読書メモ_2025

2025年は読まなかった。すきま時間にスマホを手に取って、数独ゲームに時間をとられていた。
西脇順三郎の詩の良さがわかった年でもあった。あのキラキラした世界や湿り気のあるくぐもった空気に再び触れたいなぁと思った。


●西洋の敗北と日本の選択:エマニュエル・トッド(文春新書)
前作の「西洋の敗北」を読んでないと本作を読む意味がないかもしれないと思った。「歴史人口学入門」の速水融の名前が出てきて驚いた。世界の速水だったのだなぁ。/文春がトッドさんに数度にわたりインタビューしたモノをまとめた本のようだ。トッドさんの主張。アメリカを含む西洋は泥船状態。日本は泥船から距離をとった方がよい。中国の脅威に対抗するには核武装した方がよい。/アメリカ人とアメリカ映画は好きだが、政府とそのバックはキライなのでアメリカ政治とは縁を切りたいくらいだが、そうもいかないので適度な距離をとりたい。しかし、核武装には反対。トッドさんは人間を信用しすぎている。どんな人間も間違いを犯す。核のボタンを持っているのは人間のはずだから、どんな政治力学も及ばない事態が起こる可能性があると思う。
2025/11/15

●阿修羅像のひみつ:興福寺監修、多川俊映、今津節生、楠井隆志、山崎隆之、矢野健一郎(朝日新聞出版)
阿修羅展に際して興福寺から国立博物館に出張した阿修羅像を最先端技術によりスキャンして内部がどうなっているかの研究を報告した本。何人もの専門家が書いているため重複する情報があるし、専門用語の十分な解説もないが、内部がどうなっているかの関心が強かったので面白く読めた。脱活乾漆立像の作り方はなんとなく知っていたが、粘土をどこからどうやって取り出すのか知りたかった。始めの方の専門家は、窓を開けてそこから取り出すと書いてあったので、手のひらくらいの窓を想像して「大変そう」と思っていたら、後の方の専門家や画像によって背中全体を切り取って取り出していた。/粘土を取り出した後は空洞だと思っていたので、木材で骨を組んでいたのには驚いた。粘土に麻布を巻いて、その上に漆を塗り重ねて固めて粘土を取り除く。堆朱のお皿など漆だけで固形物ができるので、「骨組みのいらない固形物=阿修羅像」をイメージしていた。/日本人に対する偏見で骨組みも美しいだろうと予想していたら、実質優先で継ぎ足したり補強したり見た目は美しくなかった。/せっかく画像があるのに、補助線も矢印も何もなくわかりにくく見にくかったので、おそらくNHKが取材して番組も制作していただろうに見逃したのだろうと残念に思った。
2025/11/01

●ベートーヴェンの生涯:青木やよひ(平凡社新書)
『ベートーヴェン捏造』を観た勢いで再読。やっぱりベートーヴェン、好きだなぁ。今回はボンでの青年期が印象に残った。ベートーヴェンは当時の人としては進歩的な考えの人なのだが、ボンの人々の影響があったようだ。読書クラブでは先進的な人々との意見交換をしたりしていたようだ。ボンに新しく着任した選帝侯は若く、無駄な出費を慎み教育や学問を奨励したようだ。ナポレオンの登場や市民意識の萌芽により貴族社会が脅かされるような時代の転換期であり、ベートーヴェンもそういう時代の波に乗った一人だったのだ。祖父が亡くなってからは苦労し、若くして一家の大黒柱なったことだけでなく、身近な人々との交流や背景となった時代もがベートーヴェンの土台となったのだと思った。
2025/10/03

