フィオラヴァンテ(ジョン・タトゥーロ)は、ジゴロのお手本のような人だった。女性の欲求を察し、満たす優しさ。これがジゴロに不可欠なものなんだろう。顔は二の次、三の次。察しがよすぎたり、サービス過剰は疲れるけれども、フィオラヴァンテは万事、程よい加減で言うことなし。これはモテる。だけど、女性の本命にはなれない。『七年目の浮気』でも描かれていたように不器用くんの方が本命として見られているのだ。
何不自由なさそうな皮膚科医パーカー(シャロン・ストーン)と、夫に先立たれ何かと不自由そうなアヴィガル(バネッサ・パラディ)という女性の対比も面白かったけれど、ジゴロ斡旋家マレー(ウディ・アレン)の妻や厳格なユダヤ教徒たち、会話の中の○○系など、ニューヨークが人種のるつぼと言われていたことを思い出した。特に厳格なユダヤ教徒のあれこれが面白く、自警官(パトカーがそっくりで最初はニューヨーク市警かと思ったよ)やユダヤ教の罪に当たる行為かどうか審判する「審議会」は、一見の価値ありだ。
小粋な音楽が何曲もたっぷりと使われていて気軽に楽しめる反面、フィオラヴァンテとアヴィガルのシーンなど、ここぞというところは無音で観客の集中力を高める演出。アレン・アレルギーは、なぜだか発症しなかった。イジイジしてなかったからかな?
監督:ジョン・タトゥーロ
(2014/12/13 あたご劇場)