親子って血のつながりじゃないと改めて感じさせてくれる作品だった。
子どもの取り違えがわかったとき、100%生みの親の元に戻すことになると作品中で言われていたけれど本当かな?いっしょに観た母は、赤ん坊の頃にわかったのならともかく、この映画の年齢になっていたらそのまま育てるそうだ。3歳くらいならどうかと聴くと可愛い盛りなので(引き渡す気はない)とのことだった。そうすると血のつながりのある子どもと別れることになるがと突っ込むと、それはそれで構わないということだった。私も同感なので、100%はないだろうーーーと思った次第。そういうわけで、この映画の本当の結末は再び子どもを交換して、子どもたちにとっても「めでたしめでたし」と勝手に思っている。
それにしても、良多(福山雅治)って鈍かった(^_^;。子どもとの愛情交換がうまくできていなかったからかな。それは彼が両親とうまく関係性を築けて来られなかったせいかもしれない。父(夏八木勲)との間はギクシャクしているし、子どもの時分は継母(風吹ジュン)になじめなかったようだ。仕事はできても「○○は斯くあらねばならない」という観念が強すぎて、子どもまでそれに当てはめようとするのも痛い。これまで何でも思いどおりにできてきたから人間がこなれてないのだと思う。子育ては思いどおりにならない最たるものだろうから、良多も子どもにこなしてもらえって感じだ(笑)。親になるには愛情が必要なんだと思う。(自分の分身として愛するのはダメだ。子どもを分身と思っていたから良多は血縁にこだわったのかもしれない。)彼は自分が子どもに愛されていたとわかった時、初めて愛情を感じ親になれたんだと思う(愛情返し)。
感動してちょっとうるうるっときたのは、河原で母親同士(尾野真千子と真木よう子)が思いを共有するシーンだ。コメディ・リリーフ的存在の斎木(リリー・フランキー)も面白かった。沖縄の空「琉晴(りゅうせい)」という名前もいいなぁ。
監督:是枝裕和
(2013/10/06 TOHOシネマズ高知7)
お茶屋さん、こんにちは。
今日付けの本年最後の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。
いろいろな思いを触発してくれる作品でした。彼らのその後は?を考えても、自分ならどうするかということをあまり考えなかったので、意表を突かれ新鮮でした。僕も血より記憶だと思うほうなので同意見なのですが、当事者になってみないと、どうなるか分からないと思ったりもします。
良多がこなれていないのは、「これまで何でも思いどおりにできてきたから」というよりは、意志的に構えて生きて来なければならない人生だったからだろうという気がしているので、「子育ては思いどおりにならない最たるものだろうから、良多も子どもにこなしてもらえ」との厳しい眼差しには恐れ入りました(笑)。「自分の分身として愛するのはダメ」には大いに賛同します。
自分にはない意見がいろいろ聴けてとても興味深い感想でした。これだから、いろいろな方々の感想を伺うのが面白いと改めて思います。どうもありがとうございました。
また、なにやらかにやら、今年もお世話になりました。明くる年も引き続き、よろしくお願いしますねー。
ヤマちゃん、今年も最後の最後までお世話になりまして。
リンクとコメント、誠にありがとうございます。
>意志的に構えて生きて来なければならない人生だったからだろうという気がしているので、
ああー、なるほど、あるかもしれませんね。窮屈な人生で気の毒です。が、やっぱり~、こういう人は周りの人まで窮屈にしてしまうからなぁ。そんなわけで、どっちにしても「こなしてもらえ」になっちゃうなぁ。大晦日でも厳しさに変わりなし(笑)。ゴメンねゴメンねー。
こんな調子で来年もヨロシクお付き合いいただけるものでしょうか(^_^;。
どうぞよいお年をお迎えくださいね。