●中国書道の至宝 書と人を巡る三千年の物語:中国中央電視台編、河内利治監修、樋口将一訳(科学出版社東京 国書刊行会)
 2009年頃の中国の教養娯楽番組を書籍化したものの翻訳本。その番組は中国の様々な国宝を取り上げていたが、本書は「書」に関してのみの翻訳だ。「物語」として番組化しているので、史実に脚色を施したりしていて、眉に唾して読むべきところもあるかもしれないが、「物語」だからめっぽう面白い。全部の「書」について抜き書きしたいところだが、特に印象に残っているものをメモっておきたい。/第一部 王羲之・王献之からは、第二章 三希宝帖-乾隆帝が愛した三つの宝。奉天軍閥の総帥・張作霖が、北平(現北京市)から奉天行きの列車に乗る前日、使いの者を故宮博物院院長・易培基のもとへ送り、三希宝帖(王羲之の快雪時晴帖、王献之の中秋帖、王じゅん(王偏に旬)の伯遠帖)を所望した。当時、既に皇帝の所有物ではなくなっていたが、国宝に該当するようなものを一個人の所有物にするわけにはいかない。保管庫の鍵は別々の三名が保有しており、全ての鍵がないと開扉できないと言い逃れ、使いの者が急いでいることもあり何とか切り抜けた。もし、渡していたら張作霖とともに爆破されていたところだった。/第二部 殷・周・秦・漢・南北朝からは、第二章 石鼓-古いものには魂がある。唐の太宗皇帝の時代、直径約1メートル、重さ約1トンの太鼓型の花崗岩が10個見つかった。石には一文字4、5センチメートルの文字が刻まれていた。文字が統一された秦時代より前の文字だ。発見から200年近く後には、一つの石「乍原」が行方不明になっていた。唐が分裂した後の五代十国の戦乱の時代には、他の九つの行方もわからなくなった。宋の時代の安定期、仁宗皇帝は石鼓を探すよう命じた。九つは見つかったが、「乍原」は依然として不明。見つかったときは、石鼓は切られ、一つは刀の研ぎ石に、もう一つは精米用の臼になっていた。10個そろった石鼓の文字群を保存するため、黄金で象嵌を施したが、北方の金が侵攻してきて奪われてしまった。再び発見・収集されたのは元の時代だ。元の第八代皇帝・仁宗は北京の国子監に安置し、満州事変が勃発するまで600年あまり安泰だった。疎開のため上海、南京などあちらこちらを転々とし、運ぶ車が幾度も横転したり(梱包の工夫が幸いし無傷)、日本軍の検問をすり抜け、戦争が終わってようやく故宮博物院に落ち着いた。「発見から今日まで、国宝の運命はある法則を証明した。それは、国が乱れ貧しく弱ければ、国宝は困難に遭い、国が繁栄していれば、国宝も安泰だということだ。これが、歴史が証明する結論である。」/第三部 唐の第六章 大秦景教流行中国碑-キリスト教伝来を伝える(太宗皇帝はキリスト教布教を認めていた)や、同第七章 開成石経-西安碑林の誕生(石に刻まれた経典の保護)や、同第八章 柳公権 廻元観鐘楼銘-戒めのための鐘と銘文(安禄山、玄宗皇帝に謀反の安史の乱)も面白かった。/第四部 宗の第一章 淳化閣帖ー大図典の帰還は、宗の第二代皇帝の命により、それ以前の名筆を臨模、刻字、拓本をとり、編纂した。木版だったので原版は消失。消失前の原版拓は極めて貴重なものとなったが、長い間所在不明であった。1994年、香港のオークションで米国在住の英国人が落札。これを2003年に買い戻すまでの物語も面白かった。/同第四章 桂海碑林ー桂林の石刻は、天然の洞窟の壁や天井に二百もの石刻がひしめいている写真に驚き。行ってみたくなった。/第五部 元・明の第一章 趙孟頫 行書十札巻-芸術としての書簡は、超孟頫の親戚であり親しい友人でもある石民瞻が、趙孟頫からの書簡を選りすぐり十札を表装したもの。石民瞻は趙孟頫の筆跡が大好きでもらった手紙を折に触れ眺めることを楽しみとしていたのが、なんとも可愛い。手紙というのは気取らずありのままの趙孟頫の人柄が表れているのではないだろうか。古典となった尺牘はたくさんあるが、この行書十札巻は石民瞻のおかげで、とても見てみたいと思った。
(2025/06/25)

○サライ2024年9月号「漢字に遊ぶ」:(小学館)
 大河ドラマ「光る君へ」のおかげでこんな特集が組まれていたようだ。/現存最古級の日本の漢字ということで、国宝「金錯銘鉄剣」(5世紀埼玉県稲荷山古墳出土)の裏の一部分の写真が嬉しい。金の象嵌の楷書が可愛い。/雑誌は大きめのカラー写真が豊富で、これまで本で勉強してきたようなこともとてもわかりやすい。また、漢字文化研究所長の阿辻哲次さんの「道具が変えた漢字の歴史」の記事はやはり画像付きで上手くまとめられていた。
(2025/06/10)

