レ・ミゼラブル

スパイク・リーじゃなかった(^_^;。監督は、ラジ・リという人だった。それに、ユゴーの「レ・ミゼラブル」を現代のフランスに置き換えた物語と勝手に思っていたのもハズレだった。しかし、150年以上も前の小説の一節「はじめから悪い草はない。育て方が悪いだけだ。」で見事に締められていた。言いたいことを「バーン!」とわかりやすい。
数年前に見たフランス映画『預言者』でも、無垢だった移民の少年がタフな環境で生きのびていくうち、裏社会で生きるしかない大人になって行った。まさに「はじめから悪い草はない」だ。
ユゴーの小説に普遍性があるのはけっこうなことだが、こんなことに普遍性はなくていいのにと思う。

『預言者』は、寓話的な要素があったが、『レ・ミゼラブル』の方はもっと現実寄りに思える。サーカスからライオンの子が盗まれたことをきっかけに、移民の中でも色々(民族や宗教や犯罪組織など)に別れていて「“仲間”割れ」していることがわかるようになっている。
移民(又は移民ルーツの人)以外との交流が描かれてないので、移民街がゲットーみたいに閉ざされているような印象だ。移民への偏見や差別による貧しさから一部の者が犯罪に走り警察の移民に向ける目が厳しくなり、更に偏見・差別により一部の者が・・・・という悪循環に陥っているのではないか。二世(三世?)は警官になっている人もいたが、安定した職に就けるのは少数なんじゃないだろうか。これは構造的なものなので行政が動くべきだと思う。
冒頭ではワールドカップ優勝に沸く移民(又は移民ルーツの人)たちがクローズアップされていて彼らもフランス人であることが強調されている。もし、行政が動いてないのならフランス人としても「“仲間”割れ」していることになると思う。

ゴム弾とは知らず、子どもが警官に撃たれたときは殺されたと思って仰天した。フランスでよかった。アメリカだったら犠牲になっていただろう。
その様子を、偶然、移民の子がドローンで撮影していたため、証拠隠滅に警官が追っかけたりと思わぬサスペンス劇になり、おしまいには子どもたちの警官への仕返しが暴動に発展する。ゴム弾で顔をめちゃめちゃにされライオンの檻に入れられと、あれだけやりたい放題やられたら恨みに思うのも当然だ。銃を持って狙いを定めた当の子どもと、まるごしの警官の一人が対峙したところがラストカット。さあ、次はどうなるか。でも、作り手はそのずっと先のことも観客に考えてほしいのだと思う。
(講に似たシステムのお金の融通し合いも出てきて少し驚いた。貧しき人々の知恵は世界共通なんだなぁ。)
(2020/09/16 あたご劇場)

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