どうすればよかったか?

『どうすればよかったか?』の感想を毛筆で書いた画像

どんな家族も物語になりうる

『ゴッドファーザーPart2』『かぞくのくに』を始めとして家族の映画にはハズレがないと思っていて、タイトルにもかなり惹かれて観に行った。

お姉さんに合う薬があってよかった~。

どうすればよかったか?監督自身に関しては、家を出て正解!と思った。両親については、合う薬があったという結果からは、早くお医者さんに診てもらった方がよかったかもしれないとは思うものの、当時(といっても何十年もの間)は迷いはあったかもしれないが最善と思ってのことだったろうし、そうするしかなかったんだろうなぁと思った。両親が娘(監督の姉)をなぜ、医者に診せようとしなかったのかの理由についてはよくわからないが、監督が父に直接たずねていたようなことなのかなと思う。
医者に診せようとしないことについて、監督が別々に両親にたずねたところ、母は「お父さんがねぇ」と言い、父は「お母さんがねぇ」と言い、互いに相手の意思を尊重したみたいに言っているところは、実のところ二人とも診せたくないと思っているのだと思った。(実際には、パパ、ママと呼んでいたと思う。)

それにしても親というものは、ありがたいものだと思う。毒親は存在するけれど、この両親は違う。弟が逃げたしたくなるような姉の病状にもかかわらず逃げない。(精神科の医師でつくる協会(?)の会長が脱・入院隔離を主旨とするインタビューに答えて、入院させないと困るのは家族と地域でしょみたいなことを言っていて腹が立ったことを思い出す。)出入り口を鎖と錠前で塞いでいるのは(いいこととは思えないが)、認知症の家族が行方不明になるのを心配するのと似た気持ちだろうか?
弟も距離を取りながらも姉のことを気に掛けているし、母が認知症になり、父も老いていき、姉が亡くなりという過程を部分的にとはいえ長期的に見せてもらって、この結びつきは家族だなぁとしんみりと感動した。
くすり(^m^)と可笑しかったのは、母の認知症が進んで一番早起きの姉が朝ご飯を準備することになったと食卓の朝ご飯が映されて、次に時計が映ると丑三つ時だったことだ。監督、ユーモアあるじゃんと嬉しくなった。

「赤毛のアン」を始めとするシリーズに「アンの結婚」があって、結婚すると聴いたマリラがとても喜んで言ったことがいつまでも印象残っている。美しい環境に包まれた緑の切妻の家は、アンが養女に迎えられる前に行きがかりでマリラが赤ん坊を取り上げたことがあり、「赤毛のアン」の最後の方でマリラの兄マシュウは急死する。あと結婚する人さえあれば、緑の切妻は家として一人前になれるのだ。マリラの中ではアンの結婚の喜びと、緑の切妻が一人前になる喜びがあった。緑の切妻が悲喜こもごもの人の営みを見ている感じ。「おじいさんの古時計」の感じ。
どんな人も家族もドラマにしようと思えばできるし、コメディにしようと思えばできる。冠婚葬祭・生老病死、平々凡々のようでいてドラマにもコメディにもなる。ドキュメンタリーだったせいか、そういう思いを強くさせられた映画だった。
(2025/03/02 キネマM)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です