●結局、人生最後に残る趣味は何か:林望(草思社)
 シャーロック・ホームズや児童文学のおかげで英国好きだったので、30年位前のエッセイ「イギリスはおいしい」の他にも数冊読んでいたリンボウ先生。うわ、久々♥と思って読んでみた。これほどの硬骨漢だったとは。/お金の話がよく出てくるので、自由になるお金が十分にはなかったのかもしれない。それでも能、声楽、川瀬巴水の版画やボール紙本などの蒐集など、いろんな趣味にお金を費やしている。書道や絵画や俳句などの師匠につく必要のない(比較的安価な)趣味もあったが、酒・煙草・女・義理の交際に回すお金があったら、そんな無駄遣いはやめよと読者にも言い、ひたすら趣味につぎ込んでいるようだ。お金持ちではないにしても生活が安定しているからこそ趣味に走れると思う。/また、人生で一番忙しかった時期(睡眠時間4時間くらい)でも、玄人並になるまで趣味に打ち込んでいたというのは敬服する。時間が出来たらああしよう、こうしようと思っていることは、時間が出来てもなかなかやらないというのは真理だ。だから、時間がないときでもやりたいと思ったらすぐ始めよとおっしゃる。そのとおりだと思うが、それができるのも才能だと思う。CPU=頭脳の出来の差(が出来るのはなぜか不明だが)は確実にある。やる気だけで、八面六臂、マルチタスク人間になれるものかと思う。/生活が安定したシニア向けの本かなと思いながら読んでいたが、結局、そういうわけでもなく、リンボウ先生の生き方を開帳した本のようだ。/それでも、ものすごく共感したのが、先生は生徒に(自分の研究成果でなく)勉強の仕方(資料の集め方、分析の仕方など)を教えるべきだということ。「勉強や研究を趣味にしたい人へ」「研究を究めるなら古典から読む」「名もなき本を発掘する喜び」の項は、私には該当しないが、リンボウ先生の研究者&教育者&趣味人らしいところで、「よいなぁ」と思った。/70歳代半ばのリンボウ先生の最後に残る趣味は、料理と速歩、そして、これから始めようと思っている篆刻のようだ。365日料理担当というのに(しかも一手間を惜しまない)感心した。食べることが好きな人はいいなぁ。
(2025/06/09)

○書の古典と理論 改訂版:全国大学書道学会編(光村図書)
 前半は中国と日本の古典を一ページに一古典を、写真映像付きで解説、学習ポイント、語意を掲載。後半は篆刻、刻字も含めて諸全般について解説。全体的に教員向け冊子のような気がする。
(2025/06/01)

●教養としての書道:前田鎌利(自由国民社)
 著者は教室を営むかたわら海外で書のパフォーマンスを行い当地の人たちとの遣り取りから「数百年後には世界が平和になって行く一助となるのではないかという淡い期待を抱きながら」書を書いているとのこと。この本は、広く浅く書道について書かれており、花押、岡倉天心と小山正太郎が書が美術かどうか論争した話、御朱印の流れで御陵印の紹介などが面白かった。また、巻末に参考文献を挙げてくれているのはとてもありがたい。
(2025/05/29)

●教えて先生!書のきほん:『墨』編集部編・川口澄子絵(芸術新聞社)
 書道教室5年生となったので初心者とは言えないかもしれないが、やはり知らないことも多々あった。筆仙人とこすみちゃん(筆の精)たちの登場が楽しく、かつ、ポイントをさらりと絵で表現してくれているのがありがたい。欄外に言葉の解説もあり、初心者にもわかりやすいと思う。/表具の専門家の話が特に面白かった。使用した墨が新しい墨か古墨か、新しい墨でも磨墨してすぐか宿墨か表装の依頼時に伝えておくことが大事とのこと。昔は作品を観ただけでその判別ができたが今はそういう職人が少なくなった。使った墨によって表装時や事後に滲んだり、接着力に変わりがあったりするため伝えるのが礼儀。東西での糊や表装の取り合わせの違いがあるのも面白いと思った。/六日目の「『社会』とのかかわりを学ぶ」の章は、思ってもみなかった書の基本だった。「第十二講 書家」はともかく「第十講 書論」は筆法だけではないので書道に入門していない人にも有益だし、「第十一講 教育」は江戸から昭和までの書道教育の歴史だけでなく今後の展望も書かれていた。特に書論は、どうしても文化や歴史に関わってくるので書の話に止まらないところは自覚していたが、いろんな本を読んでみたいと思った。/すると最後の章は七日目「自宅学習 図書館へ行く」となっており、各章に関連した図書が数冊ずつ表紙の画像とともに挙げられており、どれから読もうと楽しくなった。
(2025/05/21)

