雄大な北海道の自然を背景に罪とは何かということと、歴史は勝者によって作られるということを考えさせられる作品になっていた。
感動ポイントもあって、お梶(小池栄子)、なつめ(忽那汐里)を始めとする娼婦たちや、和人とアイヌのハーフ五郎(柳楽優弥)の踏みにじられる者の怒りとか悔しさとかには同調してしまった。特に五郎は、見聞きしたことを身体に取り込んだ後、そこから感じたことをダイレクトに瞳に表出させて、大変瑞々しかった。五郎、将来性があるんじゃないかな。良き人生を歩んでほしい若者だ。
兄佐之助(小澤征悦)の狼藉のとばっちりを受けた形で賞金首となった弟卯之助(三浦貴大)も可哀想だった。なつめを切りつけた兄の方は反省の色が無いのに、やめてくれと懇願した弟の方は罪の意識があり、娼婦たちに詫びの品を持ってくる。ところが娼婦たちは受け取らず、そんなもので許せるものかという剣幕だ。私は、佐之助に対しては何とも思わなかったのだが、卯之助は許されざる者だと思った。
十兵衛(渡辺謙)も同じだ。彼は自分を匿ってくれたキリシタンに裏切られたと思って、腹いせに女子どもまで皆殺しにしたと噂されている。金吾(柄本明)が言うように、本当は官軍が殺したのを十兵衛のせいにされたのだろうが、十兵衛は生きのびるために官軍を皆殺しにしている。おそらくアイヌの妻を愛するうちに、どんな理由があろうとも人殺しは罪だと認識したのだろう。妻との誓いを破って酒を浴び、自分を殺しにかかってくる者を再び皆殺しにした罪の意識は重いような気がする。
つまり本人に罪の意識があり、贖罪が叶わないと「自分は許されない」と自責の念が募る。自分自身に押す烙印としての「許されざる者」を私は感じたわけだ。
五郎なんか人殺しの気持ち悪さが身にしみたものだから自分で「もう二度としない」と言っていたが、あんまり罪の意識はなさそうで、このままあっけらかんと生きて行けそうなのが頼もしい(笑)。
大石(佐藤浩市)は、人間を獣になぞらえ非常に見下した感じで、追い詰められたらハミ返ってくるから気をつけろと新任の警官に訓辞する。留置所内での北大路(國村隼)の拳銃と大石の刀という対決場面で明らかなように思うが、虚無主義に陥っているようだ。維新後間もない時代の転換期だからだろうか、権力者の側にいながら「取り残された人」であり、希望もなく自分を大事にできないから他人ならなおさらである。一番の憎まれ役だと思うけれど、一抹の哀れさを感じないではなかった。
物書き(滝藤賢一)
監督:李相日
(2013/09/29 TOHOシネマズ高知1)
お茶屋さん、こんにちは。
今日付の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。
生ある者としての“人の罪深さ”がすなわち“許されざる者”というわけですね。
ちょうど今回の更新で拙日誌をアップした『かぐや姫の物語』にも通じる主題で、ナイスタイミングとなりました(礼)。
大石への言及に大いに共感しました。オリジナルの悪党よりも味があるように感じられたのは、まさしく「取り残された人」としての色付けが利いていたせいだと得心しました。
どうもありがとうございました。
ヤマちゃん、リンクとコメント、ありがとうございます。
オリジナルの保安官(ジーン・ハックマン)は、完全悪じゃなくて善悪の境界線上にいる人のように思えました。悪いところもあれば善いところもあるような。大石は、他人にとっても本人にとっても、良いところが全然ないですね(^_^;。
まあ、スケール感のある立派な作品でしたよね。母の2013年ベストワン作品です(高知新聞が募集中のヤツ)。『かぐや姫の物語』もテン入りしていました。