忘れられた皇軍

【テレビのミカタ】「日本人よ、これでいいのだろうか?」と日テレが放送した大島渚ドキュメンタリーの衝撃
うえの記事で知った。「NNNドキュメント’14 反骨のドキュメンタリスト 大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃」という番組が放送されたとのこと。検索すると見ることができた。マスコミの中にも頑張っている人がいる。エールを送りたい。

よく報道とかドキュメンタリーは中立でなければならないと言う人がいるが、そうだろうか。私にとっては、番組やドキュメンタリーを作った人の軸足がどこにあるかが肝心で、主張が明確な方が欺されずにすむのでありがたい。同じ素材であっても料理の仕方で旨くも不味くもなり、たまには毒入りもあるだろうから、料理人を信頼できるかどうかは腕ではなく足だという気がしている。

恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム

5月にあたご劇場で観たときは、意外なことにシャールクが目に入ってなかった。というと、あんまりか(笑)。もちろん「好き~」と思って見ていたが、伝説のシックスパックにさえ気がついてなかったくらい他のところに気をとられていた。その、他のところというのは、ディーピカー・パードゥコーンだ。本当に綺麗で可愛くて踊りがうまくて、何より輝きがキラキラキラキラ半端じゃなかった。第一にディーピカーの映画と言えると思う。もちろん、ディーピカーだけでなくシャールクとの魅力的な二人でスタア映画となっている。

ミュージカル・シーンも素晴らしい。ミュージカル・シーンだけで50分(10曲近く)あると思うけど、どの歌もキャッチー。なんべん聴いてもよい音楽で(衣装やセットも含めて)登場人物の心情をよく現している。踊り付きのは、これまた本当に楽しいし色っぽい。

お話もいい。恋と復讐の物語で、それだけでも充分面白いが、「本気で願い精進すれば、全存在が味方してくれる」という前向きなメッセージと「ハッピーでなけりゃ、エンドじゃない」というエンターテインメントに徹したインドの映画作りの神髄を貫き、そうして映画を作ってきた映画人への敬慕の念があふれているのが堪らない。スタッフが踊りながら登場するエンドクレジットは映画好きなら感動ものだ。

脇役俳優オームとスター俳優オームの二役(シャー・ルク・カーン)
大人気女優シャンティプリヤと南部からやってきたサンディの二役(ディーピカー・パードゥコーン)
ムケーシュ(アルジュン・ラームパール)・・・・この人こそ美形でしょう。
パップー(シュレーヤス・タラプデー)・・・・70年代の衣装がお似合い。

OM SHANTI OM
監督:ファラー・カーン
(2013/05/26 あたご劇場)

DVD

時をおいてDVDで観てみると、恋愛映画だったんだな~と改めて感動した。
シャンティプリヤの同じようなクローズアップが始めの方と最後の場面である。いずれもその前のカットは彼女を恋するオームだ。スタアと熱烈ファンという間柄にすぎなかった二人に30年の時を隔ててどんな気持ちの変化があったことか。

始めの方の場面

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「ドリーム・ガール」のプレミアで、レッドカーペットを歩いていく主演女優のシャンティプリヤにうっとり~。

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可愛いファンに、にっこり。

シャンティプリヤの大人気女優ぶりは、もちろんディーピカーの輝きがあってこそなんだけど、うえのようにシャールクの演技力でも引き立っていると思う。
第1部でシャンティプリヤ(スタア)とオーム(ファン)が死に、第2部でサンディ(ファン)と生まれかわりオーム(スタア)と立場が入れ替わるとディーピカーの演技力がちょっと弱い気がする。うえの場面で流れている曲は、第2部でオームとサンディが出会ったときにも流れる。このときサンディは目を回して気絶するんだけど、憧れのスタアに会えて嬉しすぎて目を回したのでしょうと観客が想像力で補う必要がある・・・かな。また、サンディはオームのためなら何でもする度が低いので、「シャンティプリヤを演じる」という動機が若干弱い・・・かな。

最後の場面

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サンディではなく本物のシャンティプリヤだと気づき、手を伸ばすオーム。

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いろんな思いがあるのでしょう。でも、さよならするしかないシャンティプリヤ。

切なさに落涙しそうになった。うえの画像でもわかるとおり、オームの背景は赤く、シャンティプリヤのは青い。背後の色でも生きている者と死んだ者がハッキリわかるが、二人の間には落ちてきたシャンデリアがあって、オームからはシャンデリアを隔ててしかシャンティプリヤを見られないという風に編集されている。二人の隔たりをシャンデリアで物理的に現しているのが上手い。

特典
もちろんメイキングあり。NG集のシャールクの可愛さは特筆ものだけど書かないよ~ん(^_^;。ロンドンのプレミア上映に集まったファン(屋外)に隅から隅まで(遠くの方にはジャンプして)手を振ったりなんだり。インタビューでは腹筋のこと聞かれてたー(笑)。

家庭内民主主義の実践

我が家の裏庭に1年以上もの間、便器が転がっていた。母が車いす生活になったとき、手水鉢と男性用便器と奥の洋式便器へ通じるドアを取り外してからのことである。私はそれらを処分したかったが、父はまた使うとき元に戻すので捨てるなと言った。