●中国法書ガイド48 宋 米芾集(二玄社)
 米芾集:大野修作/米芾(1051年-1107年)、字は元章(げんしょう)、号は襄陽漫士(じょうようまんし)、鹿門居士(ろくもんこじ)、米海嶽、米南宮。母が宣仁皇后の藩邸に務めていたコネクションで広東省の役人に任ぜられた。宋の四大家の他の3人は科挙に合格(進士及第者)した士太夫だったが、米芾はそうでないので士太夫社会では決定的に不利とのこと。「米芾はそうした社会への反発もあってか、芸術家の資質を存分に発揮した“米顚(べいてん)”と呼ばれる特異なエピソードを多く伝える。」との一文を読んで、人物像が見えてきた気がした。「蜀素帖」の訳(一部)を読んだ書道教室の先輩とちょっと皮肉なところがあると話し合ったことだったし、米顚エピソードも単に変人と言うより自意識過剰な感じだった。ただし、そのような「痛さ」もあるにはあるが、書を愛し入れ込む「書狂い」も感じる。自己の鑑識眼に揺るぎない自信があり実力も備わっているのだから、どっしりと落ち着いた感じがなくても大した人だ。/法書の科学的鑑定に長け、鑑定の仕方を著書に残した功績。蘇軾も黄庭堅も当人の感覚で鑑定していた。現在でも晋唐の書の鑑定は米芾の著書に拠っているらしい。南宋以降であっても米芾の鑑定項目等を受け継いでいる。/晋賢十四帖(二王以前の晋人の集帖)を観てその中の謝安帖について清古だと評し、真の武帝帖については「太古の人のような自然淳野の質があり」、それから観ると「二王の字もほこりっぽく見えてくる」とまで言ったそうな。晋代の書をあらためて観なくては!/
 二人の収蔵家:塘耕次/米芾と王せん(言偏に先)について。コレクター米芾は、執着して手に入れる割に、どんな名筆も観続けていれば飽きてしまうといって新しく交換していたそうな。なんか気が合う(笑)。/黄庭堅が王せんに品定めを求められ良いものがなくて容赦なく指摘したエピソードと、蘇軾は米芾の収蔵する作品に半分くらい偽物があることを疑問に思っていたが、表で偽物を見せ裏に本物を隠していたことを発見したエピソードをならべていた。王せんは財力に任せて収集する好事家で、米芾は鑑賞家。/
 “偽作”とは:野村茂夫/米芾は優れた模倣家。彼が臨模した書が原作者のものとして流通。これは米芾が偽作者ということであるまいか。この問題についてL・レダローゼ氏は「中国では・・・・偉大な鑑識家たちも偽作を首尾よく作り出すことによって、自らの能力を自分自身や他人に証明することを好むのである。・・・・・金もうけをもくろんでいたのではなかったから、この知識を偽作を生み出すことによって試みることには、どのような罪悪感も起こらなかった。・・・・偽作者として知られ、あるいは疑われたりした有名な人物は、今日まで多数いたが、それらの典型もやはり米芾である。」(『米芾ー人と芸術ー』塘耕次氏訳・二玄社刊)野村茂夫氏は「罪悪感」は著作権などの近代的権利意識に基づく概念であって、米芾は偽作をしている意識はなかったと思われるとのこと。「先人の作品に一層の光彩を添えたとの、むしろ誇らしげな気持ちがあったのではないか。」偽作者の烙印を押されては、嬉しかろうはずはないがとも書かれている。/
 米芾に根ざす“高古への憧れ”:吉川薫仙/米芾の書(書きぶり)についての解説。臨書にはこの文章が参考になると思う。古典の勉強家で「集古字」と嘲られたそうな。/
米芾は古今随一:江口大象/米芾(の書)は面白くて難しい。←同感。/米芾は西域からの帰化人。/日常生活において一種の変人。潔癖症、執着狂、仕事嫌い、自己中心的。親交のあった黄山谷は「世俗に入れられなかったがための演技としての奇行」と見ていたそうな。/書風についての解説。/
 現代語訳・原文・訓読釈文:福本雅一
(2025/05/21)

●学芸員しか知らない美術館が楽しくなる話:ちいさな美術館の学芸員(産業編集センター)
 大体は知っている話というか、こうなんじゃないかと思っていたことが、ほぼ正解だったことが確認できた。ただし、学芸員の仕事道具は全く未知であった。メジャー(金属製厳禁)、白手袋、ハンディライト(作品調査用)、カッター(梱包やキャプション版作成用)、デジカメ(作品調査の記録用)/学芸員が身につけている特殊能力。「学芸員は目が命。」少しの絵の具の浮きや亀裂を発見できる。「次に皮膚感覚。」新人は「温湿度は自分の肌で分かるようになれ!」と言われるとのことで、そうなるようだ。また、カビや有毒ガスも作品に影響するので鼻も利くようだ。/心底驚いたこと。その1、美術館は私語厳禁ではないと書いてあったこと。私語厳禁と思っている人が多いからわざわざ書いているのだろうから驚いた。誰かといっしょに行ったときは感想や気がついたことを話すのは当たり前ではなかったのか!?その2、解説文を全部読む必要はないし、順路どおりに進まなくていいと書いてあったこと。読む人や順路どおりの人が本当に多数派なのか!!!???まあ、順路どおりが多数派なのはわかるが、読む人はそういないと思う(もしかして当県だけなのか?)。ガラガラの県美(高知県立美術館)でさえ読む人はいないのに、数珠つなぎの展覧会なんか読めないだろうに。数年前に読むと決意してから読んでいるが、読んだ方が格段に楽しい。ここは全部読めない場合は「図録を買うべし」くらい書いてもよかったのではないだろうか。/あと学芸員とキューレターの違いについて書かれてあったのは、ありがたかった。学芸員は何でも屋。キューレターは展覧会の企画、作品の研究をする人。アメリカの美術館では分業されていてキューレターの他に、作品の情報を管理する人、作品を取り扱う人、教育の普及をする人、美術館の蔵書管理をする人、作品の保存修復をする人がいるとのこと。/何でも屋になりすぎて、学芸員が広報チラシなどを作ってしまうと、当の業者の仕事を奪うことになるし、学芸員の本業がおろそかになりかねないとも書かれてあった。ここは重要だと思う。カツカツの予算で切り盛りしていると、何でも屋の学芸員は(予算や人手が浮くので)重宝がられるかもしれないが、それは鑑賞者(わたし)のためになるのか。学芸員と鑑賞者の利害は一致しているのかも。
(2025/05/06)

