海辺の映画館 キネマの玉手箱

ははははは!と笑いながら涙を流し、
(ToT)泣きながら、(^Q^)笑い。
トリュフォーはわかったけど、茂ってだれよー!?馬場毬男もわからんーーー!

その映画が面白いか面白くないか、始まって3分も経たないうちにわかる。『海辺の映画館』は始まった途端、斬新!こんな表現方法があったのかとワクワクした。全くもってオープニングという言葉がふさわしい。言葉がどんどん被さってくるところが、どの作家とも異なるところだ。期待に胸をふくらませながら、これが大林宣彦監督の遺作、遺言(?)と思うと泣けてきた。

先月、高知県立美術館ホールで見た『ÉMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』をバージョンアップしたような四次元コラージュ作品で、爺・ファンタ(高橋幸宏)が登場することからわかるようにファンタジーなのだ。だから裸が出ても乳首は出ない。そのかわり思わぬところで、ヘア(ちょび髭)が出る。大林監督が好きなものと嫌いだけれど忘れてはならないものと残したいもの託したいことが詰まっている。映画の迷宮で爺さんから、えらい玉手箱を渡されたものだ。

瀬戸内キネマの閉館オールナイト上映の観客である三人の男性が、スクリーンに入ったり出たりする。『カイロの紫のバラ』の元ネタとなったのはバスター・キートンの映画だったか・・・・、映画ファンにとってスクリーンを出たり入ったりするのは常識だ。しかし、大林監督は常識以上のものを三人に背負わせた。映画で万物(特に歴史)を学び、現世の今後に生かせということだ。
私が映画を観始めた1980年代、アメリカは世界の警察と言われていて、自国の正義を振りかざし世界中で我が物顔に振る舞っていたので嫌な国だなぁと思っていたけれど、アメリカ映画で観るアメリカ人はどの映画でも私たちと大して変わらない人たちじゃん、そういう映画を観てアメリカ人も楽しんでいるわけで・・・・と考えていくと、アメリカの政府とアメリカ人は違うのだと思えてきた。それで「北朝鮮」と言うとき、その政府と国民を分けて考えることが出来るようになっていたので、拉致問題が公になって世間が北朝鮮を酷く言うのに同調しなかったものだから友だちには不思議がられた。映画で学んで生かすって、そういうことですよね、監督?

「桃栗三年、柿八年、柚は九年で成り下がり、梨のバカめは十八年」は、どの大林作品だったか。今作では中原中也、イイネ!と思った。それと「雨降りお月さん」も。美しい歌だ。うん十年ぶりに歌った。字幕もイイネ!外国語がわからなくても耳が聞こえにくくてもOKだ。川島芳子(伊藤歩)に「好きです、ヨシコさーん」ってどこかで聞いたことがあるなあと、林家三平(先代)を思い出すのに映画が終わって30分くらいかかった。白虎隊は有名だけど、娘子隊は初めて聞いた。この映画で一番古い時代はいつだっけ、戦いとしては宮本武蔵の決闘かな。思えば、日中戦争、太平洋戦争でも日本刀は欠かせなかった。三島由紀夫以降も日本刀で人が殺されている。美術品で人を傷つけるのはやめよう!バトントワリングはOK!
(2020/09/09 TOHOシネマズ高知8)

追悼:大林宣彦監督

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