いい!
21世紀に入って刑法の厳罰化を求める声が大きくなったり、インターネットの普及によって不適正な使用が増え不寛容に拍車がかかったような日本。新型コロナ禍中にあって、自粛警察とかカントカ警察とか目を覆い耳を塞ぎたくなる。でも、不寛容な社会は日本だけじゃない。そんな暗闇に小さな灯りがともったようで、とても好きな映画だ。このような寛容を推奨する映画のプロデューサー(制作総指揮?)にビル・ナイ様が名を連ねていることも嬉しい(^_^)。
ロシア料理店のオーナー(ビル・ナイ)は鷹揚な人だ。経営が下手くそでもアリス(アンドレア・ライズボロー)のようなシングルにとっても居心地のよい店を維持しており、訳あり前科者のマーク(タハール・ラヒム)をマネージャーに、ドジばかりやっている(知的ハンディキャップがある?)ジェフ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)をドアマンに雇う。そのくせ、ロシア料理店としての演出はバッチリ抜かりない(笑)。楽しみにしていたビル・ナイ様のロシア訛りも聞けたし、よいサービスだ。数年前、食材を偽装したレストランが相次いで問題になったが、それとこれとは別問題だから怒る人はいないと思うけど、5歳児という設定のチコちゃんに対してパワハラだと言う人たちがいたので、ホンマにピリピリした世の中になったもんだと、このような温かい作品を観ても余計なことを考えてしまう。
わからなかったのは裁判。あの裁判は刑事裁判?離婚裁判?夫は服役するみたいだから刑事裁判なのかな。そうすると離婚はできてないのかな?それと、暴力夫の元を二人の子どもを連れて逃げたしたクララ(ゾーイ・カザン)が、いつ福祉制度に繋がるかと思っていたら、夫が刑務所に入ってからなのはどうしてだろう?シェルターの場所は秘密だけど、夫は警察官だから調べられるということなのかしら。
親子三人の居場所として図書館が出てきたのがよかった。あれが有名なニューヨーク公共図書館だろうか。シャワーを貸してくれた簡易宿泊所や無料のお食事処。ピアノの下。
ミュージックホールから漏れてくる音楽もよかった。音楽に癒やされる余裕のあるうちに誰かと繋がれますように。
監督、脚本:ロネ・シェルフィグ
(2021/03/13 あたご劇場)
歯医者さんの帰り道、何も知らず何も考えず
ふらっと観にいったら、ビル・ナイ様が出てきて(プロデュースにも、だったんだ…)
監督は『幸せになるためのイタリア語講座』作った人で
もう嬉しい驚きが一杯!(「イタリア語…」は昔TVで観て大好きになった映画)
ニューヨークという街の有りよう(多様性とか格差とか)も
垣間見られた感じで、いろいろ面白かったです。
(追記楽しみにしてます。なんだろな~(^^))
ムーマさん、ご覧になれてよかったです。
ビル・ナイ様ご出演ですので、抜かりはないはず・・・・と思っていましたが(笑)。
この監督さん、『人生はシネマティック』の監督でもあるそうです。不覚にも寝てしまったので再挑戦するつもりですが、そのときは『幸せになるためのイタリア語講座』も借りてみます。>DVD
>ニューヨークという街の有りよう(多様性とか格差とか)も
多様性と格差の描き方が上手かったですね~。
超上流の人は匂いさえしませんでした(笑)。
感想には書きませんでしたが、中華料理店での兄弟のコンビネーションがお気に入りです(^_^)。
中華料理店の兄弟がすでに
思い出せないのにガーン!
なんかオモシロイ人たちだった気は
するんだけど…
「超上流の人は匂いさえしない」っていうの
言い得て妙ですね。
あの裁判については、私は
離婚裁判だと思って見てました。
それとは別に、父親に対しての暴力で
刑事裁判もあったんだろうな~
で、あの暴力だけでも(父親は黙ってないと思うし)
離婚は有利にすすむだろうな… なんて
勝手に解釈しました。
「いつ福祉に繋がるんだろう…」のあたりは
なんだかコトの順序が、私もよくわかりませんでした。
でも、「現実」ってああいう感じで
「理屈通りに行かない」
「ツマラナイことで事態がひっくり返る(一寸先は運次第~?)」
っていうのを、映画の最初っから見せられてたせいか
あんまり気にしなかったんだと思う。
というか、終盤はとにかくハッピーエンドにするのに
忙しそうに見えましたね(^^;
(でも、あのハッピーエンドな感じが好きなのでOK~♪と)
>思い出せないのにガーン!
中華料理店で夫(父)が現れて、兄はさっさとトイレに行って、弟は父ちゃん怖さに吐いてしまって、弟を連れて母ちゃんがトイレに行ったところ、兄がこっちこっちと言って三人で逃げるコンビネーションのことでした。弟は意図して吐いたわけではないけど。怖さのあまり吐くなんて可哀想という気持ちと、吐いて良かったという気持ちになりました(^_^;。
>「理屈通りに行かない」
あ~、そうですよねぇ。忘れてた(^_^;。
>(でも、あのハッピーエンドな感じが好きなのでOK~♪と)
こういう映画はハッピーエンドじゃないとねぇ。その先の困難とか、他の人のパターンの困難とか現実で見聞きしていると、こうあってほしいという映画であってほしいですもんね。
不思議なのはケン・ローチ作品で、絶望的な現実を突きつけるようなラストでありながら、それでも希望を感じるんですよ。まずは現状認識から始まるものでしょう、これで終わりじゃないでしょうという感じかなぁ。やっぱり凄いですね。
「中華料理店の兄弟」って
ヒロインの子どもたちのことだったんだあ。
もう自分の記憶のワヤクチャさに
自分でもついていけない(ガーン!の二乗)
そういえば、弟が吐いたとき私なんて
「やったぜ!」って思いました(ヒドイなあ)
ケン・ローチのラストの「希望」って(もしかしたら)
「現実」をそのまま扱ってるからかなあ…って
思ったことがあります。
現実には「希望」がほんとに必要だと思うから。
でも、「やっぱり凄い」ですよね。
>もう自分の記憶のワヤクチャさに
私もですー(-_-)。
でも、自覚があるだけいいですよねー(^_-)。
>「現実」をそのまま扱ってるからかなあ…って
そうですよね。映画が終わっても現実には「つづき」があるから。
ケン・ローチ作品は「おしまい」って感じがしないもんねぇ。