終演後、「酔うた」とおんちゃんと兄さんが言い合いながら帰って行ったのが可笑しかった。
あれほど、台詞をがなりとおされたら、悪酔いするよなぁ。
声が割れて聞き取りにくいし。親泰を演じた人は、落ち着いて話していたので聞き取れたけど。そのせいか、親泰だけが演技ができていたような印象だ(^_^;。
信長と秀吉の場は、可笑しかった~(^Q^)。声に出して笑っちゃたよ。信長はヘビメタで秀吉はサンバ(笑)。もちろん、信長が生きている間はサンバはない。
その他の場も、うまくいけば笑えて楽しいお芝居になるんだろうな。場内、結構笑いが取れていたので、好き嫌いが分かれるのかもしれない。私は嫌いじゃなかったけど、台詞が満足に聴き取れないのじゃいかんせんであった。
驚いたのは満席だったこと。帰り美術館から公道に出るのに渋滞で、車のナンバーとか見ていたら、愛媛とか北九州とか(更驚)。人気の劇団なのね。
[追記]
職場で「どうだった?」と尋ねられて答えるうちに、いいところもあったじゃーんと思えてきて、追記しておこうという気になった。
登場人物の皆が皆、「戦わなければ」と思っているのは、いくら戦国時代といえどもイヤな感じがしたけれど、主人公のはずの元親が主人公らしく描かれておらず、むしろ家臣や領民(それも女たち)が主役のようだったのが新鮮だった。元親は、戦で犠牲になった者を思って悔やんだり、なんやかやと悩んだりの意外なキャラだったのがよかった。このように家臣・領民が元親を盛り立てるような構図だから、秀吉から土佐一国のみ与えられ、領民に合わせる顔がないと思いながら帰高した元親を、領民が喜んで迎えるラストは、うまくいけば感動できたように思う。
シアターキューブリック
(高知県立美術館ホール 2011/05/21 夜公演)
カテゴリー: ほぼ文化系
風間杜夫の落語とトークショー
出囃子は「蒲田行進曲」(笑)。落語は若かりし頃のバイトの話をしたマクラが面白かった。本題の「火焔太鼓」も、とてもうまくて笑った。玄人はだしというのは本当。マクラの面白さと比べると、「火焔太鼓」はもっとうまくなれる余地ありと思う。古典落語の「芸」というのは、単なる話芸とは違う奥が深いものだとわかった。(落語ほど話し手の人間性の出る芸はないかも。おそろしい。)
トークショーは、子役時代から始まって、『蒲田行進曲』出演のいきさつ、苦手な女優の話などなど、これもまた面白かった。『蒲田行進曲』って東映太秦村で撮影した松竹配給映画で制作は角川なんだと。角川が東映と松竹を取り持って作った作品と言われていた(へぇ~)。
会場には熱心な風間ファンあり。ファンてありがたいな~。多分、うん十年でしょう。
風間さんは昭和24年生まれとは思えない若々しさ。本人曰く、髪の毛がフサフサだからとのこと。私は童顔だからと思う。
東日本大震災のチャリティーで落語の公演(巡業)は続けるとのことだった。
(2011/05/17 かるぽーと)
人形の家[Noism01]
イプセンの劇とはあまり関係がなかった。歌舞伎、文楽、カルメン、中島みゆき、モーリス・ベジャール。私がわかったのはそれくらいだが、既存の表現を活用して、更に身体表現を広げていこうとする試みのようだった。とても面白いダンス公演だった。
歌舞伎の人形振りは大好きだ。この「人形の家」では、一人から数人の黒衣がついて人形(人間)を動かすので、黒衣のリフトによって文楽の人形のような宙に浮く動きもできる。その点、歌舞伎を超えている。
人形の動き自体も面白いが、物語らしきものが想像できるので、前に観たNoism04(2004)の観念的なダンスよりエンターテイメント化されて観やすいし、楽しい。
例えば・・・・・
セーラー服人形に赤ワンピース人間が片思い。でも、セーラー服人形は、ヒゲ男をカルメンのごとく誘惑する。これを見た赤ワンピースは、「今はこーんなに悲しくて、涙も涸れー果てて」と歌い始める。受けた(^Q^)。
カルメンでも扇の使い方とか可笑しかったし、声をあげて笑いそうになったけれど、会場があまりに静かなので抑えた(苦)。