●一人十色:梅沢富美男、監修:夏井いつき(ヨシモトブックス)
 梅沢さんの俳句は、やさしくていいなぁ。詩心がちゃんとあると思った。/夏井先生との対談でプレバトでの丁々発止の遣り取りは全て即興とか、裏話も楽しい。舞台の台詞で七五調は身についていたが、その言いやすさで作句してしまうので、ずいぶん語順を添削されたとか。/本のために選ばれた50句の他に添削された句も、その添削理由とともに載っていて勉強になる。また、特待生・名人の昇降格も図になっていて面白い。/自分の句を本にするについては何度も断ったとのこと。その理由は、素人が未熟な俳句を本にするなど俳句の専門家は愉快に思わないだろうと思ったからだそうな。でも、中学出の自分が出すことによって、俳句を普及できるのであればと思い直したとのこと。
2025/01/07

句集を作りました

昨年ひょんなことから「なんちゃって俳人」となり早1年。手書き句集を作りました。また、俳句の先輩と同輩及び友だちに謹呈したかったのでpdfも作りました。

このブログをお読みの皆さまもよかったらお読みください。「これ好き」とか「これダメでしょう」とか教えていただけると嬉しいです。でも、読む時間がもったいないかも(^_^;。

平暮(へぼ)句集(pdf) 54句


ほぼ、作った順番どおりですが、例えば夏の季語であれば「初夏」「仲夏」「晩夏」と分けられているようですので、その順番に並べ替えたりしました。でも、昨年は仲秋でも暑かったので、9月に作った句でも初秋の季語「秋暑し」を使い、順番も仲秋あたりのままにしています。

季重なりもそのままにしたり、まあ、初心者ならではのめちゃくちゃさだと思います。俳句の古典や著名俳人の句集も読むべきなのに読んでないし、当地では句会もなさそうだしなぁ。

読書メモ_2024

あまり本を読まなかった。ということは図書館へもあまり行かなかった。ということは、あまり歩かなかった。ということは、悪玉コレステロールが増加するのも無理はない。増加し始めて10年以上経っている。ということは、そろそろ血栓ができているかもしれない。毎日お酢を飲んでいた年は少し減っていたので、また飲もうかな。


●昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅:澤地久枝(文春新書)
 ・・・・澤地さんの著作から数行ずつピックアップして、その内容によって六つの章にまとめられている。澤地さんの著作も半生もわかるような内容になっているので、一冊も読んだことがない者にとっては澤地久枝案内のような本になっている。本書の著作者は澤地さんだが、ご本人のあとがきによると全著作を読んだ石田陽子さんが編んだもののようだ。/引揚げのときの様子が生々しい。いつ停まるか、停まったらいつ発車するかわからない列車に乗ったとき排泄はどうするのか。列車の下に潜り込み、用を足したそうだ。いつ動き出すかわからないから命がけだ。また、博多港外の帰還船上の検疫は、何の囲いも覆いもない船尾甲板で裸になり、肛門にガラスの棒を突っ込まれて採便されたとのこと。月経中の人もお構いなし。下の話は恐怖と羞恥が強いので、やはり印象に残る。/心臓の手術を数回、他にも重病を患われたことがあるというのに驚いた。/向田邦子さんの思い出もなかなかに染みる。/「妻たちの二・二六事件」「石川節子 愛の永遠を信じたく候」あたりから読んでみたい。でも、まずはドナルド・キーンさんの石川啄木の評伝を読んでから。/「わたしの満州 戦前から戦中を過ごして」「棄民となった日々 敗戦から引揚げ」「異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく」「もの書きになってから 出会ったひと・考えたこと」「心の海にある記憶 静かに半生をふりかえる」「向田邦子さん 生き続ける思い出」

