不思議と湿気が感じられなかった。そのせいか、ここで描かれたおびただしい亡骸からは臭いがしてこない。ちぎれた手足も傷口も鮮明で、きれいだと思った。塚本監督がトラウマになるくらいの描写を目指したと言っていたので覚悟して行ったが、正視できて私としてはありがたかった。
肺病で部隊と医療所を行ったり来たりさせられるところは、戦争につきものの理不尽さが早くも「出た・・・」という感じだった。途中で休んで芋を食べたらいいのにと思うけれど、そんな行動の自由はもちろん思考の自由も奪われているのだろう。
ギャンギャン吠える犬に脅えて発砲し、ギャーギャー叫く現地の女性に発砲し、同行の若い日本兵にも発砲する。「二度あることは三度ある」であり「三度目“も”正直」だった。田村一等兵(塚本晋也)が強い人間なら発砲なんかしないで対処できただろう。相手は銃を持ってないのだから。でも、ビビリは追い詰められると殺ってしまうのだ。私も同じタイプ(ToT)。
密林を幽鬼のように彷徨う兵士がいた。動けず自爆した兵士がいた。上映時間は短いが、他にも盛りだくさんだった。その中で一番強く感じたのは、「戦友は?仲間はどこ?」ということだった。「同期の桜」とか「同じ釜の飯を食った」とか、アメリカ映画でもネイビーシールズの仲間意識とか、ともに苦難に当たると結束力も強くなるというのは戦争の一面でしかなかった。
この作品から戦友とか仲間を感じることはできない。殺伐としている。この孤絶感。一応組織の体をなしている伍長(中村達也)の下でさえ、その部下をして「ここにいても良いことはないぜ。」と忠告されるのだ。
肉を食べるにしても、亡くなった仲間に手を合わせながらというのを想像していたので、狩りは想定外だった。それが事実でないとしても優れた作品は物事の本質を突いてくるので怖いところだ。安田(リリー・フランキー)も永松(森優作)も目的を失っているとして思えない。『地獄の黙示録』でも似たような狂った場面があった。上官もなく目的も失うとあんなになるのだろうか。
人肉食がなかったとしても、うえから書いてきたような体験は、なかなか語れないし、語りたくないと思う。
わからないところもあった。野火はラストシーンを除いても2回は出てきた。タイトルにまでなっているのに、どういう意味が含まれているのかわからなかった。
また、映像が赤っぽくなるところが何回かあったが、これも何か意味があるのだろうか。
焼け石に吐いた血が蒸発するところと塩のことは想像が及ばなかった。←言われてみればと目からウロコ。
戦争の一部分しか描かれてない作品だけれど(そもそも全部描くのは無理)、こういう一つ一つの作品を見ていくと、どのようにして戦争に至るのか(どうすれば戦争を防げるのか)、戦争は個人に社会にどのような影響を及ぼすのか、普遍的なことがわかってくる。そういう1本として良い作品だと思う。
なお、あたご劇場では、11月に市川崑監督の『野火』も上映される。
(2015/08/14 あたご劇場)