昨年末、仕事納めの日に休暇が取れたので、裏庭の美観を損なうのに多少なりとも貢献しているアヤツをゴミ処理場に持ち込むチャンスだと思った。かなり重いが、ずるずると引きずって、車に積み込むにも車いす用のスロープを引き出せば、私の力でも出来そうな気がした。取り外したドアは家の中にあるし(木製だからのこぎりで小さくできる)、手水鉢は不燃物の日に出せる大きさだ。黙って処分しても、おそらく父は気がつかないだろう。電子レンジでチンしたものをそのまま腐らせる名人だから。市場で競り落とした青果をそのまま置いて帰ることで名を馳せていたから。

黙って処分するのは民主的ではない。だが、「捨ててもよいか」とか「捨てる」とか断りを入れると反対されて面倒だ。どうせ気がつかないだろうし。私は考えた。・・・・・政策を推し進めるためには、情報はなるべく公開しないに限る。国民あるいは住民のためになる政策なのだから、さっさと取りかかりたい。政策を決める過程や決めたことをオープンにすると、様々な意見を言われるようになり先に進まないのだ。外交や軍事だけでなく、行政の些細な決めごとであっても「決められる政治」と言われるためには情報は非公開、これ正解。ときあたかも2013年12月、特定秘密保護法案が国会を通過し、法律が公布されて間もなかったせいもあり、便器を処分する問題が私のプライドの問題となった。どこぞの総理大臣やなんかの真似をしてたまるかという思いである。

民主的にいこうと決めたとき、もし、反対されたら便器の処分はまたお預けだとも覚悟した。特定秘密保護法案について福島県で公聴会が開かれ、反対や慎重にという意見ばかりだったにもかかわらず、その翌日に衆議院で可決された。あの真似もごめんだからだ。

そうして、父には「あの便器をどうするつもりか」とたずねることから話を始め、案の定「元に戻すまで置いておく」と言うので、「いまの洋式一つで支障はなく、元に戻すにはお金もかかるよ」と言うと「そうやねぇ」という話になって、車に積み込むのを手伝ってくれた。ゴミ処理場に持ち込んだアヤツの重さは30キログラム、処理料金は150円だった。

命ある限り

シャー・ルク・カーンが、かっこいい!!!チャーミングぅ!
は~、やっぱり好きだ~!・・・・で終わってもいいくらい私にとってはシャールクの映画だった!

お話は、サマル(シャー・ルク・カーン)とミラ(カトリーナ・カイフ)と神さまの三角関係(?)・・・・、みたいな(笑)。第1部のおわりで、サマルが防護服なしの『ハートロッカー』していたのは、そういうわけだったのか!!!!と感動して、第2部ではカジュアルな3ヶ月恋愛の現代っ子アキラ(アヌシュカ・シャルマ)の軽さに、古典的メロドラマ(第1部)の後にこれかーーーっ!とインド映画の何でもあり感を面白く思ったものの、サマルが記憶障害になったりアキラがこうしてと頼んでミラがそうしたりという「なんでそーなるの!?」度合いが増して、ぐだぐだになってきた感がなきにしもあらず(笑)。しかし、カジュアルな恋愛ではなく古典の方に軍配が上がり、メロドラマ好きとしては一安心(笑)。

それにしてもインド映画はサービス満点だ。開巻間もない山水の景色にインドは広いな大きいなと感心した。そんな広大な景色の中をノーヘルでバイクを転がすサマルが渋い~。ふふふ、これからはシャールクだよ、クルーズ君。(実はノーヘルには理由があるんだよねぇ。イギリスではミラと二人乗りでちゃんとヘルメットを被っていたのが可愛かった~。)時は遡り場面変わって、ギターを抱えて歌うサマルの背景にはロンドンの名所が次々と(わーい)。もちろん踊りも、ミラは肉感的でアキラは軽快と取り揃え。イギリスの緑もきれい。第1部だけもう1回観たいな~。

JAB TAK HAI JAAN
監督:ヤシュ・チョープラ
(2013/09/16 あたご劇場)

DVD

レンタルが始まったのでさっそく(笑)。
このメロドラマは、ただものではないゾ。っていうか、このドラマのテーマは「神様も降参する愛」で、ちゃんとセリフにあった。さて、どの場面で誰が言ったでしょう?

落ち着いて見ると第2部もなかなかよかった。アキラはサマルに失恋するわけだけど、ほろりとくるねぇ!第2部は「アキラ、失恋の巻」として観るべきだった。

ところで、記憶喪失になったサマルが自分のことを「猿みたいな顔」と言う場面があって猿の顔まねをするんだけど、シャールクは真似をしなくても猿顔に見えることがある(ごめん、シャールク(^_^;)。というのは、私はシャールクの中にみのもんたを発見してしまうことが時々あるのだ(涙×涙)。シャールクはミリオネアの司会をやってたことがあるそうなので、みのさんと深い(?)縁があるのだなぁ(やめてー。←ムンクさん)。

この映画にしても『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』にしてもインド映画はスケール感があって、スクリーンがふさわしいなぁ。