊敬の念がわいた。文系人間としては、相対性理論があるから『猿の惑星』があり得そうに思えたりしていたのだが、『透明人間』や『ザ・フライ』も平行世界の話っぽい『ドニー・ダーコ』などもあり得そうに思える。量子論の世界は、状態の共存とかコペンハーゲン解釈とか摩訶不思議。世界の基礎になる科学だから、どの学問をやる人も知っておいた方がよいような気がする。
2022/07/28

●楷書がうまくなる本:筒井茂徳(二玄社)
・・・・古典の臨書(古典を手本とした習字)に有益。初心者は形臨を極めるべし。用筆法(点画の形)、結構法(字の形)、章法(字と字の関係の形)に分けて具体的に古典の見方が記されている。現代人は活字の影響を受けているが肉筆は活字と異なるバランスでできている。整本(完全拓本)と剪装本(整本を一行ずつ切り離し、適宜の字詰めにして製本したもの)。重畳法:二階建てや三階建ての漢字は下部が右にずれている。軽筆:字の骨格に影響しない部分を省略したり小さく書いたり。減捺(一字一波):捺は右払いのこと。窓の概形。軌道の想定:跡に書く点画を想定しながら書かないと行き当たりばったりの字になる。補空:空間の穴埋めに点を打ったりする。縦の行は字の横幅の中心を揃える。横の列は背の低い字を若干上寄りに書く。筆順。欠けている字の習い方。目習いは重要(鑑賞眼を養うことは上手く書ける近道)。諳書のすすめ:背臨したものを自己添削した後、古典と照らし合わせ再度習う。
2022/05/30

●もう一度!近現代史 明治のニッポン:関口宏+保阪正康(講談社)
・・・・学校で習ったはずなのに大方忘れていた。TBSのテレビ番組の書籍化なので対談形式で図版も多く読みやすかった。この本で明治の日本の概略をつかんで、後は事象ごとに書かれた本を読むと少しは頭に定着するのではないか。読まずに返却した姉妹本の「もう一度!近現代史 戦争の時代へ」ももっと後に読んでみようと思う。


○校注良寛全詩集:谷川敏朗(春秋社)
・・・・貸し出しの延長をしても読み切れない(^_^;。漢詩の原文、釈文、校異、現代語訳、語釈・解説文、良寛の漢詩の世界、年表、索引。凄い研究書だ。「校注良寛全句集」「校注良寛全歌集」もある。買おうかしら。でも積ん読になるだろうし。子どもと遊ぶ良寛さんのイメージしかなかったが、随分変わった。魅力的な人だ。生成りの木綿の暖かさ優しさと、さらし木綿か麻のきっぱりスッキリ感を合わせ持つ人のよう。一旦返却してページ数の少なそうな俳句集から読んでいこうかな。
2022/02/16

まど・みちお
●まど・みちお人生処方詩集:詩と絵まど・みちお、選詩市川紀子(コロナ・ブックス)
・・・・人生の様々なときに応じて選ばれた詩が楽しい。笑いたいときの詩など本当に笑える。眠れないときの詩はやさしい。まどさんの略歴も書かれているし、描かれた絵がいくつも載っている。詩も絵もいいなぁ。戦地でも和歌をノートに書き付けていたそうだ。詩がまど・みちおを守ったのかもしれない。

●けしゴム:詩まど・みちお、選・訳美智子(文藝春秋)
●にじ:詩まど・みちお、選・訳美智子(文藝春秋)
・・・・名字が略されていると思ったら美智子皇后(当時)の英訳だった。「リンゴ」などは英訳の方が意味がわかりやすい。リンゴを置くとリンゴ自体とリンゴ以外のスペースに分かれるが、
ああ ここで/あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ
の最後の2行は、
Exactly,dazzlingly,fit together
と訳されていてtogetherの一語のお陰で内容が鮮明になった。
2022/01/11-2022/01/23

●石垣りん詩集「表札」:石垣りん(童話屋)
・・・・病気の父、継母、障害のある弟。十代の頃から家計を一人で背負うことの大変さが、その頃の詩には現れている。これを書かなければ、この人が生きていけなかった。気持ちのはけ口となった詩が痛い。詩として昇華されているのかいないのか。でも、それが一番力を持っている。
2022/01/11