●鹿男あおによし:万城目学(幻冬舎)
 ・・・・積ん読崩し。/奈良は6、7回は行ったことがある。そのきっかけを作ってくれた言わば奈良友が5年前に贈ってくれた本だ。映画『プリンセストヨトミ』『偉大なるしゅららぼん』の原作も万城目さんだとか。/奇想天外というか、アホらしいと言えばそうだが、気楽に読めて面白い。何より大仏殿の裏手の講堂跡の礎石や転害門がよくでてくるのがいい。大仏池とか大好きな場所だ。しかも秋の奈良だ。「虎に翼」で寅子(伊藤沙莉)の額を見るたびに興福寺の八部衆の誰だっけ(検索したら五部浄像だった)に似ていると思っていたが、本を読むと会いに行きたくなった。平城宮跡の原っぱもいいなあ。グーグルマップでイロイロ見てしまい、あっという間に時間が過ぎた。
2024/10/01

容堂印譜

●異人たちとの夏:山田太一(新潮社)
 ・・・・話がわかっていても面白く読めた。笑いもあっていい。やはり両親との別れの場面は泣ける。/大林宣彦監督の『異人たちとの夏』は大分忘れているものの、ほぼ原作どおりだと思った。原作ではケイが正体を現したとき、原田英雄(語り手)はそれでもいいと思ったのが意外だった。まあ、それでもいいということにもならないので別れることになるのだが、原田としては両親とともにケイにも「ありがとう」と言う。離婚して(する前からだけど)息子とも疎遠で、一番の仕事仲間である間宮が元妻とよい仲だと知って孤独を深めていた原田には、無条件で自分を慈しんでくれる両親と、愛を感じたケイが救いになっていたのだなぁ。(私はすっかり忘れていたが、映画でもケイに感謝するシーンがあったようだ。)/もう、いっしょに仕事をすることもないと思っていた間宮が心配してくれ、彼のおかげで生還できたようなものだし(やはりケイはその心情は複雑だとは思うけれど両親とは異なり悪霊としたものだろう)、現世の縁も捨てたものではない。供養できるのは現世で生きる力があればこそなんだろう。
2024/06/24

●臨書の疑問100:「墨」編集部編(芸術新聞社)
 ・・・・臨書を作品にする場合は、完全コピー(形臨)ではなく文字の大きさや傾き中心のズレなど体裁を整えるようだ。なんだか思ったほど参考にならなかった。まだ参考になるほどの腕前になってないのだろう。
2024/06/05

●落款の疑問100 押印と署名のテクニック:「墨」編集部編(芸術新聞社)
 ・・・・ウェブ上でハンドルネームを使うように、書作品に署名する名前(雅号)をつけることは知っていたが、書いた場所(例えば家とか部屋)にも風流な名前をつけることは知らなかった。その解説も面白く、号をつければ普段使っている部屋も浮世を離れた別世界(この場合は書の世界)になるとのことだ。すっかり乗せられて部屋に名前をつけようと思い妹に説明したら、たいへんよい名をつけてくれた。綿雲堂、その心は綿ぼこりがふわふわしている部屋(^_^;。雅号は既につけていて、茶風(チャップリンの「ちゃっぷ」)。名前だけ一人前だ。実に楽しい。
2024/04/20

●ロデリック・ハドソン:ヘンリー・ジェイムズ著、行方昭夫訳(講談社文芸文庫)
 ・・・・ヘンリー・ジェイムズの初期の傑作とのことで、待望の新訳。行方昭夫先生(1931年生まれ)がきっと訳してくださると思っていた。文庫本で2,400円には驚いたが、否応なく買いだ。/やっぱり大変面白かった。三人称の小説ではあるが、ローランド・マレットの視点で書かれており、彼の一人称小説のようなところがある。だから、彼が恋しているメアリ・ガーランドが彼に対して好意的であるような記述はまったく信用できない。/親の遺産で遊んで暮らせるが、厳しく育てられ忍耐と節度の人となっているローランドが彫刻に天才的な腕前の野生児ロデリックを見いだし、マサチューセッツ州のノーサンプトン(田舎)からローマへ連れて行く。ロデリックは大成功を収めるも、絶世の美女クリスチーナ・ライトに血迷い彫刻の仕事も婚約者メアリもそっちのけで、自己嫌悪の果てに自殺するが、ローランドは事故死と思っている節。という話。/ジェイムズの十八番であるヨーロッパ人とアメリカ人の対比や、本作独自の芸術家論に加えて、登場人物像を読み手が練り上げていく面白さがある。/ロデリックは、子どものようだと思う。言われたことを言われたまま受け取る。ただし、彫刻に関しては自信がないので、グロリアーニに誉められても皮肉と受け取っている。ローランドを信頼していて期待に応えたいと思っている。スイスのお山で口論になったとき、初めてローランドの期待は純粋なものではなく、ロデリックの放蕩やローランドにしてみれば浮気に思えるクリスチーナへの思いを苦々しく思っていたこと、彫刻の才能も見放されていたことがわかったのだと思う。彫刻の才能を見放されたことは、ロデリックにとっては絶望だったと思う。/クリスチーナは、『白痴』のナスターシャに少し似ていると思った。毒母の犠牲者であるけれど、この時代女性が生きて行くには玉の輿に乗るのが一番という母の気持ちもわからないではない(娘のためでなく自分が楽に暮らしたいためだから毒も毒だが)。クリスチーナは自分らしく生きられないので、自分らしい自分ってどんなだかわからなくなりそうなのだと思う。ローランドには一目置いていて誠実に接し、一目置いた人に自分を評価してもらいたいという気持ちだったのであって恋愛感情はなかったと思う。/そんな不安定なクリスチーナの対極にあるのがメアリだ。抜群の安定感。ローランドの従姉妹の次に大人。でも、あまりにも寡黙。ロデリックとその母が帰国したいと言い、ローランドがメアリの気持ちを慮って(的外れにも)帰国しないとリーダーシップを執ったとき、黙っていたのはいただけなかった。/ローランドは困った人だ。最も節度と良識があり審美眼に優れ、人を見る目も備わっているように思っていたが(なにせ彼の一人称的小説だから)、人を見る目についてはそれほどでもなかった。それともメアリーに対する恋心とロデリックに対する恋敵的心情を相当に割り引いてやるべきだろうか。
2024/04/07