第二幕では、黒衣がなにやら恐ろしいものになっている。人形は人間になったのか、動きが人形らしくなくなっている。そうこうしているうちに、もしかして、「春の祭典」!?。もしかしなくても春祭!。録音テープでもすごい音楽だ。しかも踊りはベジャールだ!裸でおどるのもいっしょ。黒衣改め覆面の恐ろしいものに囲まれて、人間になった人形が踊っている。ぴょんぴょん跳ねているのはニジンスキーの春祭っぽいような(?)。人間になった人形が血を流しているのに気づいてビックリ仰天。激しい踊りなので怪我でもしたのかと思った(^_^;。
血が出たので、ああ、やっぱり人間になったのねーと思い、ベジャール春祭の真ん中で踊るのは生け贄だったことは、アフタートークで言われるまで忘れきっていた。
ダンサーのおしまいの挨拶は、中島みゆきの「夜明け間際の吉野家では、化粧のはげかけたシティーガールと、ベイビーフェイスの狼たち~」のBGMでしめやかに(笑)。もう、可笑しくてたまらなかったが、誰も笑わないのでこらえた(苦)。
人形振りは誰でも踊れてダンサーの個性が出しにくいのではないかと思いながら見始めたが、見ているとセーラー服人形が最も人形らしい動きで目を惹かれた。だけど、人形を踊るダンサー全員が人形の動きを極めたらどうだろう?そんなことも思った。
金森譲はNoismでは踊らないそうだが、「シアン」という井関佐和子とのユニットで9月に高松で踊るそうだ。
チャイコフスキー[バレエ]2
メモ、メモ。
とにかくマラーホフ。
髭があった方が男前が上がる。>ケネス・ブラナー、マラーホフ
座っているだけで美しい。踊りももちろん美しい。
これまで観たアルブレヒト(「ジゼル」)、ソロル(「ラ・バヤデール」)の姫命のキャラクターとは全く異なるキャラクター。控えめ、大人、哀しい~。秘密を抱えて誰にも理解されず、人生諦めているような。苛烈な苦しみ方でないのが、いっそう哀れを誘う。
「分身/ドロッセルマイヤー」は、同性愛の解放区的な自由で美しい世界に誘ってくれる役目を果たしたという感じ。もっと感情的なものを発してくれたら面白くなったと思う。ウェーナルはん、自信を持ってチャイコフスキーをいたぶるなり、同調するなり、支えるなりしておくれやす。
「フォン・メック夫人」もイマイチ、何をどう思っているのか不明。カブレラの踊りがとにかく濃ゆかったので、儚いチャイコフスキーには逃げ出したい存在だったかも。経済的援助はありがたかっただろうけど。
「妻」は、サイダコワの踊りが美しい。マラーホフとバランスがいいように思う。
男性にモテモテの彼女がチャイコフスキーを選んで結婚してみたら、夫との性生活に不満で複数の愛人をひきいれ・・・・って感じ。それでチャイコフスキーを責めるので、どちらも可哀想。
最後に坊主になったのがわからなかったけれど、ネットで解説を読むと心を病んだことの表現だったよう。
「王子/若者」のタマズラカルは、そつのない踊り。5年前の「ニーベルングの指輪」では、すごいメイクで個性的なキャラクターを演じて目を惹いたけれど、王子を踊るとは思ってなかったので、今回意表を突かれ、きれいに踊れるし、とてもよかった。
他にもわからないこと、誤解なんかがあったので、1回しか観ないんだし、事前に予習しておけばよかった。
群舞は、必要不可欠なBGMのように場の雰囲気を盛り上げ、緩急自在の音楽そのもののような感じがした。
二幕のカードゲームの場面は圧巻。
エイフマンの振付はとても面白い。
★Pour passer le temps II(東京1/22,23)
★ちょこっと劇場へ行ってきます(東京1/23の1)
★ちょこっと劇場へ行ってきます(東京1/23の2)
★ちょこっと劇場へ行ってきます(東京1/23の3)
★鳥酉Ballet日記(東京)
★la dolce vita(東京1/23)
★la dolce vita(西宮1/29)
★どんな人生にも生活はある。(東京)