生前の田辺さんに「お葬式は伊勢崎町の教会でやるから来てね」と招待されていたので(仮に招待がなくても)行ってきた。お堂に入りきれないほどの人が集まっていた。牧師さんは、強烈な個性の人、子どものように純粋な人と語った。また、お友だちが語ってくれたエピソードで、風に舞いあがったチラシを追いかけて車の行き交う電車通りへ飛び出したというのには、皆が思わず笑った。
私の職場では「映画のおじさん」でとおっていた。仕事中だから気を遣ってくれて、なるだけ短時間で、ささやくようにして映画の案内をしてくれた。それでも核心めいた話になると自然と大声になった。
田辺さんから信じられないような話を聴くこともあった。例えば、小夏の映画会で『海と毒薬』を上映したときアメリカ人が来ていて、映画の中で日本人が米兵を生体解剖していたことについて、「そんなことをしていたのか!」とものすごく怒られたと言うのだ。それで、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪して、「二度とこんなことがないようにしますから許してください。」と謝り続けたそうだ。もし、その方がこの一文を読んでおられたら、事実と違うと思われるかもしれない。ただ私は田辺さんにとっては、このとおりだったのだと思う。感じたことを感じたとおりに話す、自分の心に正直な人、それが田辺さんだった。
田辺さんを主人公に映画を作ったら、きっと上質の喜劇になると思う。下手な喜劇は笑っておしまいだが、本当の喜劇は人に生きる力を与えてくれる。窪川での原発騒動、離婚に裁判。頭を抱える大変な出来事なのに、田辺さんだとお腹を抱える出来事になってしまう。長年の自主上映活動での友人知人の他にも様々な交流があり、各所で田辺オーラを発し、旋風を巻き起こしていたことと思う。経済的には苦しいと思われ、持病もあったのに、これほど豊かな人生があるだろうか。今は涙も出るが、思い出すたび元気をもらえる人だと思う。
(シネマ・スクウェア 2016年9月号)
追記
シネマ・スクウェアには、ヤマちゃんとシネマ・サンライズのガビーさんの追悼文が載っていた。
掲載文とは異なるかもしれないが、お二人ともwebにもアップされているので、ぜひ、ご覧ください。
ヤマちゃん九月十日に急逝した田辺浩三さんのこと。
ガビーさん追悼 田辺君へ
追悼文を書くときは、様々なことが思い出されて泣けてしょうがなかった。書いたら字数オーバーで泣く泣く削った(笑)。
私から芸術家と言われて田辺さんは大層喜んでいた。他の人から「あんまり、おだてられんでー」と言われたこともあった。だけど、本当にそう思ったんだからしょうがない(笑)。還暦のときの上映会では、赤い頭巾にちゃんちゃんこで、自主上映は自己表現だと思っているのでこんな格好でやりますと言っていた。そのレベルなら私は「アーティスト」くらいに思う。「芸術家」は私にとってちょっとニュアンスが異なるのだ。芸術家には一種の狂気がある。上映したい作品(というのは田辺さんにとっては主に他者に観てもらいたい作品(園子温作品は田辺さんが観たい作品))があってもフィルム代がないから、なかなか叶わない。それでも何とか上映しようとする情熱と行動力が凄まじかった。描くしかない、描かないと死んでしまうゴッホと同じだと私は感じたのだ。だから、小夏の映画会最後の上映会で「あらたな形でまたやろうと思っている」と話していたとお葬式のときに聴いて内心「やっぱり」と思った。本当に最後の上映会になるとは思ってなかった。
田辺さんは他人の言うことを聴かないというのが定説となっている。これは私が感じていたこととは違う。私は田辺さんは対話ができる人と思っていた。オフシアター・ベストテン選考会でも他の人の意見を聴いたうえで、異なる意見を述べていた。私の印象では他人の言うことを聴いているが頓着しない感じだ。うえの『海と毒薬』のエピソードは頓着しないわけにはいかないケースだが、「聴かない」人であれば「二度とこんなことがないようにしますから」とはなかなか言えないと思う。暴力や争いが嫌いで苦手だからこそ、聴けて話せるようになったのではないだろうか。そんな田辺さんを密かに尊敬していた。