●モナリザの微笑:オルダス・ハクスレー、行方昭夫訳(講談社文芸文庫)
 ・・・・訳者が選んだ短編集。/「モナリザの微笑」主人公のイギリス紳士と三人の女性(妻、愛人、会話での恋愛遊戯の対象)の話で妻の殺人事件の容疑者となってしまう。笑えたのはモナリザの微笑をたたえた人が彼に本気だったとわかる場面。雷鳴とどろきおどろおどろしい(笑)。/「天才児」語り手は、移住先イタリアで出会った少年が音楽の天才ではないかと思うが、しばらくして音楽ではなく数学の天才だと確信する。天才というだけでなく語り手の子どもの相手もしてくれる、とってもよい子。しかし、語り手の大家がその子を養子にしてしまい悲劇的な結末に(ToT)。/「小さなメキシコ帽」語り手が被っていたメキシコ帽のお陰で面白い出会いがあった。若い伯爵(軍人でもある)とその父の伯爵。父伯爵は息子の前ではボケを演じ、国外では生を謳歌している。/「半休日」ロンドンで土曜日が半ドンだった頃の話し。皆が春の半ドンを楽しんでいるとき、ボロ靴で恋人なしのピーターはいじけたくもなるが、前を行く令嬢がもし足をくじいたらと恋の芽生えを妄想する。どの話も面白かったけれど、この話が一番だった。ピーターは滑稽でもあるけれど、その妄想や「たられば」の虚しさに共感もできる。/「チョードロン」財界のゴッドファーザー的人物チョードロンを傍で見ていた文芸の才を錆び付かせた男ティルニーが、語り手に別の顔のチョードロンを話して聴かせる。金儲けには秀でていたが(それゆえか)子猫ちゃんに骨抜きのチョードロンの滑稽と異様。ティルニーだって文芸の才を磨かず、しゃべくりオタクとなっている滑稽と異様を自覚している。人間て難しい(笑)。
2024/02/25

●メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会:ノーム・チョムスキー著、鈴木主税訳(集英社新書)
 ・・・・2003年4月発行の本だけれど、状況は今も変わってない。民主主義といっても権力者にうまくコントロールされており、情報に対して受動的であれば権力者の思いどおりの市民でいられる。自分は少数派だろうと思っていたら、そう思わせるような情報しか流れてないせいとのこと。(仕入れた情報を仲間と共有して意見交換することの重要性は今も昔も変わりないと思う。)/それよりも当時70歳代のチョムスキーがとんがっているのに驚いた。ものを言わず行動しない知識人を批判している。インタビューした辺見庸もタジタジだ。何かを言ったり行ったりすれば、それは批判(炎上や脅し)の対象となるわけで、それがどうした、アメリカでも日本でもそれで牢屋に入れられるわけではないと息巻く。それはまあ、そうだけど、知識人でもその勇気はなかなか。そうして言論が萎縮していくわけで、その先もわかっているけれど。この本とは別のインタビューでアメリカは徐々にではあるが良くなっていくと言っていた。おそらく行動する知識人をバックアップできる大衆の成長について希望を持っているのだろう。なんにせよ仲間は大切。
2024/01/25

○西脇順三郎 日本の詩:(ほるぷ出版)
 ・・・・ドナルド・キーンさんが世界に通用する日本の詩人と書いていたので読んでみた。何回も読まないと頭に入ってこなかったので、延長しても返却期限までに読み切れなかった。私には難しかった。/句読点にも意味があるのでしょうね、もちろん。

