誰かが誰かを想う。その想いが叶わなくても、幻だったとしても、あるいは相手が死んでしまったとしても、想っていたときは幸せで美しい。不満、欺瞞、絶望をくぐり抜けて生きることの美しさを描いた作品と思う。
冒頭で篠塚(篠原篤)が、結婚したときの思い出を語る。おそらく弁護士の四ノ宮(池田良)に向かって話している。このときの目の表情が生き生きとして美しかった。
四ノ宮が思いを寄せる友だちの影を松葉杖でなぞっていく。大きめの窓から白い陽射しが入り柔らかい影をつくっている。このときの安らかな表情は嘘偽りのないものだった。
高橋(成嶋瞳子)が、一念発起、化粧して身支度を調える。湯気が出そうなくらい熱を帯びている。白馬の王子様と鶏を飼うのよ!紅潮して輝いていた。
篠塚が見て美しいと感じた恋人たちは、あまり美しいと思わなかったが、三人の恋する人たち(恋人たち)の表情は美しかった。
高橋のエピソードはコメディ部門として見ていた。日々、満たされず生きているのだけれど、幸か不幸かそれを言語化できていないので現状に甘んじていたのでしょう。鶏男(光石研)との夢破れても、子どもが生まれたら、もうマンガを描くこともなくなるだろうなぁ。
四ノ宮は自らを偽って生きていたから幸せからは一番遠いように思えた。同棲相手には、もっと正直に自分をさらけ出してもよかったのに。でも、彼にとってはそれが最も難しいことなのかもしれない。正直に泣けたことで一先ずよしとするか。
正直者の篠塚は共感しやすい。自己表現ができるのでいいなと思う。理不尽な役所の職員に対しても状況説明や主張が出来るのですごいやとも思う。篠塚の同僚(とその母)の思い遣りに涙、篠塚が「ありがとう」と言えたことにも涙。(赤いあめ玉の美しかったこと(T_T)。)元左翼の黒田さんも傾聴オンリーで、あなたともっと話したい(だから話せなくなるようなことはしないでほしい)という。現実には黒田さんはほとんどいない。だから、映画に必要なんだと思う。(橋口監督、思い遣りに「ありがとう」と言えなかったので篠塚に言わせて、話を聴いてほしかった相手に説教されたので黒田さんを作ったのではないだろうか?)
篠塚は、建造物の劣化の状況を点検する仕事をしている。これって何かの象徴だろうか。表面上は何でもなさそうな建造物を叩いて反響で劣化の状況を判断する。聴診器を持ったお医者さんみたいだ。川からの眺めを活かせる仕事でもある。ラストの川(もう海かな?)から東京をとらえたショットの美しさには本当に驚いた。海からマンハッタンをとらえた作品は数多あれど、東京の摩天楼も負けず劣らず美しい。生きてりゃ良いこともあるぜ。篠塚の心からの笑顔にほっとして前向きになれた。
エピソードが切り替わるとき、ペットボトルつながりとか麻薬つながりとか、何かでつながっていたような気がする。映画的に芸のある作品でもあったと思う。
(2016/04/16 あたご劇場)