母と「ピーターvs池畑慎之介」へ行ってきた。
第1部は池畑慎之介がお蔦を演じる「一本刀土俵入り」、第2部はピーターの「レビュー」となっており、なんだかお得な公演だ。
「一本刀土俵入り」での池畑慎之介は、さらりと上手い。話自体もいいので安心して観ていられる。(と言いつつ、眠ってしまった。他の主要な俳優さんが、いかにも芝居をしている感じだったのが残念。母は英太郎が出番は少しなのに存在感があってよかったと言っていた。)昔観た前進座の芝居と若干台本が異なるようで、お蔦と先輩酌婦(英太郎)の別れの場面が加わったりしていた。
「レビュー」の方は、かなり楽しかった。4人の男性ダンサーを従えて、歌って踊るピーターは妖しい魅力がいっぱい。「一本刀土俵入り」では、池畑慎之介が男性であることを忘れて観ていたが、「レビュー」ではピーターが男性であることを常に意識させられた。見た目はまるっきり女性なのに。艶然と手をふる姿は大女優の貫禄なのに。
腰までスリットが入ったロングドレスから、にょきりと足がのぞくたび、男性なんだよね~と思ったし、男性ダンサーとの絡みにも男性同士なんだよね~と思った。
つまり女性にしか見えないから、「実は男性」と脳内で確認作業をしていたわけだ。そして、ドレスから女性の足が見えるより、男性の足が見えていると思った方が妖しい。その足が西田敏行のものならと想像すると、妖しく思われる男性の足は限られてくるけれど。
おしゃべりも楽しく、大いに笑わされたし、なかなかのエンターテイナーだと思った。55歳になったばかりだそうだが、これからも元気で末永く(美しく)楽しませてほしい。ありがとう。がんばれ~。
カテゴリー: ほぼ文化系
ジャズコア・フライブルグ2
高知市ではチケット完売だったそうだが、須崎市民会館は1階は満席、2階は20人くらいだった。
先日のレニングラード国立バレエの公演も、昨年の松本幸四郎、市川染五郎親子の「勧進帳」も2階席は埋まらなかったので、須崎市民会館の満員御礼はなかなか難しいことなのかもしれない。
ジャズコア・フライブルグの須崎市公演で面白かったのは通訳だった。おそらく素人の即席通訳だからだろうと思うが、指揮者のベァトランド・グレーガー氏が言うことをほとんど訳せなかった。でも、会場ではおおよそどんなことを話しているか見当はついたので特に問題はなかったし、かえって手作りコンサートの雰囲気があってよかったかもしれない。それに、グレーガー氏が、自分が話したセンテンスより極端に短い日本語訳に「(訳せているか)怪しいぞ」という感じでユーモラスにしゃべるのが可笑しくて、思わぬところで笑いが取れて愉快だった。
また、アカペラの始まりでは、ピアノで最初の音を弾くのだが、何と言う曲でだったか、いざ歌いだすと音が取れてなくてグレーガー氏がピアノのところまで走っていき、ポロロンと奏でいそいそと指揮の場所までもどる身のこなしが、ショーマンやなぁ(笑)!