   皿
黄色い菫が咲く頃の昔、
海豚は天にも海にも頭をもたげ、
尖つた船に花が飾られ
ディオニソスは夢みつつ航海する
模様のある皿の中で顔を洗つて
宝石商人と一緒に地中海を渡つた
その少年の名は忘れられた。
麗な忘却の朝。

詩集「Ambarvalia」より

朝の食卓に着いてハムエッグか何かの載った皿を見ながら、まだ覚めきっていない詩人の頭に浮かんだことのように思う。きっと天気のよい日だと思う。この詩集は「皿」以外の詩も煌びやか。つぎの詩集「旅人かへらず」はしっとりと秋冬な感じ。/私の場合、何を象徴しているかとか、どういう意味かとか考えながら読まない方がイイみたいだ。詩人の頭の中は宇宙で自由で言葉が舞ったり潜ったりしているとわかってきた頃から、次は何を言い出すのか面白くなってきた。時空間の移動があったりして面白い。本当に詩人の頭の中にいるみたいな感じだ。多分、詩人の狙いどおりの受けとめ方ではないと思うが、私のレベルに応じた受けとめ方になるのはやむを得ない。
2024/02/07

容堂印譜

冊子「へそまがり大名の自画像 容堂印譜」高知県立高知城歴史博物館の表紙画像

5年前から買っときゃよかったと気になっていた冊子を手に入れた。幕末の土佐藩主、山内容堂の雅印124顆(未完印3顆を含む)の原寸大の印影と印面及び外観の写真に印文の読みと短い解説がついている。側款の拓影はないが款文は掲載されている。

尾本師子学芸員による巻頭の一文「へそまがり大名山内容堂の雅印についての一考察」も面白くためになる。藩主の子は江戸で育つが、容堂は分家の子だったので土佐生まれ土佐育ち。容堂を絡めて幕末のごちゃごちゃも簡潔にまとめてくれてあり助かる。文人、容堂の解説にあたっても、和漢の古典に通じた教養があり、漢詩・漢文・中国風の山水画・人物画をモノするのが文人であり、当時の支配階級などに(武士や町人まで文人に憧れる人も)大勢いたとことがわかった。そして、容堂が依頼して作った印の印文などから、酒飲みのへそまがりという人物像が浮かび上がるので冊子の副題は「~の自画像」というわけなのだ。幕末の殿様は「いごっそう」だったのね。

うえの画像の右上の印影は「厳璋之章」。厳は字として使用しており、「厳しい」でも「厳か」でもなく、現海南省北東部にある樹木の名であり、この木は水に浸すと酒を生じるらしい。璋は名前として使用しており、玉器の圭を縦半分にした玉器で才智不完全を意味するとのこと。章は印のこと。

そのすぐ下の印影「酔中真味」は、酔いの中にこそ人生の真の味わいがあるという意味。更にその下の「美禄」は漢書中の「酒は天下の美禄なり」から。一番上の縦長の印「酒非丹醸不可酔水非鴨河不可飲」は、「酒丹醸(伊丹)にあらざれば酔うべからず、水鴨河(鴨川)にあらざれば飲むべからず」で土佐藩の篆刻家、壬生水石の刻。

表紙画像の中で一番大きな印影「学書者紙費学医者人費」は、「書を学ばば紙のかかり、医を学ばば人のかかり」と読み下し、書の上達のためには紙を沢山使わなければならず、医術の上達のためには患者を大勢死なせなければならないという意味で、北宋時代の文人、蘇軾(蘇東坡)の「墨宝堂記」からとった容堂お気に入りの詩句とのこと。5年前は書道に入門する前なので蘇軾なんて知らないから、買うのが今になってよかったかも。

安政の大獄で蟄居中は「武陵罪人」なんてのを使用したり、ドラマで見る蟄居とは違って余裕?

印材は鶏血石、水晶、銅、竹の根などで、鈕(判子のつまみ)が獅子などの動物や羅漢だったり、薄意(表面の彫刻)は全面に蓮の葉や花が施されていたりで財力を感じる。また、金襴の仕覆や箱が付属しているものが多く、仕覆の底面や箱に白絹を貼って印の材質、鈕の形、印文、刻者名の書き入れがあるという。

昔から判子やスタンプが好きだった。三個のスタンプが毎月送られてくる通販を契約したこともあったし、年賀状などのハガキの落款用に喜々として既製品を買ったり、書道を始めてからは落款印、他にもほしい~と思う。だけど、判子って立体立体しているからなぁ。(文鎮の類いの文房具が部屋のあっちこっちに転がっているのに(^_^;。)立体でも帳面ならまだいいかと思う。御朱印や県内の博物館などのスタンプを集めるのは楽しそうだ。ただし、定規を当てても直線が引けない粗忽者が、きれいに判子を捺せるかどうか。かすれた印影のスタンプ帳を見るのはゴメンだ。

「一捺入魂」と毛筆で書いた画像