あとはちょっとしたことだが、追悼文に書きかけていたのは、インドと追悼上映と誰が田辺さんを演じるかということ。
数年前に念願のインドに行ってきたと言ってお土産を二つもいただいた。インド!?本当のインド!?と驚いた。旅先で私のことを思い出してくれたのね。旅のお土産は嬉しいものだ。田辺さんにはいろんなものを頂くばかりで終わってしまった。
もし、追悼上映会があるなら作品は何がいいかな。反核原発がらみで『生きものの記録』とか、田辺さんが好きな映画なら『フォロー・ミー』。他にも好きな映画はたくさんあったろうけど、もっと聴いておけばよかったなぁ。
田辺さんを主人公に映画を作るとして、誰が演じるか。これは楽しい難問だ。
亡くなった後も楽しませてくれる。やっぱり希有な人だ。
心の籠った皆さんの追悼文、拝読しました。
お茶屋さんの掲示板に登場する田辺さんの事、密かにファンでした。
ユニークな方、情熱的に映画を愛している方と感じていました。
時々ユニークが過ぎて、お茶屋さんからやんわりと叱られていたけど、多分わからないだろうなぁと、思ったり(笑)。
お会いした事もない私も寂しく思うんですから、これも御人徳ですね。遠く大阪からもお悔み申し上げます。
ケイケイさん、温かいコメント、ありがとうございます。
お葬式の後、あの掲示板を読み返して、当時「ここまで言っていいんかい?」とドキドキしたことを思い出していました(笑)。
>やんわりと叱られていたけど、多分わからないだろうなぁと、思ったり(笑)。
ははは、定説どおりや~(笑)。
>これも御人徳ですね。
そうですよね。私もそう思っていました。
お葬式もたくさんの人だったし、新聞の投書欄にも思い出が寄せられていたし、ここでもケイケイさんがファン告白してくださったし、ご遺族のお慰めになるのではないでしょうか。
以前、かつての高知シネマクラブの人が斎場で待っている間、田辺君を映画にしたら誰を主演にしたらいいかという話題で盛り上がったという話を聞いていたので、爆笑問題の太田でどうだろうか、と提案したことがあります。キャラ、濃すぎるかな?
田辺氏は、借金を返し終わったら、映画は「太陽の蓋」とか「サウルの息子」とか上映したいと言っていました。(「サウル-」はあたご劇場でやるようですが。)
ガビーさん、ようこそ。
いやいや、太田光以上に濃いと思いますよぉ。でも、太田光は、かなり邪気を抜いて、もう少し器を大きくしてもらわなくちゃ(笑)。
濱田岳+ルー大柴
はいかがでしょう?濃さが足りないかな?
『太陽の蓋』!まさに田辺さんの映画ですね。
『太陽の蓋』『サウルの息子』は、田辺さんが上映したかったし、観たかった映画ですよね。供養のためにも『サウルの息子』を見に行きたいと思います。
お茶屋さん、こんにちは。
報告が遅くなりましたが、先の拙サイトの更新で、拙日誌からもリンクを施しております。僕は前夜式のみで、お葬式のほうには出向きませんでしたが、この記事のお陰で様子がよくわかりました。
>「もし、その方がこの一文を読んでおられたら、事実と違うと思われるかもしれない。ただ私は田辺さんにとっては、このとおりだったのだと思う。感じたことを感じたとおりに話す、自分の心に正直な人、それが田辺さんだった。」
全く同感です。ホントに稀有な、面白い人でした。『オケ老人』を観ていて、また思い出してしまいましたよ(笑)。
人の話は聴いちゃいない、思ったとおりに突き進むオケ老人(笑)。老人でも賢者タイプは希なのかもしれませんねぇ。年を取ると皆、田辺さん化するのかな。でも、田辺さんほどの情熱と行動力は、なかなか発揮できませんよねぇ。
私は『サウルの息子』を見て田辺さんを思い出していました。上映したかったんですよね。
牧師さんは、田辺さんの方が年上なのに叱ったりもしたことを話されて、美点だけを並べるより心のこもった温かいお話になっていましたよ。
オフシアターベストテン選考会からお葬式までよい思い出をたくさん残してくれたなぁ。