アコースティック・インスティンクトの口太鼓ソロのときも、太鼓を叩く振りの指揮だったし。何気に楽しくさせてくれる。
アンコールは何曲やってくれたんだっけ。アンコールが30分近くあったのには驚いたけど、本当に「ありがとうねー」と言った感じでよかった。
そうそう、客席で手拍子はもちろん、指笛も出た!私も鳴らせるものなら鳴らしたかった、でござる。
ジャズコア・フライブルグ
昨晩、フライブルグ市(ドイツ)の市民ジャズコーラスグループのコンサートへ行ってきた。なかなか楽しく盛り上がり、ノリノリで聴いた。
個人的には3曲目の“Here we are”を1曲目にすれば、1曲目から乗れたのにと思う。それだけ“Here we are”が気に入ったし、つかみの曲にピッタリ。
ジャズコーラスというのが、想像がつかなかったけれど(なにせ総勢30名、指揮者、ピアノ、コントラバス、ドラムスを含む)、なるほどジャズコーラスだわ。コーラスをバックに、女性スキャットのソロが映えたり、アカペラもささやき、吐息、地声あり。
ジャズコア・フライブルグの演奏だけでも結構変化に富んでいて(なにせユーモアのある指揮者だし)楽しかったと思うが、北欧の歌姫トールン・エリクセンと口パーカッションの3人組アコースティック・インスティンクトとの共演がこれまた非常に楽しく愉快だった。
トールン・エリクセンは、パンフレットには「深くなめらかで絹のような声を持つ」と書かれていたけれど、ちょっとハスキーに聞こえた。前のめりの姿勢で、リズムもメロディも彼女の体の中かから繰り出される感じ。クワを持てば畑をたがやせそうな、あの独特の乗り方はこちらにも伝染する。見ていると自然と乗ってくるのだ。彼女の持ち歌“Joy”は美しい曲だったが、やっぱり前傾姿勢は健在。
アコースティック・インスティンクトは、一人が同時に数種の音を出せる。「ポカッ」「スカッ」「ドン」と、どつき合いをアニメっぽいコミカルな味付けにしているのが、あまりの調子のよさに思わず笑ってしまった。
フライブルグのメンバーの衣装は、デザインはバラバラだが、前半では赤と黒で、休憩を挿んだ後半では白と黒で統一されていて、視覚的にも楽しませてもらった。(気がつくとミニスカートの女性の足に目が行くねぇ(笑)。)
それにしてもドイツ人はデカイ!
アコースティック・インスティンクトの3人は若いしスリムなので、舞台上では小柄に見えたのだが、サイン会場で間近にすると大きかった。舞台で小柄に見えたのは、他の出演者との比較のうえで相対的に小さく見えていたのだった。
七月大歌舞伎>松竹座3
8日の続き(^_^;。
昼の部の「鳴神」は、よくできたお芝居だ。白雲坊(市蔵)と黒雲坊(男女蔵)の掛け合いが笑いを誘い、鳴神上人(愛之助)と雲の絶間姫(孝太郎)の艶っぽい遣り取りで盛り上がり、姫が捕らわれの龍を解き放ち(これが歌舞伎ではおなじみのスローモーション。デ・パルマ効果で結末がわかっていても地団太を踏んでしまう。)、雷鳴が轟くまで一気に観てしまう。
愛之助の鳴神は、ちょっと腹黒い感じがして高僧という雰囲気ではなかったような気がするけれど、騙されたと知って怒り狂う荒事の場面も頑張っていたし、難はなかったと思う。
孝太郎は何をやっても上手いな~。その役の年齢、雰囲気にすっかりなっているものなぁ。
「橋弁慶」は牛若丸を高校生の壱太郎が演じて清々しかった。小さくて、きびきびして「牛若丸!」という感じがした。踊りの所作が美しいからか、それとも若いからなのか、透明な輝きがあったと思う。
「義経千本桜」は、渡海屋での渡海屋銀平(仁左衛門)がカッコよかった。一角の人物であると思わせる風格があった。職人らしい粋も感じさせられた。
大物浦での知盛は、世を忍ぶ仮の姿渡海屋銀平とはがらりと変わって(風格はそのままに)、討ち死に寸前、瀕死の格好でありながら、幼い安徳天皇は必ず守ると言ってくれている義経を執拗に討とうとする。頭に血が上っているのだ。それを安徳天皇に「義経の情けを仇に思うな」と諭され、刃向かうのをやめる忠義の人となるのであった。
典侍の局(秀太郎)の自害や、それに先立つ女房の入水など、あまり共感できるお芝居ではないのに、そのうえ幼い安徳天皇が一人前の主人らしい口を利くという大きな違和感があっては、知盛の忠義に涙もわかず、私は周囲の観客から取り残されていた。それでも満身創痍での壮絶な最期には圧倒されたので、安徳天皇がせめて12、3歳くらいなら納得がいくお芝居なのにと思わずにはいられなかった。