高松へ行ってきた。


瀬戸大橋がなかった頃、国鉄の宇野駅と高松駅をつなぐ宇高連絡船というのがあったのは、中高年にはなつかしい思い出だ。連絡船から高松駅に降り立つと「帰ってきた~!」とほっとしたものだった。そこからまだ3時間くらい汽車に乗るんだけど(笑)。
記憶では船から下りるとすぐに駅だったような気がするけど、今回サンポートまで歩いてみると5分から10分くらいの距離がある。駅舎を移設したのかな。それとも埋め立てたのかな。
サンポートは4番乗り場まであって、別のところにジャンボフェリーの乗り場もあるらしい。

高松までJRで行くなら乗り換えが必要になったので、直通で行けるバスの方が便利かもしれないが、私は乗り物では鉄道が一番好きなのだ。ところが、岡山に行ったときもそうだったけれど、車内放送の音が大きすぎる。放送のたびに飛び上がるほどなので、うたた寝も出来ない。(うたたねして乗り過ごす人の希望で大きくしているのだろうか?耳の遠い人のためかもしれないし。)これからはバスにしようかなぁ。

リニア新幹線ができたら、今の新幹線はどうなるのだろう?取っ払うの?2本立て?リニアは無駄のような気がするけどなぁ。同じ無駄なら、今の鉄道を一筆書きが出来るような形につなげてほしい。一筆書きで日本一周とか、四国一周とか楽しいと思うけどなぁ。

岡山県に行ってきた。


10月18日、19日と父の冥土の土産シリーズで岡山へ行ってきた。
旅の目的は、天然酵母のパン屋さんタルマーリーのパンを食べることと、日本三大名庭園のひとつ後楽園に行くこと。日帰りで行きたかったが、タルマーリーは岡山市からバスで100分以上かかる。ということは、我が家から5時間弱ってことなので、タルマーリーのある真庭市勝山からさらに山奥(蒜山麓)の湯原温泉で一泊し、翌日後楽園を散策することにした。

勝山に着いてわかったことだが、毎年10月19日、20日は喧嘩だんじり祭りだそうで、山車やらのぼりやらを見かけた。(よさこい祭りのポスターもあった。)祭りの前の静けさとも言うべきのどかな町を行くとタルマーリーはすぐに見つかった。併設のカフェでサンドイッチと飲み物をいただき、父は持参した本「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』 」にイタルさんとマリコさんにサインをもらった。

そのあと旭川に掛かる橋で出会った方のお宅におじゃまして、そのご夫婦にいろいろ教えてもらった。JRの駅が出来る前まえは、高瀬舟が行き交っていたそうだ。ダムが出来てからは水量も減り、船着き場の石垣も常に露出している状態だ。山車をぶつけ合う喧嘩だんじりは、昔はお酒を飲んでやっていたそうで死者まで出したとか。今は飲酒禁止だとか。まにわくんバスなら湯原温泉まで200円とか。

まにわくんバスを待っている間に丸太を積んだトラックがどれだけ通ったことだろう。市役所の雨よけ通路は木製だったし、真庭市は林業の町みたいだ。まにわくんバスから見る旭川の河原には釣りをする人やハンティング(?)をする人が・・・・と思ったらそれは皆、案山子。人口が減ってくると考えることは皆同じなんだなあ。

翌日、後楽園から岡山城へ行ってわかったこと。岡山城のお堀として旭川を利用しているのだが、そうするためにわざわざ水路を変える工事をしたのだそうだ。後で調べると、岡山から津山までの車窓から見えていたのは、やはり旭川だった。旭川を知る旅だったような気がする。

ゆき :岡山からJR津山線で終点の津山→姫神線新見行きに乗り換え中国勝山で下車→まにわくんバスで湯原温泉
かえり:まにわくんバスで中国勝山→新見経由の乗り合い高速バスで岡山駅

パン屋タルマーリー
乱読大魔王日記の田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」(渡邉格)

罪の手ざわり

う~ん、まんじゅう怖いという落語があったが、私はお金が怖い。中国と日本の合作映画、『罪の手ざわり』を構成する四つの話はすべてお金がらみだ。共同所有だった炭坑を奪われ利益を一人占めにされた者、妻子を養うため出稼ぎに行って自暴自棄になった者、金持ちにバカにされ買春を強要された者、職も恋もなくしたうえに仕送りせよと親に迫られた者。いずれの話も富める者と貧しい者が登場し、貧しい者が人を殺めたり自死してしまう。貧しい者の追い詰められ加減(あるいは自棄の加減)が、見ていて苦しくなるくらいだった。作り手は追い詰められた側に立ち、傷つけられた自尊心の爆発を華々しく描く。また、儚く生きる若者の死を唐突に描くことで、見る者の心にくさびを打ち込む。金が物を言う社会は、金に物を言わせる者が作った。ラストシーンの京劇で発せられる「罪を認めるか」という問いかけは、それこそがグローバル化されるべきだろう。

しかし、この作品、大事なのはお金のことではない。大事なのは、正しく「映画」(しかもスケールの大きい「映画」)だったことだ。中国の北部から南部まで四つのエピソードがつながっていく(うかうかしていると、つながりを見逃す)。景色も湿度も違うし、言葉の響きも違う。映像の切り取り方、つなげ方が見事だ。各エピソードに異なる動物が出てくるが、それは何を象徴しているのか読み解く力も必要だ。大変な映画力を要求されるので、目を皿のように、耳をじょうごのようにして臨むべきところ、修行が足りず所々で居眠りしてしまった。

前に見た『長江哀歌』は、映像パワーは凄かったものの、ヴェネチア国際映画祭の金獅子も張り子に落ちたかと思えるような内容だったけれど、やっとジャ・ジャンクー監督作品のよさがわかった。
(シネマ・スクウェア 2014年9月号)